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よく見ると、大広間は早くも、阿鼻叫喚のちまたと化そうとしていた。
あっちでもこっちでも、言い争う声や、給仕に文句をつける声、あるいは日頃の教養が滲み出てしまうのか、ダンスとみまごうばかりの地団駄、オペラかと聞きまちがうほどの罵声などが飛びかっている。
どうやら、ケーキから未だ噴出し続けている悪意の霧に、みな影響されているらしい。
めったに見られない光景ではあるが、むろん、高みの見物というわけにもいくまい。
とくに今日は、会場の半数が国外からの来賓だ。
放っておくと、外交問題に発展する可能性がある。
(まずは応急処置だ。配下の小天使を地上へと集めて――)
と、スークレヒトは急に、背中がぐにゃりと曲がるような急激な脱力感をおぼえた。
バランスを崩し、立っていられなくなる。
「おい、どうした」
ダシェルがとっさに手を差し伸べ、支え起こそうとした瞬間。
またしても、スークレヒトの背中で警報が鳴り響く。
同時に今度は数百枚のパネルが、ふたたび殺人的勢いで放射状に飛び出した。
「何すんだよ!」
ダシェルは器用にそれを避けながら叫ぶ。
「スーク。仏の顔も三度って言葉を知ってるよな?」
「ごめん。でもまだ二度目だよ」
「へえ? 覚えとけ。今度やったら、ただじゃ済まさねーからな」
「毎回ちゃんと音が鳴るじゃないか。それより、会場の地上人に異変が起きてる。調べなきゃ」
脱力感がおそったのは、異変を知らせる装置が作動したからだ。
だが、スークレヒトがパネルの生体反応をチェックするまでもなかった。
テレビに映る人々が、まるでさっきのスークレヒトと同じように、次々と倒れ伏していく。
王子も王女も、王たちも、招待客も、皆。
「”眠り”だ」
ダシェルがぽつんと言った。
最後に全体を覆うように立ち込めているのは、深い”眠り”の霧である。
だがそれは、心地よい眠りではない。苦しい悪夢をともなう眠りだ。
スークレヒトは飛び出しているモニターの値を参照した。
たしかに皆一様に、体内レベルが睡眠時の状態に切り替わっていく。
だが、とりあえず、今のところ命に別状はなさそうだ。
それが確認できただけでも、スークレヒトはいささかほっとした。
しかしまだ安心するわけにはいかない。
スークレヒトは急ぎ、地上を巡回中の部下たちに力を送る。
一刻も早く地上人を覚醒させるよう、小天使たちに働きかけるのだ。
スークレヒトが念をおくるのに集中し始めたとき、
「スーク!」
開いた窓から、いきなり女天使がとびこみ、スークレヒトの襟元をひっつかんだ。
「ジェ、ジェディス!?」
それは、結婚の天使ジェディスだった。
「おいコラ、人ん家だぞ、どっから入ってんだよ!」
ダシェルが、この際とんちんかんな文句をつけると、ジェディスも負けじと言い放つ。
「うるさいわね、この役立たず! 何を見張ってたのよ!」
「んだとぉ」
「ちょっと。ケンカは……」
スークレヒトが襟をつかまれたまま仲裁に入ると、ジェディスはダシェルに向かって舌を出す。
「そうだ。あんたを相手にしてる暇ないんだわ。とにかく来るのよ、スーク! 一大事なの!」
言うなり、ジェディスはそのまま空に舞い上がる。
スークレヒトは子猫よろしく首根っこをつかまれたまま、彼女にさらわれ地上へと向かった。