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第7話 寡黙なる賢者の神殿にて『十五穀米と彩り豊かな野菜デリ』の福音を

 戦場とは、荒野やダンジョンにのみ存在するものではない。

 清潔に磨き上げられた床、24時間絶えることのない光、そして「いらっしゃいませ」という詠唱が響き渡るこの場所──コンビニエンスストアこそが、現代における最も過酷な聖戦の地である。


「……ふふ、美しい。この黄金色の輝き、まさに女神サマの愛そのものやね」


 レジカウンターの横に鎮座するガラスの聖櫃せいひつ

 その中で暖かな光を浴びて整列する『うま塩チキン』たちの姿に、うっとりと目を細めた。

 あふれ出る肉汁の予感、スパイシーな衣の香り。それは労働という苦行に耐える者だけが許される、禁断の果実。


「おい、『ハナ』。チキンに見とれてねぇで手を動かせ。もうすぐ昼のピークが来るぞ」


 背後から低いダミ声が響き、現実に引き戻される。

 こちらを『ハナ』と呼ぶ人物は、この『まんぷくマート』の主であり、衣食住を与えてくれる大家──権堂宗一郎(ごんどうそういちろう)さんだ。

 首に巻いたタオルと鋭い眼光。その佇まいは、数多の修羅場を越えた歴戦の傭兵を彷彿とさせた。


「申し訳ありまへん、大家はん。あまりにチキンが魅惑的に語りかけてくるもさかい、つい魂の対話を試みとりましたの」

「チキンは喋らねぇよ。あと店ではオーナーと呼べ。ほら、レジ打ちだ。お前さんが表に出ていないと、客が『あの糸目のお姉さんは休みか』って、ガッカリした顔で帰っちまうんだよ」

「ふふ、寂しがられるやなんて、うちも罪な女どすなあ。迷える子羊たちを笑顔で迎えるのも、この神殿を預かる聖女……いえ、店員としての大切なお勤めいうことですなあ。任せておくれやす」

「……お前さんのその胡散臭い笑顔と喋りが、客には受けがいいから不思議だ。ほら、昼休みのサラリーマン共がなだれ込んできたぞ。今日のおすすめは『肉汁爆弾メンチカツ』だってことを、忘れず伝えろよ」

「心得ました。その芳醇なる肉の輝きと黄金の衣が織りなす福音を、一人でもぎょうさんの迷えるお腹に届けるために、うちの言葉のすべてを神聖なるレジカウンターにて捧げまひょ」


 背筋をスッと伸ばし、糸目をさらに細めた。

 バーコードリーダーという魔法の杖を手に取れば、押し寄せるお会計の荒波も、慈愛に満ちた微笑みで迎え撃つ準備は万全だ。

「ピッ」という軽快な電子音が店内に響き渡る。これは、この世界における等価交換の儀式そのものだった。


「おっ、お姉さん!今日も絶好調だね!」


 押し寄せる人波を割るように、ポニーテールを跳ねさせて一人の少女が飛び込んできた。

 先日、路地裏で猫との和解を助けてくれた、若き活発なる武人──龍崎千怜だ。

 その漲るエネルギーに、レジ越しの空気さえも僅かに震えた。


「おやおや、チサトはん。今日は一段と眩いエネルギーを全身から放出しとりますなあ。さては、修行という名の部活動で、さらなる高みへ至るための糧をお求めなんかいな?」

「あはは、正解!今日は弓道部の遠征があるからさ、腹が減ってはなんとやらだよ!なんだかお姉さんと出会ってからさ、今まで以上に食欲が止まらなくなっちゃって。これ、絶対お姉さんの影響だよ。だから……えーっと、今日のおすすめ、これだね!『肉汁爆弾メンチカツ』!二つちょうだい!」

「二つ……!さすがはチサトはん、肉汁という名の福音をダブルで享受しようとは、慈悲深いことこの上なしどすなあ。この黄金の衣の中に秘められし爆発せんばかりの旨味の洗礼……しっかりとその身に刻んでおくれやす」

「期待してるよ!はいこれ、お財布スマホでピッ、だね!」


 軽快な決済音。チサトさんは満足げにメンチカツを受け取り、店を後にした。

 屈託のない笑顔の余韻が残る。殺気立ったオフィス街の風景さえも、一瞬だけ春の陽光へ変えてしまう魔法のようだった。


「次の方、どうぞ……。あらまあ、これはまた……。涼やかな風が吹き込んできたようどすなあ」


 チサトさんの次に並んだのは、どこかストイックな空気を纏った少女だった。

 同じ制服を着ているが、先程の彼女とは対照的に微塵も隙のない佇まいだ。

 その瞳は鋭く、冷徹にして誠実。見る者を射抜くような力強さを秘めている。


「……精が出るな。会計を頼む」


 カウンターに置かれたのは、一本の野菜ジュースと、牛乳パン。

 無駄を削ぎ落とした選択だ。

 自らに課せられた任務を完遂するための、最も合理的な補給なのだろう。


「あんさんのそのお姿、いつ見ても凛々しうて、うちの魂も浄化される思いどす。これこそがあんさんにふさわしき回復の供物やねえ」

「……客の顔をいちいち覚えているのか。あんた、やはり只者ではない」

「ふふ、お安い御用どす。ピッ、と。はい、これで完了どす。あんさんの行く手に、穏やかなる導きと、清冽なる力が共にあらんことを……」

「……感謝する」


 短い謝辞を告げ、彼女は風のように去っていった。

 それを見送るチサトさんと目が合うと、彼女は面白そうに首を傾げてみせた。


「ねえねえ、あの子もハンナリエルさんの友達?すっごくカッコいい雰囲気だったけど!」

「ふふ、チサトはん。彼女は聖なる湯を統べる若き騎士サマ……のようなお人どす。あんさんとも、いつか不思議な縁で結ばれる気がしますなあ。……あ、後ろがつかえとります。またどこかで美味しう食べましょ」

「そうだね!じゃ、行ってくるよ!」


 活発な声と、静かな余韻。

 二人の少女が通り過ぎた後のレジカウンターは、心なしかいつもより神聖な空気が漂っている気がした。

 だが、戦場はまだ終わらない。


「ピッ、ピッ、ピッ」

「ふふ、お疲れどすな。その手に握られた黒いお茶は、荒ぶる脂肪を鎮めるための聖水なんかいな。せやけど、魂の渇きはそれだけでは癒えまへんよ」

「えっ?あ、はい。……いや、仕事が立て込んでて、つい。……で、なんですか、魂の渇きって?」

「この『肉汁爆弾メンチカツ』見てみい。今なら揚げたての福音が、たったの百六十円いう慈悲深いお値段で、あんさんの胃袋に救いをもたらしてくれるで」

「救済……。そういえば朝から何も食べてなかったな。……じゃあ、それも一個ください。あと、お姉さんのその喋り方、なんかクセになるね」

「おお、賢明な選択やなあ。この一口が、あんさんの午後の戦いに勝利の輝きをもたらしますように。……ふふ、温かいうちに召し上がりなはれ、迷える戦士サマ」


 袋に詰め込まれたメンチカツから、暴力的なまでに芳醇な香りが立ち上る。

 それを見送るこちらの胃袋もまた、小さな落雷のような音を立てて共鳴した。


「……ハナ、客を煙に巻くのもいいが、手が止まってるぞ。……あとで一個、廃棄が出そうになったら回してやるから、今はしっかり稼げ」

「オーナーはん、そのお言葉、うちにとっては神託も同然ですわ。さあ、次のお客サマ、聖なるレジへどうぞお越しやす!」


 ピッ、ピッ、ピッ。


 それからしばらくして、怒涛のようなピークタイムが過ぎ去り、店内にようやく静寂が戻ってきた。

 外を歩く人の影もまばらになり、空気中に漂っていた熱気も、空調の冷気に押し流されていく。


「……ふう。これでひと段落どすなあ。女神サマもびっくりの働きもんや。うちの足が今にも棒になりそうやわあ」

「お疲れさん、よくやった。……ハナ、裏に来い。『勝負の時間』だ」


 低く響くオーナーの声に、死にかけていた意識がパチリと音を立てて覚醒した。

『勝負の時間』。

 それは何よりも神聖で、残酷で、そして甘美な儀式。

 廃棄という、失われるはずだった福音が、この手元へと届けられる至福の瞬間だ。


「オーナーはん……。いよいよ、その時が来たんどすなあ。うち、そのお言葉をずっと待っとったんやで」

「いちいち大げさなんだよ。……ほら、今日のはこれだ。時間はちょっと過ぎたが、まだ味は落ちちゃいねぇ。しっかり、供養してやってくれ」


 事務所のテーブルに置かれたのは、一つの小さなパック。

 それは先程まで、その神々しさを褒めちぎっていた『うま塩チキン』。

 そして、端が少し潰れてしまった、女性に不動の人気を誇る『十五穀米と彩り豊かな野菜デリ』。

 時間が経てば「不良品」として疎まれる運命にある彼らも、等しく輝く星々に見える。


「オーナーはん……あんさんは、絶望の淵に立たされたうちの魂に、再び希望という名の火を灯してくれはりました。形は崩れても、その内に秘めた美味なる本質は変わらへん……」

「……八江から相談を受けた時は、とんだ厄介者を押し付けられたと思ったんだがな。お前さんがメシを眺める時の『ツラ構え』は、いつ見ても変わらん」


 ぶっきらぼうな物言いの中に信頼の響きを潜ませ、オーナーは使い古された折りたたみ椅子に腰掛けた。

 無機質な事務所の空気は少しひんやりとしていて、漂う揚げ物の匂いがいっそう濃く感じられた。


「ふふ、ツラ構え、どすか。オーナーはんには、うちの内に秘めたる情熱が見えてしもうたんですなあ。隠しとったつもりやったんですけど、やっぱり食欲は隠しきれへんもんやね」

「最初っから隠せてねぇよ。ハナの目は、獲物を狙う獣か、あるいは土俵際で逆転を狙う勝負師のそれだ。……よく食う奴は、よく働く。それが俺の持論だ。食うことに必死になれねぇ奴に、いい仕事はできねぇからな」


 オーナーの鋭い眼光が、糸目を射抜く。

 一見すれば恐ろしいその視線の中に、不器用なまでの信頼と、ある種の親愛が混じっているのを見逃さない。


「そのお言葉、身に沁みますわ。うちの故郷でも、『満腹こそが平和の礎』なんて言葉がありましたさかい。お腹が空いとったら、祈る言葉も途切れてしまいますし、なにより、ロクなこと考えまへん」

「……だろうな。この弁当は、この店での『勝負』に負けた奴らだ。だが、味は俺が保証する。中身を粗末にするんじゃねぇぞ。お前さんがそれを引き受けることで、こいつらは救われるんだからな」


 まずは『うま塩チキン』の袋へと導かれるように手を伸ばした。

 指先から伝わる微かな温もり。

 冷えた事務所の空気の中で、それは何物にも代えがたい救済の証に思えた。


「いただきます。……はふっ、んんぅ……!」


 サクッ、と衣が弾ける祝福の音が、静かな室内に響き渡る。

 瞬間に溢れ出したのは、塩気が効いた濃厚な肉汁と、後から追いかけてくるペッパーの刺激的な香りだった。

 舌の上でじゅわりと解ける肉の繊維。

 厳しい修行に耐え抜いた聖女の魂さえ、一瞬で堕落させてしまいそうなほどの、純粋にして暴力的な旨味だ。


「……ふふ、あきまへん。この一口で、今日一日の苦労が全部、黄金色の脂と一緒に溶けていくみたいやわ。オーナーはん、これ、ほんまに『負けた奴ら』なんですやろか?勝利の味しかせえへんのやけど」

「当たり前だ、店の看板商品だからな。不味いもんを置いてるつもりはねぇ。ハナ、お前さんはメシを食ってる時だけは、本当にいいツラしてやがる。普段の胡散臭い笑顔より、よっぽどマシだ」


 次は『十五穀米と彩り豊かな野菜デリ』へと箸を伸ばす。

 健康志向を謳うその彩りは、肉の脂で満たされた口内を、まるで初夏の風のように爽やかに吹き抜けていった。


「お米の粒一つ一つが、大地の恵みをぎゅっと凝縮しとるみたいや……。野菜のシャキシャキした食感も、まるで生けるものたちの生命の鼓動を聞いとるような気分になりますなあ」

「食レポはいいからさっさと食え。ハナが住んでるあの部屋のためにもな。家賃の滞納は許さねぇぞ。いいな?」

「心得ておりますわ。この聖なる神殿を預かり、人々に福音――もとい、利便性と食事を届けること。それがうちの、この世界における新たな修行どす。……ふふ、オーナーはん、今後ともよろしくお願いしますえ」


 最後の一粒まで丁寧に平らげ、深く、深く、ため息をついた。

 胃袋から広がる確かな満足感。

 それは、異世界で強大な魔力を行使していた頃には決して味わえなかった、泥臭くも愛おしい『生』の実感。


「……ふう、ごちそうさまどした。さて、エネルギー充填も完了したことですし、のーちょの更新でも始めましょか。今日のテーマは、『神殿の奥底で出会った、寡黙なる賢者と黄金の福音』……これで決まりやね」


 空になったパックを名残惜しそうに片付ける。

 まだ見ぬ明日の美食に想いを馳せれば、自然と指先が踊り始めた。


【タイトル:[嘆息]勝負に敗れし鶏に捧ぐ鎮魂歌。寡黙なる賢者が授けた『十五穀米と彩り豊かな野菜デリ』という名の救済について】


『――敗者にも、輝く瞬間は訪れるのです。廃棄という運命を背負った彼らが、わたくしの胃袋という聖域で再び命を燃やす時、その味わいは勝利の美酒よりも深く、五臓六腑に慈愛を染み渡らせるのです』


 この文字の一つ一つが、誰かの空腹を刺激し、そして誰かの心を温める灯りになることを願って。

 聖女の胃袋を賭けた冒険は、まだ始まったばかりなのだ。


 #十五穀米と彩り豊かな野菜デリ #うま塩チキン #フードロス救済 #聖女のアルバイト


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