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スークレヒトは突然、不安に襲われた。
何につけ新しもの好きのエミディールのことだ。
もしかしてヴェイアへの執着は、現在の女房役に飽きたことの表れではないのか――
ありもしない心臓が、たちまち早鐘のように打ちはじめる。
が、なんとか平静をたもち、努めておちついた声で言った。
「彼の女王とその配下たちが、天界でどう評価されているか、ご存じないわけではないでしょう」
「うん。じつは、それも私とラゼオスが心配していることなのだ」
「? おっしゃる意味が、よくわかりませんが」
「地上では、《愛の国》と《霧の帝国》は、地理的にかなり近いよね」
「ええ」
地上では、両国は、険しい無人の山脈をはさんだ隣同士に位置する。
だが、これまでほとんど交流がなく、刃をまじえたこともない。
山の高さもさることながら、《霧の帝国》は今もつねに直接国境を接する国々と戦うのに忙しい。
いかなる意味でも、《愛の国》との外交にさく余力がない。
とはいえ、二国とも急速に技術と交通手段が発達し、そろそろ接触がはじまる気配がある。
「もちろん、われわれとしては平和な交流を望んでいるのだけど」
「《霧の帝国》の女王が、それを望んでいないと?」
「そう。というより、戦をしかけさせて《愛の国》を滅ぼそうとしている可能性がある」
「だったらますます危険ではありませんか。なぜそんな国のものを出入りさせるのです」
「……イレインは違うんだ。彼は、われわれと彼の国とを、平和的に結びつけることができるかもしれない」
それは突拍子もない考えに聞こえた。
「なぜそうなるのです」
おまけに、またイレインて言ったし――。
スークレヒトは憮然としている。
「怒るなよ。イレインはむしろ、《霧の帝国》が支配欲で硬直化して、天から堕ちるのを防いでいるかもしれないんだ」
「ですから、どうして」
「どうしてって言われても。……でも、私一人の判断じゃないよ。ラゼオスもそう言ってる」
「根拠になっていません」
「だからさ、おまえも一度、イレインと話してみてくれれば……」
「絶対に危険です! 二度とヴェイアを出入りさせるべきではありません」
スークレヒトの勢いに、エミディールは、ややたじろぐ。
「落ちつけってば、スーク」
それは無理な相談だ。スークレヒトの表情はますます険しい。
エミディールはちょっと困ったように言った。
「で、でも……そうだ、ダシェルもそう言ったよ」
「誰が何と言おうと、私は認めません。地上人が珍しいのはわかりますが、浮かれすぎではありませんか」
「なんだ、その言い方」
売り言葉に買い言葉で、エミディールも口調が荒くなる。
が、スークレヒトはそれを無視して退出の支度を始めた。
「ちょっと。聞けよ、スーク」
「いいえ。考え直してください。失礼します」
スークレヒトは大きな音を立ててドアを閉めた。
その音が予想外に大きすぎ、自分でもびっくりする。
その瞬間、言いすぎたかな、と後悔したが、今さら戻るのも体裁が悪い。
彼はできるだけ急ぎ足で廊下を去った。
他の宮廷人や警備員が、何事かと振り向くのも気にしない。
いや気にしているのだが、それだけに早く立ち去ってしまいたい。
自慢じゃないが、小心者なのだ。
あとに、エミディールのとまどった声が小さく響く。
「おーい、スークってば。今日の報告はどうなってるんだー?」