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「ラゼオスは戦乱の時代の天使だ。でも時代は変わった。平和な時代には、時代にふさわしい新しい価値観が必要だ。だから、新しい勝利や競争の価値観をもった新しい天使を後継にしたいと、ラゼオスは望んでいる」
エミディールの言葉に、スークレヒトは違和感を感じた。
そんなに簡単なこととも思えない。
「いくら現在が平和でも、戦がなくなることはありません。とくに今の地上の技術力では。第一、生命とはそもそも欲望なのですし」
だから、いくら時代にそぐわないからといって、おいそれとラゼオスに引退してもらうのは危険だとスークレヒトは考えるのだが。
エミディールは不満顔をする。
「でもね。欲望があるから、いつも戦争になるってわけでもないだろ? 現に今は平和なんだし」
「まあ、それはそうですが」
「だからさ。今のうちに、人間の欲望や攻撃性を、もっと生産的でみんなが幸福になるような、べつの新しい行動に振り向けるんだよ」
エミディールは拳に力をこめて力説した。
その熱心さに、スークレヒトは思わず微笑む。
だがむろん、戦の原因はそれだけではない。
貧困、抑圧や偏見、恐怖や不安など、数え上げればきりがないくらいだ。
そして、今のところ表面的には落ち着いているものの、《愛の国》にだって問題はある。
周囲の国の事情もさまざまだ。
「問題なんかなくしちゃえ」
「そんな乱暴な。第一、どうやって?」
「それは、いま考えてるんだよ」
スークレヒトは笑ってしまった。
「なんで笑うんだ?」
「笑っていませんよ」
「笑ってるよ」
エミディールは、顔を真っ赤にしてぷいとそっぽを向く。
「すみません。たしかに、地上人とともによい歴史を進める道を考えるのは、天使の役目の一つですね」
「でしょ? よかった。じゃあ、力を貸してくれるね?」
エミディールの顔が、嬉しそうにぱっと輝く。
その顔を曇らせるのは本意ではない。
しかし――
「しかし、どんなときも最優先されるべきは地上人の意志です。強制介入はできないと、エミディール様が今おっしゃったばかりでは」
「もちろん、地上人が自分で選ぶように考えるのさ。まわりの国も、みんなが真似したくなるようなやり方をね」
「はあ。たとえば」
「だから、それを考えてるんだってば。そのためには、ほかの次元の天使とも協力する必要があると思う。もちろん、スークやみんなにも力を貸してほしい」
スークレヒトが返事をするまでに、一瞬、間があった。
「……ええ。力の及ぶ限りは」
「よかった。ありがと、スーク!」
エミディールがほっとしたように笑う。
しかし、スークレヒトはときどき思う。
強制介入の線引きは、どこからどこまでなのだろう。
地上人の意志を最優先する原則には、当然そうするだけの理由がある。
どれほど愚かで非効率的にみえても、人間は失敗し、その経験をみずから考察することによって、何かを学び、賢くなるのだ。
それが彼らの成長であり、彼ら自身を幸せにする真の力となる。
その点、天使が地上人を見守るやり方は、親と子にも似ている。
何でも自分で試してみたい年頃の小さな子どもを、親が口出しせず、そばでじっと見守っている感覚に近い。
「だけどさ。子どもが殺し合いしてるときに、黙って見てる親なんていないだろ」
「それはまあ、そうなのですが」
「それに、お互いどうしていいかわからなくて、ケンカになるってことだってあるじゃない。ほかに手段を知っていれば、きっと仲良くできると思うよ」
黙っているスークレヒトに、エミディールはしびれを切らしたように言う。
「スークは原則にこだわりすぎだと思うな」
「……そうかもしれません」
スークレヒトはおとなしくうなずいた。
それに、天使同士で理想型について話しあっておくことは悪いことではない。
とはいえ、もう一点、これだけはぜひとも指摘しておきたいことがある。
「ですが……なぜ、よりにもよって《霧の中の帝国》の軍神なのです」
たしかにイレイン・ヴェイアは、最近、人間から天使になったばかりだ。「新しい」天使にはちがいない。だが女房や畳じゃあるまいし、天使は新しければいいというものではないはずだ。
それにスークレヒトの考えでは、女房だって必ずしも新しいほうがいいとは限らない。
(――待てよ)