第1話「底無しの迷宮と冷たい背中」
登場人物紹介
◆レオン
かつて無能とされて迷宮に置き去りにされたテイマーだ。
18歳。
隠しスキルである魂の共鳴が覚醒し、伝説の神獣と絆を結ぶことで常識外れの力を手にする。
穏やかで優しい性格だが、不条理な出来事には毅然と立ち向かう。
◆ティア
伝説の神獣とされる天星竜だ。
普段は手のひらに乗るサイズの愛らしい竜の姿をしているが、真の姿は天を覆うほど巨大で比類なき魔力を持つ。
自分を救ってくれたレオンに深い愛情と揺るぎない信頼を寄せている。
◆アリア
王都を治める王家の姫だ。
18歳。
民の生活を自身の目で知るために身分を隠し、冒険者ギルドで働いていた。
レオンの底知れない実力と、権力に媚びない飾らない人柄に惹かれていく。
◆ギルベルト
レオンを追放した高位貴族の青年だ。
20歳。
エリート意識が異常に高く、自分より立場の弱い者を見下す。
自身の失敗から国を危機に陥れ、やがてその大きな報いを受けることになる。
冷たい風が地下深くから吹き上がってくる。
ひんやりとした湿気が肌にへばりつき、肺に吸い込む空気はどこか鉄錆のような血の匂いがした。
ごつごつとした岩肌は不気味な黒色に染まっていて、天井から水滴が一定のリズムで落ちては鈍い音を響かせている。
ここは王都から馬車で数日の距離にある、底知れぬ深さを持つ大迷宮の第5層だ。
松明の炎が頼りなく揺れ、石畳の上に落ちた数人の影を長く引き伸ばす。
先頭を歩く豪華な鎧を身にまとった金髪の青年が、苛立たしげに足音を鳴らして立ち止まった。
貴族の出だというギルベルトの背中は、冷たい迷宮の空気よりもさらに鋭い威圧感を放っている。
彼の振り返る動作に合わせて、磨き上げられた金属の鎧がガチャリと硬い音を立てた。
その鋭い視線が、最後尾を歩いていたレオンに向けられる。
「お前のその役立たずの遊びは、いつまで続くんだ」
鼓膜を叩くような冷ややかな声が、迷宮の通路に反響する。
レオンは立ち止まり、肩で息をしながら顔を上げた。
長時間の探索で手足は鉛のように重く、革のブーツは石の破片を引きずって擦り切れている。
レオンの足元では、テイムしたばかりの小さなブルースライムが主人の不安を察知したのか、小刻みに震えていた。
ギルベルトの目は、そのスライムを汚物でも見るかのように細められている。
「俺たちが相手にしているのは、一撃で人間の骨を砕くような獰猛な魔物だぞ」
ギルベルトはため息をつきながら、剣の柄に手をかけた。
「それなのに、お前が従魔にできるのは、そんな泥の塊や小鳥のような虫けらばかりではないか」
レオンは唇を噛みしめ、言い返す言葉を探した。
テイマーという職業は、心を通わせて魔物を仲間にする。
しかし、レオンの力はなぜか小さな魔物にしか届かず、強力な戦闘力を持つ魔物と契約することができなかった。
荷物持ちとして、あるいは罠の警戒役として必死にパーティに貢献しようとしてきたが、ギルベルトたち高ランク冒険者から見れば、それはただの足手まといに過ぎない。
「申し訳ありません、ですが僕も索敵や荷物の管理で役に立てるように……」
レオンの声は、洞窟の奥から響く低い地鳴りのような音にかき消された。
「もういい、お前の顔を見るのも限界だ」
ギルベルトは嫌な顔をして、あごで暗い通路の奥をしゃくった。
「この先には狂暴なオーガの群れが巣食っている」
その言葉の直後、通路の奥から生臭い風が吹き抜けた。
獣の唸り声と、重い足音が岩を叩く振動が足の裏から伝わってくる。
松明の光が届かない真っ暗な空間から、赤い光を宿した無数の目がこちらを覗き込んでいた。
空気が急激に冷え込み、肌の表面に粟立つような感覚が走る。
『こんな数の魔物を相手にするなんて、いくらギルベルトのパーティでも無事では済まない』
レオンは杖を握り直し、後退しようとした。
しかし、その背中に硬い何かが押し当てられる。
振り返るよりも早く、強い力がレオンの体を前に突き飛ばした。
バランスを崩したレオンは、石畳の上を無様に転がる。
膝を強く打ち付け、じんわりとした痛みがズボン越しに広がっていく。
顔を上げると、ギルベルトとその取り巻きたちが、冷たい目で見下ろしていた。
「ちょうどいい、お前が少しでも役に立つ時が来たようだ」
ギルベルトの口角が歪み、残酷な笑みが浮かぶ。
「せいぜい大きな声で叫んで、魔物たちの注意を引いてくれ」
それは、レオンを囮にして自分たちが安全に逃げるという宣言だった。
周囲の仲間たちも、誰一人としてレオンを助けようとはしない。
彼らは無言のまま戻る決断を下し、素早い足取りで迷宮の入り口方向へと歩き去っていく。
松明の光が徐々に遠ざかり、レオンは深い闇と魔物の群れに取り残された。
「待って……置いていかないでくれ」
かすれた声は誰にも届かない。
オーガの巨体が闇の中から姿を現し、血に飢えた息を吐き出す。
鋭い爪が空を切り裂き、レオンの肩を深くえぐる。
焼けるような痛みが全身を駆け巡り、熱い血が服を濡らして石畳に滴り落ちた。
鉄錆の匂いがさらに濃くなる。
逃げる場所もないまま、巨大な腕がレオンの体を吹き飛ばした。
宙を舞った体は、迷宮の床にぽっかりと開いた深い亀裂へと吸い込まれていく。
底の見えない縦穴に落ちていく中、耳元で風が咆哮のように轟く。
痛みが極限に達し、全身の感覚が麻痺していく。
最後に見たのは、はるか上方に小さく残る、薄暗い迷宮の天井だけだった。
やがて視界は完全に真っ黒に塗りつぶされ、音も光もない世界へと沈んでいった。




