03
「クロエ、またため息ついてるわ」
「あ……」
「無意識?」
「あ、はい……」
「……私には無理して屈まなくて良いのよ?」
「僕にもですよ、クロエ姉様? あ、僕の背がまだ低くて話しかけづらかったのならごめんなさい……」
「あ、そんなことは! 私こそごめんなさい……」
ネージェン侯爵家にて、誰もクロエに目線を合わせろだなんて言わない。屈めだなんて、背を丸めろだなんて。
こうして姉弟とのお茶会でも。二人はむしろクロエがどれだけ見下ろしても怒ったりしない。
テレンスと目が合わなくなったのはいつからだろう。背丈は同じだから目線は同じであるはずなのに。
テレンスは学園でも美形として有名になりつつあった。蜂蜜のような金色の髪を肩の片側に流している洒落者だ。その髪を結ぶリボンとネクタイピンは赤味あるオレンジで、彼自身の瞳の色だ。
彼が如何に己の見た目に自信があるかわかるようなもの。
少し垂れ目気味なその瞳がよりいっそう彼の顔立ちを甘やかに見せて、彼の微笑みに黄色い悲鳴をあげる女生徒も少なくはない。
その隣にいるのが黒髪の壁のような女であるから、さらに彼の色彩が際立つとまで、最近は。
彼がこの一年――セリーヌという「姉」が卒業してからは、クロエに黒に近い紺色のドレスばかりを贈ってきたのはこういうことかとわかる人にはわかる。良識ある人々は眉をひそめた。
婚約者としてどうしても隣に立つならば、せめて自分を引き立てる役に立てとテレンスはそうしたのだ。
まるでひっそりとした――影のように。
テレンスはクロエが隣に立つことをそれでようやく許したのだ。
ダンスのときもそれならば自分が目立てると。
彼の美の評判は、もしや隣にいるクロエのおかげではと――聡いものたちは。
互いに婚約者の色を入れていないことにも。
幸いなのは。
青味ある黒髪に、また青味がかった深い緑色の珍しい瞳をしたクロエには「紺色が良く似合ったこと」だろう。
そして嫌がせで贈るとはいえ自分の隣に立つならば見苦しいのはと、テレンスのドレスを選ぶセンスが良かったこと。本当に幸いに。
クロエ本人は意外とかわいいもの好きだから、彼女に任せたらテレンスは違う意味で舌打ちをしていたかもしれない。背が高いくせにフリルが多いかわいらしいドレスは「道化」になっていただろう。自分にないものをひとは好きになるというから、自分にはかわいらしさがないとクロエがそろそろ自覚もした今日この頃。
おかげで壁の花にはなってはいるがそのドレスや髪型などには陰口を叩かれず。髪は侯爵家の侍女の方々のおかげ。
だからこそ、余計に背が目立つともあるが。
「亡きグラフティー子爵様も奥様も、背が高い方だったそうよ」
亡き両親のことを侯爵夫妻は本当に良き友人と思ってくださっていて。
その子らであるセリーヌとエリオットはよく二人から友人のことを聞いていた。
エリオットが十歳を越えたら引き合わせようと計画もされていたが、それが不幸により早まったことに。こんなことなら他の家に何か嫌味を言われても、もっと会いに行けば良かった。贔屓すれば良かったと親たちが後悔したことまで。
「でもその分をクロエの後見に費やそう」
ネージェン侯爵家がグラフティー子爵家を、その領地を預かってくださっていることに、クロエこそ感謝だ。
その感謝の相手の一人。
学園を卒業したセリーヌは来年同じ侯爵位のお家に嫁ぐことになっている。
今はそのための準備で毎日忙しいが、やはりそんな日々にも息抜きは必要。彼女は弟と妹とのお茶の時間を楽しみにしていた。
妹とはもちろん――クロエだ。
彼女はクロエのことを実の妹のように。クロエも感謝とともにセリーヌのことは姉のように。セリーヌ自身から「セリーヌ姉様と呼んで」と言われてもいて。
灰色味ある柔らかな銀髪に濃い紫色をしたネージェン侯爵家の姉弟は美しい。
そんな彼らを一番近くで眺められることをクロエは幸せに感じていた。両親の死という哀しみはもちろんある。けれどいつまでも哀しみに浸ることはできないから前を向くことにしたクロエは、その幸福をありがたく素直に受け入れることにしていた。
「前向きなのは大切です」
尊敬する家庭教師からも。クロエが両親の死をなどを乗り越えて顔を上げたことをほめられたのは嬉しかった。
もちろん、もう少しでセリーヌは嫁いでしまうことは目出度いことだし――自分も学園を卒業したらこのあたたかい侯爵家から出ていくのだけれど。
前向きに顔を上げたクロエが最近またうつむいているのは、そこだ。
親もまた背が高かった。
テレンスが自分を嫌い始めたのはやはりこの背の高さだろう。
学園に入学したときに婚約者の方が背が高かったことを彼はからかわれて、ずいぶんとプライドを傷つけられたらしかった。
思えば彼はその美しさで幼い頃からちやほやされていて。まさかそんなことでからかわれるだなんて思ったこともなかったのだろう。
そして優秀なこともネージェン侯爵のお眼鏡に適い、クロエの婚約者に選ばれたことを――はじめは自慢していた。クロエにも優しかった。
クロエが彼が爵位を得るために大切な存在だと理解していたから。
それにクロエもまたテレンスを必要としていた。クロエの盾となってほしいとネージェン侯爵家がテレンスに望んでいた。
やはり何だかんだ、男世界なのだ。
王太子殿下をはじめとした方々が女性の進出などを後押ししてくださっているが、まだまだ時代はそこまでは。
学園に入学した時のテレンスは確かにクロエより低かったが。男の子と女の子では成長のタイミングが違うのだ。それを親や周りに言われて、婚約を結んだばかりのころはまだ余裕もあったからだ。
テレンスはきちんと――普通に平均的に背が伸びて、本来なら誰かに背が低いとからかわれることはないはずだった。
クロエが隣にいなければ。
クロエもまた、伸びた。
平均以上に。
「クロエ姉様、気にしなくて良いのですよ?」
ネージェン侯爵家の跡取りであるエリオットはクロエのことも「姉様」と呼んでくれるようになった。
確か学園に入学する少し頃で、テレンスが婚約者に決まった頃からだろうか。
跡取りであり、つまり後々まで寄親としてお世話になる彼にそのように慕われることは嬉しくもあるが恐れ多くも。
けれども侯爵家の皆さまの方がエリオットが「姉様」と呼び始めたことにホッとなさって。
クロエと仲良くし始めたことにも。
クロエが侯爵家に引き取られたころは。
始めは親を亡くしたクロエを思い遣っていたエリオットだが。
彼はやがてクロエには何かと突っかかって来ていたのだ。クロエはてっきりセリーヌという姉がクロエを妹として可愛がり始めたことで、セリーヌを独り占めできなくなったことに拗ねているのかと思っていたのだが。
従兄妹たちがそうで。
クロエは小さなころに会ったことがある従兄妹たちがまさにそれで。従兄が取られると思ったのか、従妹に焼き餅を焼かれたことがあったので。可愛らしいエリオットにほのぼのしていた。自分は期間限定の「妹」だから、焼き餅なんて焼かなくても良いのになぁ、と。
ちなみに従妹とはすっかり仲良くなって、逆に従兄に「あの時の焼き餅はなんだったのだ」と今でも呆れられるほどだ。
時間薬とはあるようでクロエのことも「姉様」と。彼は姉が増えたお得感に切り替えたのだろう。
そうなってからはエリオットはがらりと変わり「可愛い弟」となった。
今日もテレンスについてクロエの代わりにプンプン怒っている。
まだ十四歳で来年学園に入学を控えている彼は、クロエと入れ違いの学園生活になることが悲しみだと。
「僕が一緒に通えたら、テレンスを叱ってやりますのに!」
「わたくしもよ! もう!」
昨年までセリーヌが在学中は彼女の目を気にしてか、確かにテレンスはそこまでクロエを蔑ろにはしていなかった。
この一年でまた背が伸びたクロエと目線が同じくなったからだろうか。
それともこの一年で彼がさらに親しくなったマイン伯爵令嬢のこともあるだろうか。
そう……小柄で可愛らしい伯爵令嬢とテレンスは良い仲になっていた。
美しい淡い赤味ある金の髪の少女と。
彼と並んだら――色合いも、何もかもお似合いな。
彼の瞳となんて色が合う少女だろうかと、彼らが並んでいるときにクロエも思ったのだ。
「……いやそれ、浮気だから」
呆れたように。同じ男で、まだ十四歳であるエリオットにもわかることなのに。
そんな彼らの怒りは。
テレンスがクロエに婚約の解消を告げたことで、ますます。
しかも学園を卒業、一ヶ月前に――……なんて非常識で非道いことを。
それはクロエに恥をかかせたいがためだと、彼らには……。
少しずつ登場人物増えていきます。ついてきておくんなさいね。




