2_05
わけもわからないまま、スークレヒトはエミディールの部屋を訪れた。
「早かったんだな、スーク」
扉を開けると、エミディールはいつもの笑顔で迎え入れてくれる。
が、その後が、いつもとちがった。
つかつかとスークレヒトのほうへ歩み寄った彼女は、彼を素通りして、細めに開けたドアから廊下を左右たんねんに、用心深く見回している。
「あの……エミディール様? どうなさったのですか」
「スーク。おまえ、ダシェルにつけられなかったろうね」
「ダシェルに?」
何を言い出すのだろう。
つけられるどころか、呼び止めてもどこかへ行ってしまったが。
スークレヒトは首をかしげる。
今日はわけのわからないことばかりだ。
「大丈夫かと思いますが。ダシェルに知られるとまずいご相談でも?」
「うん」
エミディールはやけにきっぱり言い切る。
スークレヒトがますますいぶかしんでいると、その表情に応えるように彼女は声をひそめた。
「じつはね、ダシェル本人のことなんだ」
「はい、どういったことでしょう」
「このごろあいつ、すごく変じゃないか?」
「はあ。今に始まったこととも思えませんが」
「そうだけどさ。特にだよ」
「と、仰いますと?」
「ここ何日か、ダシェルのやつ、急に私の執務室に来るようになったんだ。毎日だよ。中天使に降格されて以来、呼ばないかぎり、ここにはめったに顔を出さなかったのに」
スークレヒトはぎくりとした。
ダシェルはたしかに、「エミディールを見張る」という約束を守っているらしい。
それはいいのだが、まさかそんなあからさまな方法をとるとは思いもしなかった。
仮にも諜報のプロなら、もう少しやり方がありそうなものだ。
そんなスークレヒトの心中は知らず、エミディールは熱心につづける。
「しかもさ。何か用があるのかと思えば、それも違うんだよ。ただおしゃべりに来るだけ。わけのわかんないもん持ってさ」
「……」
「そのうえ、ここ二、三日ときたら、私の肖像画を描くとか言って、半日中、居座ってるんだぞ」
「あなたの絵でしたか!」
「は?」
やっとひとつ、謎が解けた。
思わず脱力したスークレヒトに、今度はエミディールが不審そうな表情をする。
「スーク、何か知ってるのか?」
「あ、いえ。……ただ、そのせいで地上の芸術家が困っていると、アスタリア殿が」
「なるほど、当然だね。だけど、私はもっと困ってるんだ。他の客人がきても退席さえしないんだよ。はっきり言って、仕事の邪魔なんだ」
聞いているうちに、スークレヒトはまた胃が痛くなってくる気がした。
「申し訳ありません……」
「スークが謝ることじゃないよ。ただ、何か事情をしらないかと思ってさ。ダシェルとはよく会ってるんだろう?」
「ええ、まあ。ただ……その話は聞いていませんが、」
微妙に目を逸らしながら、スークレヒトは続ける。
「即刻やめるよう、よく言っておきますので……」
それはまぎれもない本心だ。
だいたい、ダシェルの絵のせいでエミディールの宗教画に悪影響が及んだらと思うと、気が気ではない。
しかし、事の次第もスークレヒトの気がかりも知らないエミディールは、彼の言葉に、ほっとしたような明るい表情をみせた。
「本当? 頼むよ。あいつってば、私が怒ったところで全然こたえないんだもん。参っちゃってたんだ。ありがとう、スーク」
まったく礼には及ばない。
良心がとがめたが、結局彼は黙ったままでいた。