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「えー、とにかくですね。私がお尋ねしたいのは、何のためにヴェイアをお招きになってるのかということです。この《栄えある愛の国》にも、すでに戦の天使はおいでなのに……」
「ラゼオスのことか」
「もちろん」
するとエミディールは、ふいに深い溜息をつく。
こんなことはめったにない。
「エミディール様? 何かあったのですか」
「いや。そうではないが……。じつはこの件、ラゼオスから勧めてきたのだ」
「ラゼオス殿が? どういうことです」
ラゼオスは、《栄えある愛の国》で古くから軍神と祀られる、戦と勝利の天使である。
しかし長年《愛の国》は戦と縁がない。そのため、ラゼオスを信仰する地上人もだいぶ減り、彼の容姿も老けこんできた。
地上から忘れられると、天使の容貌は徐々に老化する。
最近ではラゼオスは、みずから一線をしりぞいた態度を固持している。天界の公式の場にもあまり出ない。
しかし地上人が忘れても、天上人は誰も彼を忘れはしない。
天界のものは皆、いまもラゼオスを老将と慕い、彼に深い尊敬を抱いている。
かつて戦乱の世、ラゼオスは地上人に智恵と勇気と運とをあたえ、侵略者たちから《愛の国》の自立を守った。
ところが、ようやく危機を脱した後、《愛の国》はさらなる危機に陥った。
地上の国は侵略者への憎しみにとりつかれ、自らの力と勝利に酔った。
彼らはまちがった力の行使や無益な暴力、自分より弱い他者への侵略行為に走り始めた。
その酔いから彼らを目覚めさせるため、ラゼオスは再び諸天使の先頭に立って地上人に働きかけたのだ。
いま地上が《栄えある愛の国》と呼ばれるのは彼のおかげだと、天上人は誰もが確信している。
もちろん、スークレヒトも例外ではない。ラゼオスの功績と人柄とを深く尊敬している。
それはエミディールとて同じはずだ。
エミディールがつぶやくように言った。
「老将はな、ご自分の死を意識しておられるのだ」
「なんですって?」
「おまえも知っているだろう。地上の民たちは、すでにこの地の軍神ラゼオスを忘れ去ろうとしている。そして、忘れられた天使は老い、やがては死に至る。それが運命」
「そんな、まさか……」
スークレヒトはしばし呆然とする。
天使も命あるもの。
肉体がないとしても、いずれは死に至る。
天使の実体は、記憶、あるいは人間の呼ぶ「魂」にちかい。
だがその魂すらも、いつかは形をうしない、他と融合し、別のものとしてふたたび生成するのだ。
この世のものはすべて変化する。
とはいえ、地上の命に比べれば、天使の寿命は悠久ともいえる。
スークレヒトは医天使という仕事柄、毎日、人間の死を目の当たりにし、つねに「死」を意識しないではいない。
その彼も、大天使のように形をもつ天使の死を実際にみたことはない。
スークレヒトは内心動揺していたが、なるべく平静をよそおって言った。
「しかし、ラゼオス殿はお元気そうでしたよ。先日お会いしたばかりです」
「うん。それは私もわかっている」
死期が近づいた天使は、「死相」とよばれる翳りが全身にまといつく――
天界人のための医学書にはそう書いてある。
ラゼオスには死相はなかったはずだ。
もちろん、今まで見たことのないものだから、見てもわからなかったということはあるかもしれないが。