第59話 種子の旅路と師弟の祈り
【修正済み】下書きが読める状態になっておりました。
ご迷惑おかけしました。
年末の商店街は、歳末セールの活気に満ちていた。
その人混みの中をゴンドウさんの隣を歩いていた。
「ゴンドウはん。本日はお忙しいところ、お付き合いいただきありがとうございやす」
「構わん。で、何を買い揃えりゃいいんだ」
ゴンドウさんが使い古したジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに訊いた。
肩の上では、んにゃ丸──の姿をした師匠が、電子の瞳をきょろきょろと動かしている。
「ジャガイモ、サツマイモ、大豆、稲、小麦の種子。土地を選ばず成長しやすいものを。それからリンゴやレモンの苗木を」
「種子はホームセンターで手に入る。苗木は……知り合いの農家に当たってみるか」
「おお、さすがゴンドウはん。頼りになりやす」
「で、何に使うんだ」
一瞬、身構えた。
けれどゴンドウさんはこちらの顔を見て、すぐに片手を振った。
「……いや、聞かねぇ方がいいな。お前さんのことだ、変な理由じゃねぇんだろ」
「ゴンドウはん……」
「知らない方がいいこともある。俺はそういう主義でな」
それだけ言ってゴンドウさんは足を速めた。
背中で語る人だ。問わない。ただ、力を貸す。
この人のその在り方に、何度救われてきたことか。
まず向かったのはホームセンターだった。
園芸コーナーの種子売り場に、色とりどりの小袋が整然と並んでいる。
「にゃっぷ。これがこちらの世界の種子か。一粒一粒に、生命の設計図が圧縮されている。実に合理的な構造だな」
「師匠、声のボリュームを下げてくれやす。猫が喋ると目立ちやすから」
「にゃ」
大豆の種、稲の種籾、小麦の種、そしてジャガイモとサツマイモの種芋。
それぞれの袋を手に取り、品種の説明を読む。
「ゴンドウはん、大豆はどの品種がよいどすか」
「フクユタカが無難だな。収量が安定してる。味噌にも豆腐にも使える」
「おお、豆腐……!湯豆腐を作れる大豆どすな!」
「……まあ、そうだな」
「では、小麦のほうは……このゆめちからという響きはいかがどすか?強力粉、パンに適していると」
「ああ、病気にも強くて育てやすい。パンを作るなら丁度いいだろう」
「ジャガイモは男爵とメークインの二刀流でいきまひょ。サツマイモは、うちが焼き芋で感動した紅あずまを……」
ゴンドウさんが迷いなく選んでくれる。
無愛想な横顔の奥にあるその生きた知識が、こんな形で活きるとは。
「次は苗木だ。車を出す」
ゴンドウさんの軽トラックに乗り込み、郊外の園芸農家へ向かった。
冬枯れの畑の向こうに、ビニールハウスが並んでいる。
「おう、権堂さん。久しぶりだなぁ。苗木がいるって?」
「ああ。リンゴとレモンを一本ずつ。丈夫な台木で」
「はいよ。ちょうど植え替え用に仕立てたのがあるから……そっちのお嬢さんが育てるの?」
「ええ。遠い……遠い土地で、育ててもらおうと思いやして」
「へぇ、遠い土地かぁ。まあ、リンゴもレモンも強い木だから、どこに植えても根付くよ」
農家のおじさんが、丁寧に根巻きされた苗木を二本、用意してくれた。
リンゴの苗木は細いけれど、幹にしっかりとした生命力が宿っている。
レモンの苗木は、冬の寒さに耐えるように深い緑の葉を蓄え、枝先には鋭い棘を覗かせていた。
来年には爽やかな雪のような花を咲かせる準備を、静かに進めているようだった。
「にゃっぷ。この木があの荒れた大地に根を張ると思うと、なかなか感慨深いものがあるな」
「師匠、声」
「にゃ」
軽トラの荷台に苗木を積み、ことほぎ荘へ戻る。
道中、ゴンドウさんは何も訊かなかった。
ただ一度だけ、バックミラー越しに荷台の苗木を見て、ぽつりと呟いた。
「……いい苗だ。大事にしろよ」
「はい。必ず」
ことほぎ荘に着くと、集めたものを手狭の部屋に並べた。
ジャガイモ、サツマイモ、大豆、稲の種籾、小麦の種、そしてリンゴの苗木とレモンの苗木。
そしてもう一つ。
「これは……」
「手引書どす。図書館で調べたことを全部書き写しました。土の作り方、水やりの頻度、病害虫への対処法。稲作の基本から果樹の接ぎ木まで」
分厚いノートには、聖女の拙い字がびっしりと詰まっていた。
書いているうちに、この世界の食料生産が、いかに精密で繊細な技術の上に成り立っているかを思い知った。
「……にゃっぷ。お前さん、いつの間にこんなものを」
「バイトの合間のちょっとした自主学習どす。種だけ送っても育て方が分からなければ意味がありまへんから」
「……そうだな。お前さんの言う通りだ」
師匠がノートのページを肉球でめくる。
一枚一枚、丁寧に目を通していった。
「……驚いたな。私がネットワーク上で収集した分析データよりも、よほど精密で実践的だ」
「土や水のことまでは、データだけでは分かりまへんから。こっちの本を読み、色んな方から見聞きしたことをまとめたんどす」
「まったく。お前さんが私と出会った頃からこれくらい優秀だったら、私ももう少し楽ができたんだがな」
師匠が冗談めかして鼻を鳴らす。
つられて小さく吹き出した。
「堪忍しておくれやす。手のかかる弟子がここまで育ったのも、ひとえに師匠の教えが良かったおかげどすえ」
「はっ、調子のいいことを。……夜になったら公園で始めよう」
夜。
人目につかない馴染みの公園で、師匠が静かに告げた。
んにゃ丸の身体が淡い光を帯び始める。
「ゲートの構築には、少し時間がかかる。リエル、種と苗木とノートを、この円の中央に置いてくれ」
冬枯れた芝生の上に、微かな光の円が浮かび上がった。
その中央に、一つずつ丁寧に並べていく。
ジャガイモとサツマイモの種芋。どんな痩せた土地でも力強く育つ、開拓の要となる作物。
ホクホクとしたあの土の恵みは、真っ先にあの世界の人々の飢えを満たしてくれるはずだ。
大豆の種。握った手のひらに収まる、小さな粒。
この一粒が、あの荒れた大地で芽を出し、やがて豆腐にも味噌にもなる。
稲の種籾。この世界の人々が何千年もかけて磨き上げた、最高傑作の穀物。
白い飯の温もりを、あの世界の人たちにも知ってもらいたい。
小麦の種。パンにも麺にもなる万能の穀物。
あの世界でも、ふかふかに焼き上がったパンの香りを楽しむ日が来るかもしれない。
リンゴの苗木。いつか赤く色づいた甘く優しい果実を、子どもたちがいっぱいに頬張ってくれるはずだ。
レモンの苗木。その鮮やかな黄色の酸味は、きっとあの世界の人々に全く新しい驚きをもたらすだろう。
そして、分厚いノート。
この世界で学んだ、全ての食の知恵がここに詰まっている。
「……よし。準備は整ったな」
師匠の声が静かに響いた。
んにゃ丸の瞳が金色に輝き、冬の夜の空気が微かに震える。
「リエル。最後に一つ、言っておくことがある」
「はい、師匠」
「ゲートが閉じれば、私とお前さんの通信も途絶える。んにゃ丸への憑依も、もうできなくなるだろう」
分かっていた。
分かっていたけれど、改めて言葉にされると胸が軋んだ。
「……はい。覚悟してやす」
「にゃっぷ。覚悟か。お前さんも立派になったものだ」
師匠が、ふっと笑った。
「……バンリ師匠。うちは、良い弟子でしたどすか」
「最低の弟子だったよ。修行はサボる、食い意地は張る、世間知らずを絵に描いたような小娘だった」
「……」
「だが──私の自慢の弟子だ。それだけは間違いない」
師匠の電子の瞳が、柔らかく瞬いた。
「さあ、始めるぞ。元の世界の人々に、お前さんの『食の福音』を届けよう」
光が強まった。
円の中央に置かれた種と苗木とノートが、透明な輝きに包まれていく。
ゆっくりと、それらは光の中に溶けていった。
種芋が、大豆の粒が、種籾が、小麦の種たちが。
リンゴとレモンの苗木が、光の向こう側へと旅立っていく。
やがて、光が収束した。
芝生の上には、もう何も残っていなかった。
「……送れたのどすか」
「ああ。確かに届いた。聖女の福音はこちらの世界にやってきたよ」
師匠の声が、少しだけ掠れた。
「……にゃっぷ。さて、と」
んにゃ丸の瞳の金色が、ゆっくりと元の色に戻りつつあった。
「師匠……」
「元気でやれよ、リエル。お前さんは、もう一人でやっていける」
「……師匠こそ。びっくでーた占いで、皆を呆れさせてやってくだはれ」
「任せておけ」
金色の光が薄れていく。
師匠の声が、遠くなっていく。
「……最後に一つだけ。リエル」
「はい……師匠……」
「腹が減ったら、迷わず食え。それが、私がお前さんに教えた唯一にして最大の教えだ」
ふっ、と。
んにゃ丸の身体から、師匠の気配が消えた。
「……にゃ?」
いつもの、素のんにゃ丸の声。
きょとんとした電子の瞳が見上げている。
「……おかえり、んにゃ丸」
丸い身体を抱き上げた。
温かかった。
師匠の余韻が、まだほんの少しだけ残っている。
窓の外の冬空に、星がひとつ瞬いた。
あの光の向こう側で、無事に種が土へ落ちるだろうか。
いつか芽が出て、茎が伸び、実がなる。
その実を食べた誰かが「美味しい」と笑う日が、きっと来る。
「……ありがとうございました、師匠」
んにゃ丸を抱いたまま、静かに頭を下げた。
***
【タイトル:[転送]遥かなる大地に蒔く希望の粒と、師弟を繋ぐ最後の光】
祈りの時です。
皆様は、食べ物の「種」が、一体どれほどの奇跡を内包しているかご存知でしょうか?
ジャガイモとサツマイモの種芋は、どんな痩せた大地でも力強く命の根を張り、真っ先に人の飢えを満たします。
大豆の一粒は、味噌にも豆腐にも醤油にもなります。
稲の一粒は、白い飯となり、おにぎりとなり、餅となって人を生かします。
小麦の一粒は、パンにも麺にもなり、遠い世界の空腹をも満たすことができるのです。
聖女はそれらを、光の門に託しました。
自らの帰還ではなく、種と苗木と、育て方を書いたノートを。
それは、聖女がこの世界で半年間かけて学んだ「食の福音」の全てでございます。
光は閉じ、師との絆は途絶えました。
けれど、遥かな大地に落ちた種は、やがて芽吹くでしょう。
その実りの日を、聖女は信じています。
──腹が減ったら、迷わず食え。
師の最後の教えを胸に。
「んにゃ~」
「……うん。お腹空いたなあ。ゴンドウはんのところに行こうか、んにゃ丸」
「んにゃん!」
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残り1話です。
10分後に投稿される予定です。
最後までお付き合いいただけると嬉しく思います。




