第57話 聖夜の降臨と『クリスマスチキン』の祝宴
クリスマスイブの朝は、ケーキ工場のベルトコンベアの前で始まった。
「はい、そこの箱ズレてるよ!直して直して!」
「承知どす!」
白い帽子にマスク、ゴム手袋。
完全装備の聖女は、ベルトコンベアの上を目にも留まらぬ速度で流れてくるショートケーキの箱を検品し、蓋を閉じ、ラベルを貼っていく。
クリスマスケーキの短期バイト。この時期の定番労働だ。
「……いやあ、目の前を何百個もケーキが流れていくのに一つも食べられへんとは。これぞ現代における最も過酷な苦行どす」
「ハンナリエルさん、独り言多いよ!手止まってる!」
「失礼しました!」
社員さんに怒られながらも、手だけは止められない。
年に一度の最大商戦に向けて、工場は聖夜だというのに朝から戦場と化していた。
目の前を通り過ぎていく苺の赤と生クリームの白。それを見送ることしかできない聖女の胃袋が、切なく鳴っている。
正午過ぎ、ようやくシフト終了。
帽子とマスクを外して更衣室を出ると、冬の外気が火照った顔を撫でた。
けれど、今日の本番はここからだ。
カバンの中には、バイト代の一部で買い込んだ「あるもの」が詰まっている。
ことほぎ荘に戻ると、玄関の前に三人の影が並んでいた。
「お疲れ様、ハンナリエルさん!待ってたよ!」
「……十五分遅れ。連絡はもらったから問題ないけど」
「寒いから早く中入ろうよ……」
チサトさん、リンさん、イチカさん。
三人とも私服にコートを羽織り、それぞれ手にはレジ袋やら紙袋やらを提げている。
「お待たせしてしまい申し訳おへん!さあさあ、聖女の城へどうぞ!」
「城って……ワンルームでしょ」
「ワンルームでも、四人揃えば聖域どす!」
鍵を開け、四人で狭い部屋に滑り込む。
ノートパソコンをカタカタと叩いてんにゃ丸が顔を上げ、電子の瞳をまたたかせた。
「にゃっぷ。随分と賑やかな面々が揃ったな。狭いがゆっくりしていけ」
「あざーっす、バンリ師匠!」
「バンリさんもよければ一緒に」
「……千怜さんも凛さんも、いろんな要素にスルーしすぎじゃない?」
「さてさて、それはともかく。本日のメインイベントの前に。皆様にお渡ししたいものがありやすえ」
カバンの底から取り出したのは、四つの紙袋。
中身は──真っ赤なミニスカートのサンタ衣装だった。
「クリスマスパーティーの正装どす!」
「わー!サンタさんだ!可愛い!」
「……これ、スカートが短くない?」
「聖夜の装備品は、攻撃力(可愛さ)重視の軽装仕様なのどすえ」
チサトさんが真っ先に飛びつき、着替えスペース(カーテンで仕切った一角)へ消えていった。
ほどなくして現れた彼女は、赤と白のミニスカサンタを完璧に着こなしている。
「似合う?似合う?」
「似合いすぎどす。まるでクリスマスの精霊が降臨したかのよう」
「えへへ。制服のスカートと同じくらいの丈だから、全然平気だよ!」
リンさんも黙って受け取り、着替えて戻ってきた。
髪が赤のサンタ衣装が映えて、凛とした美しさが際立っている。
「……まあ、制服と同じ程度の丈なら問題ない。動きやすいし」
「凛ちゃん似合いすぎ!惚れ直す!」
「何を言ってるの、千怜」
制服のスカート丈に慣れている二人は、危なげなく着こなしている。
問題はここからだ。
「……ハンナリエル。あーしもこれ着るの?」
「もちろんどす。四人揃ってこその聖夜の儀式どすえ」
「いや、ちょっと待って。あーし普段パンツスタイルだし。この丈、心もとなくない?」
イチカさんがスカートの裾を摘んで、懐疑的な目で見つめている。
気持ちは痛いほど分かる。同じ不安を抱えているのだから。
「実は、うちもこの丈は初体験でして。装束は膝下丈が基本でしたし」
「アンタも不安なの?自分で買っといて?」
「お店で見た時は可愛いと思ったんどすが、いざ着るとなると話が違うのどす」
意を決して二人同時に着替えた。
「……」
「……」
鏡の前に立つ。
膝上の赤いスカートが冬の空気を直に脛に触れさせてくる。
聖女の装束にはあるまじき露出度だ。
「……落ち着かない。膝の上がスースーする」
「同じく。ふくらはぎが丸見えでなんと申しますか、防御力がゼロに等しいどす」
「二人ともそわそわしてて可愛い!ねえ凛ちゃん、可愛くない?」
「確かに新鮮。ハンナリさんもいちかも、普段は長い丈ばかりだから」
チサトさんが嬉しそうに写真を撮ろうとスマホを構え、イチカさんが「撮るな撮るな!」と手で遮る。
リンさんは腕を組んで、静かに口元を緩めていた。
「ま、まあ、着てしまったものは仕方おへん。これも聖夜の修行と思えば……」
「修行って。……まあ、似合ってるって言われたら、悪い気はしないけど」
「似合ってる似合ってる!四人お揃いのサンタだよ!最高!」
結局イチカさんも、チサトさんの勢いに負けて大人しく着ていることにしたようだ。
四人の赤いサンタ衣装が、狭いワンルームを一気にクリスマスカラーに染め上げた。
「よし!ほなパーティーの準備に取り掛かりまひょか!」
手分けして小さなテーブルにクロス代わりの白い布を敷き、紙皿と紙コップを並べる。
メインのチキンは、イチカさんが確保してきた骨つきのフライドチキン。
オーブントースターで軽く温め直すと、衣からパチパチと弾ける音がして焦がしたスパイスの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がった。
「この匂いだけで、もうクリスマスどすなあ」
「涎出てるよ。早く並べよ!」
皿の中央にチキンを盛り、リンさんが持参したポテトサラダ、チサトさんのケーキ(崩れ気味だが心がこもっている)、カノンさんからいただいたクッキーを脇に添える。
紙コップにジュースを注ぎ、四つ並べた。
ささやかで、けれど温かい聖夜のテーブルが完成した。
「では、乾杯の儀を。今宵、聖女の名の下にこのクリスマスイブの祝宴を開闘──」
「開闘じゃなくて開催ね」
「──いたします。メリークリスマス!」
『メリークリスマス!』
紙コップを合わせ、四人の笑い声が部屋に弾けた。
チキンにかぶりつく。
カリッ、と衣が割れた瞬間、ジュワリとスパイシーな肉汁が溢れ出した。
皮目はパリパリで香ばしく、中の肉は驚くほどジューシー。
骨の周りの肉を歯で削ぎ取る度に、黒胡椒とガーリックの刺激が鼻に抜ける。
「おお……この衣の鎧は見事どす。外殻を突破した瞬間に溢れ出す肉汁の洪水……まさに聖夜にふさわしい肉の祝砲どすえ」
「チキンって侮れないよねぇ。皮がパリパリで最高」
「骨の周りが一番うまい。効率的に削ぎ取るのがコツ」
「凛さん、食べ方めっちゃ綺麗……あーしなんかもう手がベタベタなんだけど」
四人でチキンを囲み、ポテトサラダをつまみ、クッキーをかじる。
狭い部屋が、笑い声と食べ物の香りで満たされていく。
「ねえ、動画サイトの配信見ようよ。クリスマス特番やってるかも」
チサトさんがノートパソコンを指差した。
そこでは今まさに、師匠が何かのデータを閲覧している最中だったが、彼女は振り返って短く鳴いた。
「にゃっぷ。私は構わんぞ。今日は特別な日だからな、若者たちで自由に使え。私は思考モードに入らせてもらおう」
「あざーっす、バンリ師匠!」
「聖夜の供物を囲みながら、映像の聖歌に耳を傾けるのもまた一興どすなあ」
ノートパソコンを開き、動画サイトのトップページを映した。
その瞬間、画面の上段に大きなバナーが飛び込んできた。
──『Nova Christmas Special Live 2026 ~聖夜に届ける、一番星~』LIVE NOW
「あっ!ノヴァだ!ノヴァのクリスマスライブやってる!」
チサトさんが興奮して画面を覗き込んだ。
イチカさんも身を乗り出す。
「マジ?ノヴァって、あのノヴァ?今一番バズってる歌姫の?」
「うん!去年の紅白にも出てた!見ようよ!」
バナーをクリックすると、煌びやかなステージが画面いっぱいに広がった。
髪をなびかせ、星屑のようなドレスを纏った女性がステージの中央でマイクを握っている。
ノヴァ。今、日本で最も注目されている若手シンガー。
その正体を知っているのは、この部屋の中では私だけだ。
「すっご!生配信で同時接続が数百万人超えてるよ!」
「声が綺麗。この人の歌、嫌いじゃない」
「凛ちゃんが音楽を褒めるの珍しいね!」
三人が画面に釘付けになっている横で、静かにチキンの最後の一切れを口に運んだ。
画面の中のアスカさんは、いつもの「ちょっと目立つ一般人」とは別人のように輝いている。
けれど、あの歌声の奥にある温かさは、路地裏でパフェを頬張りながら笑っていた彼女そのものだった。
ライブが一曲目を終え、MCに入る。
『みんなー!メリークリスマース!今夜は最高の夜にしようね!』
画面の中のノヴァが、客席に向かって手を振る。
そして、ふと何かを思い出したようにポケットからスマホを取り出した。
『あ、そうだ!今日はせっかくのクリスマスだからさ。みんなも今、一番大切な人に「メリクリ」ってメッセージ送ってみない?アタシも送るからさ!』
そう言ってノヴァがスマホを操作した瞬間、スマホが震えた。
画面に表示されたメッセージ。
【アスカ】:メリクリ!今ライブ中だけど、エルさん達はパーティー中かな?よければアタシのライブも見てね!チキン食べた?終わったら電話するね!
「……え?」
チサトさんが、こちらのスマホ画面を覗き込んだ。
「ハンナリエルさん……今、ノヴァが『送る』って言った瞬間にメッセージ来たよね?」
「ええ、まあ」
「『エルさん』って……ハンナリエルさんのこと?」
「ノヴァ──アスカはんとうちは……ちょっとした友人関係と言いますか」
「ちょっとした!?」
チサトさんの声が裏返った。
リンさんの切れ長の目が見開かれ、イチカさんが自分の分のチキンを持つ手が固まっている。
「ま、待って。つまりハンナリエルさんは、あの、ノヴァと……友達ってこと?」
「友達というか、親友というか、かき氷を一緒に食べた仲どす」
「かき氷!?ノヴァとかき氷!?」
「……あーし、なんかもう情報の処理が追いつかないんだけど」
イチカさんが額を押さえてテーブルに突っ伏した。
リンさんだけが冷静に画面と私を交互に見ている。
「……ハンナリさん。ノヴァの本名、知ってるの?」
「スマホ画面にも映ってるとおり、アスカはんと言いますえ」
「本名で呼び合ってる時点で普通じゃない。……でも、ハンナリさんだから不思議と納得できる」
「凛ちゃんが一番冷静なのがすごい……」
そこへ追い打ちのように、スマホが着信音を鳴らした。
画面には【アスカ】の文字。
『あ、繋がった!エルさーん!メリクリ!今ね、曲の合間の休憩だからちょっとだけ!パーティーやってるんでしょ?楽しい?チキン食べた?』
スピーカーから飛び出してきたのは、紛れもない、先ほどステージで聴いた声だった。
「アスカさん、メリークリスマスどす。今まさに聖なる宴の最中でして」
『いいなー!アタシも混ざりたかったー!あ、そっちの子たちにも言って!メリクリ!チキンいっぱい食べてね!って!』
スピーカーモードから響くアスカさんの声に、三人が石のように固まっている。
「……これ、ガチ?ノヴァが今、ここに電話してきてるの?」
「ガチどすえ」
「す、すごい!ノヴァさーん!メリークリスマースです!私、大ファンです!」
「あ、あーしも。歌、好きです」
チサトさんとイチカさんが慌ててスマホに向かって叫んだ。
『わーっ!嬉しい!ありがとー!エルさんの友達はアタシの友達だよ!あっ、やば、そろそろ次の曲だ!じゃあね!楽しいクリスマスを!またねー!』
ぷつり、と通話が切れた。
沈黙。
「…………」
「…………」
「…………」
三人が私を見つめている。
チサトさんは口をぱくぱくさせ、イチカさんはチキンの骨を握りしめたまま、リンさんだけがゆっくりと腕を組んだ。
「……ハンナリさん。改めて聞くけど、何者?」
「異世界の聖女どす」
「……うん。もう、それでいい気がしてきた」
リンさんが深い溜息と共に苦笑した。
チサトさんが「信じられない信じられない!」と繰り返し、イチカさんは「マジか……マジか……」とぶつぶつ呟いている。
騒然とする部屋の中で、最後のチキンの骨を皿に置いた。
画面の中では、ノヴァが再び歌い始めている。
星のように輝くステージの光が小さなノートパソコンの画面を通じて、この狭い部屋まで届いていた。
「……さて。聖夜はまだ終わりまへんえ。クッキーのおかわりはありやすか?」
「ハンナリエルさん、切り替え早すぎ!」
「聖女は動じないのどす。それより、みんなで一緒にライブの続き、見やしまへんか?」
四人でこたつに肩を寄せ合い、小さな画面を覗き込む。
赤いミニスカのサンタ衣装で、膝にブランケットをかけて。
ノヴァの歌声が、聖夜の部屋を優しく満たしていく。
チキンの香りと、笑い声と、遠くから届く一番星の歌。
この温かさを、何年経っても忘れることはないだろう。
***
【タイトル:[聖夜]降臨せし一番星の福音と、黄金の鎧を纏いし聖鳥『クリスマスチキン』の祝砲】
祈りの時です。
皆様は、聖夜にふさわしい奇跡をご存知でしょうか?
それは、大いなるベルトコンベアの試練(ケーキ工場バイト)を乗り越えし聖女に与えられる、最高の報酬でございます。
黄金の鎧を纏った聖なる鳥──『クリスマスチキン』。
その外殻をカリッと突破すれば、スパイシーな肉汁の洪水が口腔を満たし、黒胡椒の祝砲が鼻腔を駆け抜けます。
骨の周りに残された最後の一片までもが、この聖夜に捧げられた供物なのです。
そして、奇跡はそれだけでは終わりません。
画面の向こうから届いた一番星の歌声と、友との抱腹絶倒の祝宴。
チキンの香りと笑い声に包まれたこの狭い聖域こそが、世界中のどんな大聖堂よりも温かい、真の聖夜の礼拝堂なのでございます。
『エルさーん!あとで感想聞かせてね!チキンの骨までしゃぶった?』
『骨の髄まで堪能いたしましたえ。アスカさんの歌は、チキンの肉汁に勝るとも劣らぬ至福でしたえ』
「(夢じゃないよね?ノヴァと友達のハンナリエルさんって何者?)」
#クリスマスチキン #ケーキ工場バイト #一番星 #聖女の聖夜
残り3話です。




