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アンセル王子の霊体が、眠っている自分の体のそばに立つ。
深く息を吸った彼は、何を思ったのか、いきなり顔面から肉体にとびこんだ。
「あっ」
天使たちがぎょっとして叫んだときにはもう、王子の霊体は、火花を散らして吹っ飛ばされている。
肉体に融合できず、拒絶されたのだ。
「アンセル様!」
シェリーゼが心配のあまり、悲鳴を上げて彼に駆け寄る。
すると王子はしりもちをついたまま、場違いに爽やかな満面の笑顔を花嫁に向けた。
シェリーゼが彼を助け起こしながら、ぽっと頬を染める。
ギムエが苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと言った。
「アホなのか?」
あながち間違いとはいえないが、そう言い切ってしまうのも気の毒だ。
王子の場合、笑顔は習い性なのである。
それに、気まずすぎて笑うしかない場面というのはあるものだ。ギムエにはないのかもしれないが。
スークレヒトがそう言うと、ギムエは首をかしげる。
「しかしねえ。十年も前から知った仲だろう。なんで今さら、あれで盛り上がるのかね」
「さあ。でも十年といっても、実際に会うのは年に一度がせいぜいだったもの」
「そりゃそうだがね」
けっ、とギムエは舌打ちした。まるで納得できないという顔だ。
スークレヒトだって、言ってはみたものの、そういう機微はよくわからない。
ただ、二人がお互い、まだ相手の人物像に夢を見ているらしいことはさすがに見てとれた。
それはそれとして、スークレヒトの気がかりはアンセルの健康状態だ。
王子の霊体は、すっかり重病患者のように変化している。
透明感と健康的な光沢がうしなわれて、濁った青白い色彩を放っていた。
いまの一瞬で、そうとう生命力を消耗した証拠だ。
ギムエも、それは承知しているのだろう。
二人の世界に入っている花婿と花嫁に歩みよると、アンセルを無視して、ぎろりとシェリーゼを見下ろした。
「次はあんただ。来な、お姫さん」
その一睨みで、シェリーゼは恐怖に硬直する。
彼女の白く細い手首を、ギムエの無骨な手が無理やり引っぱった。
そのときだ。
ジェディスが猛烈な勢いで現れるや、夫をどつきとばした。
「何してんのよ!」
「何しやがんでぇ!」
悶絶する夫には目もくれず、ジェディスは優しくシェリーゼに微笑みかける。
「怖がらなくていいのよ」
そうして、やはりおびえた眼差しでジェディスを見つめるシェリーゼの手をとり、彼女を眠っている肉体のそばへと連れていく。
小天使たちがシェリーゼを包みこみ、強く輝きを増して力をおくった。
それに呼応して、彼女は自分の身を抱くようになめらかに体に入ってゆく。
が、やはり激しい閃光とともに、肉体は霊体を跳ね返してしまう。
今度はジェディスが、シェリーゼの霊体を隙なく受け止めた。
「大丈夫?」
「え、ええ。ごめんなさい。私……戻れそうだったのに、なんだか急に怖くなってしまって」
「謝ることないわよ。惜しかったわ」
「ありがとう。ですけど、私のせいなのです。どうしてだかわからないけれど、急に戻るのが怖くて、戻りたくないと思ってしまったから。それで跳ね返されたの」
大丈夫よ、とジェディスが暖かいいたわりで花嫁を包み込む。
スークレヒトは神妙な顔で、黙ってその様子を観察している。
どうも事態が悪化しているのを感じていた。
天使がこれだけ集中して力を与えているのに、まだ眠りの誘惑のほうが強い。
シェリーゼの目覚めへの恐怖は、この霧の影響だろう。
濃い眠りの霧は、いつ晴れるともわからない。
みな、刻々とその影響を受けている。
もしかすると、ギムエの苛立ちですら、そのせいかもしれない。