第5話 見てはいけない視線
その夜は、やけに静かだった。
風もなく、雲もなく、
月だけが、じっと洋館を照らしている。
神谷浩太の父親は、縁側に座っていた。
湯のみから、ゆっくり湯気が立ちのぼる。
視線の先には――
となりの洋館。
(……妙だ)
昼間の出来事が、頭から離れない。
伸びる階段。
揺れる窓。
そして――
あの子供。
*
一方、洋館の中。
「今日の宿題、めんどくさ……」
礼は机に突っ伏していた。
「人間は、なぜ計算などする?」
「必要だからだ」
監視役が即答する。
「冥界では必要なかったぞ」
「その結果が今だ」
「それ昨日も言った!」
礼はぶつぶつ言いながら、鉛筆を動かす。
だが、ふと。
手が止まった。
「……」
「どうした」
「……なんか、見られてる気がする」
監視役は静かに窓を見る。
「気のせいだ」
「でも」
礼は立ち上がり、カーテンを少しだけ開けた。
月明かり。
その向こうに、
人影。
*
浩太の父親は、確かに見ていた。
ほんの一瞬。
礼の横顔が、月光に照らされた。
その目が――
きらり、と光った。
ほんの一瞬。
見間違いかもしれない。
だが、確かに光った。
(……やはり)
父親の手が、無意識に拳を握る。
脳裏に浮かぶのは、
押し入れの奥にしまわれた刀。
古いお札。
数珠。
しかし。
(まだだ)
そう、小さくつぶやいた。
*
洋館の中。
「……いた」
礼がぽつりと言う。
「誰だ」
「浩太の父ちゃん」
監視役は黙った。
「なんか、イヤなんだよな。あの人」
「殺気を感じるか」
「さっきより、強い」
礼は窓から目を離す。
「……オレ、なにかした?」
「していない」
「でも、見られてる」
その声は、少しだけ不安を含んでいた。
*
翌日。
「レイ、今日も学校な!」
浩太はいつも通り、元気だ。
有希も手を振っている。
父親は、玄関先で軽く会釈した。
「おはよう」
「……おはようございます」
礼は、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
視線が合う。
ほんの一瞬。
空気が、冷える。
だが、父親は微笑んだ。
「仲良くしてやってくれ」
「……うん」
浩太は気づかない。
有希も気づかない。
だが、礼だけは分かっていた。
(あの人、オレを見てる)
*
その夜。
「どうする」
監視役が低く言う。
「どうするって?」
「退魔師だ」
礼は、きょとんとする。
「たいまし?」
「……いや、忘れろ」
「なにそれ。気になる」
「気にするな」
礼はふくれた。
「オレ、なにも悪いことしてないのに」
「それを証明するのが、お前の修行だ」
「……めんどくさ」
だが、礼は少しだけ考える。
もし――
もし正体がバレたら。
浩太はどう思うだろう。
有希は。
学校のみんなは。
胸の奥が、ぎゅっとなる。
「……バレたくない」
ぽつりと、礼はつぶやいた。
監視役は何も言わなかった。
ただ静かに、洋館の灯りを消す。
外では、月がまだ、
すべてを見ていた。




