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「私に子供が出来たらどうする?」
明日の天気でも聞くように、田中は言った。隣では猪股が田中に背を向ける形で、携帯電話をいじっている最中だった。
確かに何度も、いや、何十度も繰り返した情事の後とはいえ、その行動はないだろう。出来れば頭の一つくらい撫でて欲しい、と田中は思った。
「ちゃんと育てるだろうね」
明日は晴れだろうね、とでも言うようなニュアンスで猪股は答える。
自分の聞き方が聞き方ではあるので文句は付けなかったが、隣の男を叩きたい気持ちにかられる。
それを抑えるようにゆっくりと、田中はテレビへ目を向けた。
何処のアーケード街か分からないが、大きな木に電球やら飾りやらが付けられている。そしてそれを囲むたくさんの人。
そうか、もうじきクリスマスが近いんだ。そこでようやく田中は気づいた。青森市は冬の始まりから終わりまで雪が降るので、月日の感覚が曖昧になる。
「意外だね」
いつの間にか携帯を閉じた猪股が、田中の方へと体を向けていた。
「何が」
「クリスマスとか、興味があるんだ」
「ないわよ」田中があっさりと言う。
「でもじっとテレビを見てた」
それはあなたを見てたくなかったから、と言いたかったが、やめた。
「クリスマスになると街も店も人で一杯になるし、あんなイベントのどこがいいんだか。それに…」
「日本じゃ元々は関係ない文化だった、でしょ?キリスト教と仏教で」
猪股が悪戯っぽく笑った。幼さと大人っぽさのバランスが絶妙に相成ったその顔に、彼がよく女性に声をかけられる理由が分かる気がした。
「愛国心がないなぁ」
そう言いながら、猪股は本格的に田中へと体を向けようと態勢を整える。まるで大きな手で優しく背中を撫でるようなタオルケットの摩擦を感じる。
「そういうのも嫌い」田中がため息をつく。
国を愛する心だから、本当はすごくいい言葉なのかもしれない。しかし田中には愛国心イコール、国のためにどんな犠牲もいとわない過激なエゴのような感覚があった。
「それに日本の仏教だって、元はインドと中国のものを参考にして、自分たちの都合のいいものに変えてるんだよ」
「へぇ、そんなのよく知ってるね」
「昔、ばあちゃんの供養の時にお坊さんが言ってた気がする」
「確かじゃないんだ」
田中の言葉に猪股は頷いた。そもそも仏教に通じてるお坊さんが、“都合よく変えた”なんて言うとは思えない。
「ともかく日本は元からあったものを合わせて、新しく自分たちのものにするのが得意なんだよ」
「それ、言葉にすると何かやだね」
力説していた猪股の顔に苦笑いが浮かぶ。
その時、さっきまでいじっていた猪股の携帯が鳴った。すぐに田中に背を向ける形で寝返りを打ち、一度だけ発信先を確認してから猪股は通話ボタンを押す。
「もしもし」
今まで自分と話していた声の調子とほぼ変わらないため、田中はその電話が友人のものか、仕事のものか、判断がつかなかった。
猪股は探偵業を営んでる。そう言えば聞こえはいいが、実際は何でも屋みたいなものだった。
ついこの前は、ご近所さんと世間話をしている間に猫を逃がしてしまった飼い主のために一日中、猫を探した。
探した、と言ったのは、それを田中も一緒にしていたからだ。
夕方近くに猪股から電話があり、久しぶりに食事にでも誘われたかと思い、それなりに身なりを整えて待ち合わせ場所にいくと、「猫が見つからないんだ」と開口一番で彼から言われた時には、本当に膝から崩れ落ちそうになった。
おかげで結構気に入ってたジーンズは泥まみれになり、今はクローゼットの奥で眠っている。
それで見つかったのならまだ救いはあったが、結局は猫も見つからず、飼い主に怒鳴られる始末。
あんたが目を離さなければいい話でしょ!、と田中は飼い主を一発殴ろうとしたが、猪股に宥められてその場は終わった。
このように世間一般が抱いている探偵のイメージと、猪股が行っている探偵とでは、野球に例えるならメジャーリーグとリトルリーグくらい違っていた。
「分かりました、今すぐそちらへ向かいます」
猪股が電話を切る。口調は相変わらずであったが、敬語で話していたため、田中はすぐに仕事の電話だと分かった。
「今度は何、犬でも探すの?」
あの一件を思い出して急に腹立たしくなった田中は、わざと馬鹿にするような言い方をした。しかしそんなことを気にする様子もなく、猪股は答える。
「それよりもっと大きいかな」
「そう、私は探すならパンダがいいな」
「それ、家庭で飼ったら違法だよ。でもパンダを探す探偵も格好いいかも」
猪股は顎に手をやり、パンダを追いかける自分を想像するように言う。
彼を馬鹿にしても張り合いがないと気づき、田中は諦めて聞いた。
「じゃあ、何を探すのよ」
あっけらかんとした表情で猪股は答える。
「今度はね、人だよ」




