誤字は世界を壊すので修正します!〜校閲者の私が異世界で王子の死亡フラグを書き換えたら恋が始まりました〜
誤字は、世界を壊す。
それが私──三浦栞の信条だった。
出版社で校閲として働く私は、今日も赤字を入れていた。
てにをはの乱れ。主語の不一致。設定の矛盾。
──そして、運命の一文。
「王子は毒を飲み、静かに息絶えた。」
「……いやいやいや、“静かに”って何?」
毒殺なのに描写が曖昧。伏線もなし。
しかも、この章で息絶えたはずの王子が次の章で謎に復活している。
これはダメだ、構造的に破綻してる。
そう思って、赤ペンを入れた瞬間。
視界が、白く弾けた。
⸻
気づいたとき、私は石造りの部屋にいた。
「……えっ何?ここどこ!?」
目の前には、ベッドに横たわる青年。
顔色は悪く、呼吸は浅い。
そして、脳裏に浮かぶ“文章”。
「王子は毒を飲み、静かに息絶えた。」
──さっき校閲していた一文。
「ちょっと待って」
私は状況を即座に整理した。
・ここはあの原稿の世界
・目の前の青年は“王子”
・このままだと死ぬ
つまり、“誤りだらけの物語”の中に入り込んでしまったってこと?
「とりあえず、この状態を何とかしないと」
私は王子の口元を確認する。
唇に残るわずかな黄土色の粘性の液体。
これはたぶん、遅効性の毒?
以前、ミステリー小説の校閲を担当した時に同じような毒を見たことがある。
匂いはニンニクに近い。遅効性の神経毒の特徴と一致する。
「まず、“静かに”じゃなくて、“呼吸困難に陥り、意識を失って”が正しいでしょ」
口に出した瞬間。
文章が、書き換わった。
──王子は毒により呼吸困難に陥り、意識を失った。
「なるほど、記述が現実に反映されるのね」
あ、でもこれだと死ぬ展開は変わらないじゃない!
まずい。ここままじゃ私が犯人扱いされる。
それに校閲していた小説では、この後王子は理由なく復活していたはず。
なら──
「“王子は毒により呼吸困難に陥り、意識を失ったが、運良くその場に偶然居合わせた者により適切な処置が施された。そして、一命を取り留めた。”でしょ」
適切な処置とぼかした所が大量の水洗浄だったために、王子のベッドはビシャビシャにしてしまったが、顔色はわずかに良くなった。
私は緊急事態を乗り越えて、ホッと安心したのと同時に確信した。
この世界、文章を書き換えれば現実が変わるのだと。
⸻
「誰だ……お前は」
低い声が上から聞こえる。
どうやら私は、王子をベッドからソファに運んだところで、力尽きて寝てしまったらしい。
目を開けると、ソファで寝ていた王子が私を見ていた。
鋭く光る赤い瞳に、整った顔立ち。キラキラ光る黄金の髪。いかにも“主人公”という造形。
「校閲者です」
「……は?」
当然の反応だ。
死にかけたと思ったら部屋に不審な人物がいるのだから。
私もどういう理屈でこうなったのか全く分からないが、私が説明するしか無いのだろう。
思わずため息がでてしまう。
「あなたはさっき死ぬ予定でした」
「予定……?」
「でも、その描写が雑だったので修正しました」
沈黙。
王子はしばらく私を見つめて──
「……意味が分からん」
「ですよね。でも事実です」
私は淡々と説明する。
この世界は私が校閲していた小説の世界であること。
王子に使われた毒の種類と症状。
そして“文章の不整合”を私が修正したことで、王子は死ぬ予定を回避できたこと。
王子は最初、頭のおかしな奴を見る目で私の話を聞いていた。
けれど、本人しか知りえないことを私が口にしはじめると、徐々に態度を変えて理解しようとし始めた。
「……つまり、お前は」
「物語の“バグ取り”担当です」
「……妙だが、筋は通る。その黒髪黒目もこの国で見たことが無いしな。」
彼はゆっくりと上体を起こした。
「助けられたのは事実だ。礼を言う」
「どういたしまして」
──そのときだった。
彼の視線が、私に固定される。
まるで、何かを確かめるように。
「お前……やはり異世界から来ているのだな」
彼はゆっくりと手を伸ばす。
「触れているのに、どこか現実感がない。この世界に馴染んでいない雰囲気がある。」
指先が、私の頬に触れた。
「夢を見ているみたいだ」
そのまま、目を細める。
「……だからだろうな」
「?」
「気を抜いたら、お前が消えてしまいそうで」
一瞬、言葉を選ぶように間があって──
「それが、妙に嫌だと思った」
「……え?」
⸻
それから数日。
私は王子──レオンの側にいた。
物語は相変わらず粗が多く、細かい修正を繰り返す日々が続いている。
修正を重ねるたび、世界は滑らかに変わっていく。
「また何か見つけたのか」
「はい。小さい違和感ですけど」
軽いやり取りも、少しずつ自然になってきていた。
最初の警戒は、もうない。
その日の午後。
王城の回廊を、レオンと並んで歩く。
「護衛が増えたな」
「はい。ちょっと気になる記述があって」
脳裏に浮かぶ文章。
──王子は護衛に囲まれていたため、安全だった。
「“安全だった”って、結果の断定なんですよね」
「断定?」
「はい。どう守られているかが曖昧で」
校閲として、こういう文章は見過ごせない。
「“王子は十分な護衛に囲まれていたため、安全が確保されていた。” ──こっちの方が正確です」
言葉にした瞬間。
世界が、わずかに軋んだ。
⸻
次の瞬間。
「……囲まれているな」
レオンの声が低くなる。
前後の通路が塞がれていた。
護衛の数が増えたことで動きが制限され、その隙を縫うように黒衣の影が現れる。
「伏せろ!」
剣が閃く。
混乱。
護衛同士が干渉し、連携が崩れている。
「っ……!」
レオンが前に出た瞬間、肩に浅い傷が走った。
「レオン!」
血が滲む。
理解が追いつく。
──私の修正のせいだ。
「安全を“確保した”はずなのに……」
喉が詰まる。
正しさが、裏目に出ている。
「私が……」
「栞」
低い声が、思考を断ち切る。
「顔を上げろ」
「でも、これ……」
「違う」
迷いのない否定。
「お前がいなければ、俺はとっくに死んでいる」
言葉が、真っ直ぐに落ちてくる。
「間違えたなら、直せばいい。それがお前の役割だろう」
──そうだ。
私は、校閲者だ。
「……修正します」
息を整える。
「“護衛に囲まれていたため” ──この因果、いらない」
言葉を削る。
「“王子は周囲の異変に気づき、自ら動いた” ──これで」
世界が、書き換わる。
⸻
レオンの動きが変わる。
迷いのない踏み込みで敵の懐へ入り、均衡を崩す。
「道が開いた、行くぞ!」
手を引かれ、駆け抜ける。
気づけば、包囲は崩れていた。
⸻
静寂が戻る。
「……助かった」
短い一言。
私は、ようやく息を吐いた。
「……ごめん」
小さく言う。
「私の修正、間違ってた」
少しの沈黙のあと。
「そうだな」
レオンはあっさり認めた。
だが、そのまま続ける。
「最後は、ちゃんと直した」
胸の奥が、熱くなる。
「……怖かった」
正直に言う。
「正しいと思ったのに、逆に悪くなるなんて」
「当たり前だ」
レオンは静かに言う。
「完璧な人間なんていない」
そして、わずかに笑った。
「だから、隣にいるんだろ」
言葉が出ない。
ただ、その距離が少しだけ近くなった気がした。
⸻
「今日も来たのか」
「仕事ですから」
「本当にそれだけか?」
以前なら軽く流されていたはずの言葉が、少しだけ意味を持つ。
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だ」
レオンは小さく笑う。
「……なあ、栞」
「はい」
呼び方も、変わった。
「お前は、いつまでここにいる」
その問いに、胸がわずかに軋む。
分かっているからだ。
物語が“正しくなれば”、私は不要になる。
「……分かりません」
少しだけ、視線を逸らす。
「そうか」
レオンはそれ以上、何も言わなかった。
けれど、ふとした瞬間に距離が近い。
書類を覗き込むとき。
歩幅を合わせるとき。
何気なく、手が触れそうになるとき。
そのどれもが、以前よりも自然になっていた。
「……また何か直すのか」
隣から覗き込まれる。
「はい。細かい違和感ですけど」
そう答えながら。
私は、ほんの少しだけ思ってしまう。
──この時間が、続けばいいのに。
⸻
そして、終幕は来た。
黒幕の動機を補強し、伏線を整理し、
全ての因果関係を修正したとき。
頭の中に、最後の一文が浮かぶ。
──物語は、正しく完結した。
「……ああ、終わりか」
私は小さく呟く。
体が、少しずつ透けていく。
「帰るんだ、私」
そのとき、腕を掴まれた。
「行くな」
強い力で振りほどけない。
「離してください、レオン」
「嫌だ」
即答だった。
「お前がいない世界に、意味はない」
「それ、論理破綻してます」
「知るか」
彼は私を引き寄せる。
距離が、ゼロになる。
「……俺は、お前が好きだ」
心臓が、強く跳ねた。
「だから」
彼の声が、震える。
「物語がどうとか、関係ない。残れ」
私は、目を閉じた。
そして──
口を開く。
「……誤字、見つけました」
「は?」
私は微笑む。
「最後の一文、“完結した”じゃないです」
そして、はっきりと言った。
「“続く”です」
⸻
世界が、書き換わる。
──物語は、まだ続いている。
消えかけていた体が、元に戻る。
レオンが、息を呑む。
「……お前」
「校閲者なので」
私は肩をすくめる。
「ハッピーエンドの定義、勝手に決めないでください」
沈黙。
そして──
彼は、笑った。
心から。
「……敵わないな」
「でしょう?」
次の瞬間。
軽く、でも確かに。
唇が触れた。
「これも修正か?」
「いいえ」
私は答える。
「これは、“修正”じゃない。──“加筆”です」




