第13話「消えゆく残滓と新月の夜明け」
レオンの剣先から放たれた光の波が過ぎ去った荒野は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
先ほどまで大地を埋め尽くしていた数万の魔物の群れは、そのおよそ半数が一瞬にして灰と化し、乾いた風に吹かれて空へと溶けていく。
残された魔物たちの目に宿っていた狂暴な殺意は完全に消失し、代わりに底知れぬ恐怖がその巨体を縛り付けていた。
彼らは本能で理解したのだ。
目の前に立つ小さな人間の青年と、空を覆う巨大な星の竜が、自分たちのような存在が束になっても決して触れることのできない、遥か高みにある生命体であることを。
武器を放り出し、震える足で後ずさりしようとする魔物たちを前にして、レオンは表情を変えることなく次の歩みを進めた。
乾いた土が靴底で擦れる微かな音が、奇妙に反響して荒野に響き渡る。
頭上で羽ばたくティアの青白い鱗から、星屑のような光の粉がさらさらとこぼれ落ちていた。
光の粉が地面に触れるたび、荒れ果てた土が浄化され、黒い瘴気が音もなく消滅していく。
レオンは深く息を吸い込み、肺を満たす空気から血と焦げた肉の匂いが薄れていくのを感じ取った。
次に振るう剣は、命を刈り取るためのものではない。
この地に満ちた異常な熱と、狂気を鎮めるための静かな儀式のようなものだった。
『これで終わらせる』
レオンは静かに目を閉じ、剣を頭上高く掲げた。
ティアから流れ込む澄み切った魔力が、レオンの腕を伝って剣の刃へと集束していく。
それは先ほどのような破壊の光ではなく、夜明け前の空のように優しく、そして冷たい輝きだった。
目を開き、レオンは剣を真上からまっすぐに振り下ろす。
刃から放たれた光の波紋は、水面に落ちた雫のように円心状に広がり、荒野を逃げ惑う魔物たちの体を優しく包み込んだ。
光に触れた魔物たちは、声を上げることもなく、苦痛の表情を浮かべることもなく、ただ静かに砂のように崩れ去っていく。
それは死というよりも、本来在るべき場所へと還っていくような、穏やかな消滅の光景だった。
数回の呼吸の間に、防衛線を脅かしていた黒い濁流は完全に消え去った。
残されたのは、浄化された清らかな大地と、そこに吹き抜ける穏やかな風だけだ。
レオンが剣を鞘に収めると、金属が擦れる静かな音が戦場の終結を告げた。
空を覆っていたティアの巨大な姿が、再び眩い光に包まれて小さく収縮していく。
数秒後、手のひらサイズの愛らしい小竜に戻ったティアが、ふわりとレオンの肩に舞い降りた。
小さな鼻先をレオンの頬に擦り付け、労うように甘い鳴き声を上げる。
レオンはティアの背中を指で撫でながら、振り返って防衛線の城壁を見上げた。
城壁の上に立つ騎士や冒険者たちは、誰1人として言葉を発することができない。
彼らの目は限界まで見開かれ、武器を持つ手は力なく垂れ下がっている。
現実の出来事として受け入れるには、あまりにも規格外の光景を見せつけられたからだ。
静寂を破ったのは、城壁の扉を抜けて駆け寄ってくるアリアの足音だった。
彼女の群青色の乗馬服の裾が風に翻り、銀色の髪が陽の光を受けて煌めいている。
「レオン……」
アリアの声は震え、その琥珀色の瞳には大きな涙の粒が浮かんでいた。
彼女はレオンの前で立ち止まると、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、両手で顔を覆った。
「ありがとう……この国を、守ってくれて」
指の隙間からこぼれ落ちる涙が、乾いた土に小さな染みを作っていく。
レオンは彼女の肩にそっと触れようとしたが、その手にはわずかに魔物の灰がついていたため、静かに腕を下ろした。
「約束通り、僕たちの日常を守っただけですよ、アリア様」
レオンの穏やかな声を聞いて、城壁の上の人々がようやく我に返った。
誰かが歓声を上げ、それが波のように広がって、瞬く間に王都中を揺るがすほどの巨大な歓喜の渦となった。
人々は抱き合い、涙を流し、空に向かって武器を突き上げている。
その光景を見つめながら、レオンの心は不思議なほど静かだった。
数日後、王都の広場には国王の宣言を聞くために無数の群衆が集まっていた。
雲一つない青空から降り注ぐ陽光が、人々の晴れやかな顔を照らしている。
広場の中央に設けられた高い演壇の上には、厳格な表情を浮かべる国王と、その隣に立つアリアの姿があった。
そして演壇の下、無数の視線が突き刺さる石畳の上で、1人の男が地面に額をこすりつけて這いつくばっていた。
かつての高位貴族であり、国を危機に陥れた張本人、ギルベルトだ。
彼の身を包んでいるのは豪華な鎧ではなく、みすぼらしい麻の服だった。
手足は重い鉄の鎖で繋がれ、わずかに動くたびに冷たい金属音が響く。
「私の……私の驕りが、すべての元凶でした。民を危険にさらし、国を滅ぼしかけた罪は、どのような罰も甘んじて受けます」
ギルベルトの掠れた声は、広場の端まで届くよう魔法の道具で拡声されていた。
その声にはもはや自尊心の欠片もなく、ただ自身の愚かさを悔いる絶望だけが満ちている。
群衆からは同情の声は一切上がらず、冷たい視線だけが彼を射抜いていた。
レオンは群衆の最後尾で、木箱の上に座ってその光景を静かに見つめている。
肩のティアは退屈そうにあくびをし、レオンの髪の毛で遊び始めていた。
「あれが、彼が自ら選んだ道の結末だ」
レオンは誰に言うでもなく、小さく呟いた。
迷宮で彼に見捨てられた時の痛みや怒りは、もう胸の奥にはない。
今のレオンにあるのは、自分の足で歩み、大切なものを守り抜いたという確かな自信だけだった。
国王の厳かな声が広場に響き渡り、ギルベルトの全財産の没収と、辺境への永久追放が言い渡される。
衛兵に引きずられていく彼の背中は、ひどく小さく、そして惨めだった。
かつて自分を無能と呼んだ男の末路を見届けて、レオンは静かに立ち上がった。
風が吹き抜け、広場の木々が心地よい葉音を立てる。
『過去はここで終わりだ。これからは、新しい風と共に歩いていく』
レオンは広場の喧騒に背を向け、静かな裏通りへと歩き出した。
彼が向かう先は、冒険者ギルド。
国王からの個人的な呼び出しよりも、1人の冒険者として日常に戻ることを選んだ彼の顔には、これまでで最も穏やかな笑みが浮かんでいた。




