第9話 有希がいなくなった日
その日は、夕焼けがやけに赤かった。
「有希、まだ帰ってない?」
浩太の声は、いつもより小さかった。
「え?」
礼は洋館の門の前で立ち止まる。
「友だちの家行くって言ってたのに、どこにもいないんだ」
浩太の母も、心配そうにあたりを見ている。
礼の胸が、ざわりとした。
「……どこ行った」
*
空気が、妙に冷たい。
礼は目を閉じる。
ほんの少しだけ、冥界の感覚を開く。
――命の灯。
人の気配。
小さく、弱い光。
川のほう。
「浩太」
「なに」
「川だ」
「え?」
礼は走り出した。
*
夕暮れの川辺。
草むらの奥。
「……ゆき?」
小さな声が返る。
「ここ……」
有希は、段差で足をくじいて座り込んでいた。
「ばか!」
浩太が駆け寄る。
「さがしたんだぞ!」
「ごめん……」
涙ぐむ有希。
礼は、息をついた。
だが、その目は鋭い。
川の流れが、少しだけ強い。
もし、あと一歩ずれていたら――。
礼の背中に、黒い影が揺れた。
*
「……人間は、危なっかしい」
ぽつり。
浩太が振り向く。
「レイ?」
「なんで一人で来る」
「……夕焼け、きれいだったから」
有希は小さく笑う。
「ちょっとだけ、見たかったの」
礼は言葉を失う。
怒るつもりだった。
叱るつもりだった。
でも。
その顔は、ただの子供だった。
*
礼は、そっと手を伸ばす。
「立てるか」
「うん」
ほんの一瞬。
礼の指先が、淡く光る。
足の痛みが、すっと和らぐ。
「え?」
「……気のせいだ」
監視役が、少し離れた場所でため息をついた。
「使いすぎるな」
「わかってる」
でも。
礼の声は、どこか震えていた。
*
帰り道。
「心配したんだからな!」
浩太が怒鳴る。
「ごめんなさい」
「……もう一人で行くなよ」
「うん」
有希は、礼のほうを見る。
「レイくんも、来てくれてありがとう」
「……べつに」
そっぽを向く。
でも、耳が赤い。
*
夜。
洋館の屋根の上。
礼は空を見上げる。
「今日、落とさなかったな」
監視役が隣に立つ。
「……誰を」
「世界をだ」
礼は、黙る。
もし有希に何かあったら。
自分はどうしていただろう。
冥界に引きずり込む?
運命をねじ曲げる?
「……怖かった」
ぽつり。
「守りたいと思ったか」
「……うるさい」
でも、その否定は弱い。
遠くで、浩太の家の明かりが灯っている。
あたたかい光。
小さな命の灯。
礼は目を細めた。
「……なくなるの、やだな」
「だから、おまえはここにいる」
監視役の声は、やわらかかった。
死神の子供は、今日もまた知る。
命は奪うものではなく、
守りたくなるものでもあることを。
夕焼けは、ゆっくりと夜に溶けていった。




