第56話 落ち葉の終焉と『温かい蕎麦』の回顧
街を彩っていたイチョウやカエデの葉はすっかり落ち尽くした。
吹き抜ける風はいよいよ刃のように冷たく、吐く息は純白の煙となって空へ消えていく。
「ふう……掃いても掃いても、枯れ葉が尽きまへんなあ」
馴染みの公園で、竹箒を握りながら息をついた。
本日の労働は、自治会から委託された公園の落ち葉清掃だ。
カサカサと乾いた音を立てて落ち葉をかき集め、塵取りでゴミ袋へと詰め込んでいく。
「この無数の枯れ葉もまた、巡る季節の残滓どす。これを集めて塵に還すのも聖女の立派な浄化作業……」
「相変わらず、ただの掃除をご大層な設定で語るわね。お疲れ様、ハンナリエル」
背後から、聞き慣れた呆れ声が降ってきた。
振り返ると私服姿のキリハラはんが、ダウンジャケットに身を包んで立っていた。
「おや、キリハラはん。本日は非番どすか?相変わらず街の巡回は欠かさないとは、治安維持の鑑どすな」
「ただの散歩よ。休みの日にまでパトロールなんてしないわ。それにしても、随分綺麗になったじゃない」
キリハラさんが、枯れ葉が片付いてすっきりとした公園を見渡す。
ベンチの周りや遊具の下など、念入りに掃き清めた成果だ。
「ええ。この一角の浄化は完了いたしましたえ。あとはこのゴミ袋を回収場所に持っていくだけどす」
「手伝うわ。それ、結構重いでしょ」
「神の使いである聖女の筋力を侮っては──」
言い終える前に、キリハラさんはひょいとゴミ袋の口を掴み、軽々と持ち上げた。
「ほら、行くわよ」
「……はい」
大人しくキリハラさんの後に続く。
警察官の前では、聖女も形無しだ。
ゴミを出し終え、公園の水道で手を洗う。
冷たい水が労働で火照った指先をたちまち凍えさせた。
「あー、冷たいっ。これは厳しい冷水摩擦どす……!」
「ハンカチ貸してあげる。……本当に、この寒空の下でよく働くわね、キミは」
「働かざる者食うべからず、どす。これもまた、聖なる糧を得るための尊い儀式なんどすえ」
キリハラさんからハンカチを受け取り、丁寧に水気を拭き取る。
その時、公園の入り口から低い声が響いた。
「よぉ。精が出るな」
使い古したジャンパーに身を包んだ、大家のゴンドウさん。
その手には、コンビニのレジ袋が提げられている。
「ゴンドウはん!どうしはりました?」
「自治会の見回りだ。ハナが掃除終わった頃合いだと思ってな。……おっ、八江もいたのか」
「大家さん。ご無沙汰してます」
「ああ。非番か?ちょうどよかった。腹減ってんだろ。ほらよ」
ゴンドウはんがベンチに腰を下ろし、レジ袋の中から見慣れたプラスチックの丸い容器を取り出した。
「これは……!」
「コンビニの『温かい蕎麦』だ。温めてきたから、まだ食えるぞ」
手渡された容器からはずっしりとした重みと、じんわりとした温もりが伝わってくる。
「……おお、なんという慈悲深き施しっ。ゴンドウはんは、寒空の下に降り立った大天使かもしれまへん」
「大天使がジャージ着てコンビニ袋提げてたら世界の終わりね。でも、ありがとうございます。ちょうど温かいものが欲しかったんです」
キリハラはんも苦笑しながら、蕎麦の容器を受け取る。
三人で規則正しくベンチに並んで座り、それぞれの容器の蓋を開けた。
ふわぁっ、と立ち上る白い湯気。
それと共に鰹と昆布の出汁の香りが弾け、冷え切った鼻腔を優しく撫でた。
褐色のつゆの中には細身の蕎麦が、その上には海老の天ぷらと青々としたネギ、そして可愛らしいかまぼこが乗っている。
「……いただきます」
割り箸を割り、まずはつゆを一口啜る。
「……っ……」
瞬間、感嘆の吐息が漏れた。
鰹出汁の深い旨味と醤油のキレが冷たく凝り固まった内臓を優しく、けれど力強く解きほぐしていく。
甘酒のドロリとした温かさとは違う、シャープで澄み切った熱が喉を滑り落ちた。
「なんと……澄んだ輝き。この琥珀の霊薬が、凍てついた魔力経路を一瞬で再起動させやすえ」
「……うん、あったまる。やっぱり冬はこれね」
「ああ。外で食うと、また一段とうめぇな」
キリハラさんもゴンドウさんも、蕎麦を啜りながら静かに頷いている。
寒空の下、ベンチに並んだ三人の吐息が白く混ざり合う。
蕎麦をつまみ上げ、一気に啜り込む。
ズルルッ、と小気味よい音が響いた。
つゆを適度に吸い込んだ蕎麦は歯切れが良く、蕎麦の風味と出汁の香りが口の中で見事なマリアージュを奏でる。
衣に少しずつつゆが染み込み、とろりとした食感に変わっていく海老の天ぷらもまた格別だ。
尻尾の先までカリッと香ばしく、中の身はぷりっとして甘い。
「スーパーの麺もええどすが、コンビニの蕎麦は、また違った完成度を誇りやすな」
「容器のままレンジで温める前提で作られてるからね。麺が伸びすぎないように工夫されてるのよ」
「なるほど、現代日本の錬金術の賜物というわけどすな。ゴンドウはん、このような贅沢な供物を……お財布は大丈夫どしたか?」
「気にするな。ハナがウチで働いてくれりゃそれでいい。それに自治会の見回りで冷えた体を温めるためのちょっとした経費みたいなもんだ」
ゴンドウさんが蕎麦をすする手を止めて、ちらりと私の方を見た。
「こうしていると、あの日のことを思い出すな」
「……大家さんまでそんなことを」
「なんだ、八江も思い出してたのか?」
キリハラさんが、少しだけ照れたように苦笑いをした。
箸は自然と止まっていた。
「……思えば遠くへ来たものどす。あの夜、お腹を空かせて路地裏で途方に暮れていたうちを、この温かな食卓へと繋ぎ止めてくれたのは、他ならぬお二人どすから」
「キミを交番で保護した日のことね」
キリハラさんが、懐かしむように目を細めた。
髪が冬の風に小さく揺れる。
「あの頃のキミは、本当にどこからどう見ても不審者だったわ。設定はガバガバだし、挙動不審だし、身元は不明だし。正直、面倒な案件を拾っちゃったって頭を抱えたものよ」
「設定ではありまへんえ。うちは紛れもない異世界の聖女どす」
「はいはい。そうね。でも、あの頃に比べるとずいぶんこの街に馴染んだわね。色んなバイトをして、友達も増えて。この前なんて、文化祭にまで遊びに行ってたんでしょ?」
「ええ。チサトはんとリンはんに案内してもらいまいた。あの活気は王都の祝祭にも引けを取らない見事なものでしたえ」
「……ああ。ハナの奴、最初は見るからに世間知らずって顔してたが、今じゃいっぱしの面構えになった。ツラがいい奴は何やっても生き残れるもんだ」
ゴンドウさんが、ネギを器用に箸で摘みながら低く笑った。
「ツラだけやありまへん。労働と引き換えに糧を得るという、この世界の絶対の真理をいち早く順応したうちの適応能力の高さどす」
「自分で言うあたり。まあ、確かに色んなところで働いてるわよね。交通整理、プール監視、引っ越し手伝い……。最初はすぐに音を上げるかと思ったけど、案外タフなのよね、キミ」
「ふふ……でも、お二人が見守ってくれていたからこそどす」
つゆを一口啜り、二人の顔を交互に見た。
ゴンドウさんは変わらず無骨でぶっきらぼうで、キリハラさんはいつだって現実主義で手厳しい。
けれど、その奥にある温かさを、もう十分に知っている。
「お二人には、命を繋いでいただきまいた。あの無骨などんぶりと、四角い容器の温もりは、一生忘れることはありまへんえ」
「大袈裟ね。別に、お腹を空かせた迷子に少しお節介を焼いただけよ」
「そのお節介がなければ、うちは今頃、路地裏で骨になっていたかもしれまへん」
「……まあ、ハナが来てから、この街も少しだけ賑やかになった気がするな。変な騒動は増えたが」
ゴンドウさんの言葉に、キリハラさんが同意するように頷いた。
「ええ。キミが巻き起こす騒動の後始末で、ワタシの仕事は増える一方だけど……でも、悪くないわ。そういう騒がしさも」
「……キリハラはん。ゴンドウはん」
蕎麦のつゆの温かさだけではない。
胸の奥底で、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。
「うちも悪くない日々やと思っておりますえ。崇められていた頃よりも、こうして寒空の下で三人で温かい蕎麦をすするこの時間が……たまらなく愛おしいんどす」
三人は何も言わず、ただ静かに蕎麦をすすり続けた。
冬の枯れ木の間から差し込む陽光が、背中を等しく照らしている。
公園の脇を一台のパトカーがゆっくりと通り過ぎていく。平和な街の風景がそこにあった。
「……さて。身体もあったまったし、俺は帰るか」
つゆを飲み干したゴンドウさんが、立ち上がりながら背伸びをした。
空になった容器をゴミ袋にまとめる。
「ワタシも、そろそろ散歩を再開しようかしらね」
「お二人とも、お疲れ様どす。うちはこの最高の霊薬から得たエネルギーで、午後の巡礼へと向かいやす」
「働きすぎには注意しなさいよ。それじゃ、また」
「おう。無理すんなよ、ハナ」
キリハラさんとゴンドウさんが、それぞれ反対の方向へと歩き出す。
その背中へ向かって、私は深く頭を下げた。
「ええ。また、必ず」
木枯らしは冷たい。
けれど、胃の底に落ちた温かい蕎麦の残響と交わした言葉の温もりが、確かに守ってくれていた。
***
【タイトル:[回顧]木枯らしの合間にすする出汁の温もり『温かい蕎麦』と、過ぎ去りし日々の残響】
祈りの時です。
皆様は、冬の寒空の下でこそ真価を発揮する霊薬をご存知でしょうか?
それは、コンビニの『温かい蕎麦』──琥珀色のつゆに浸された細き麺の奇跡でございます。
落ち葉清掃という名の浄化作業を終えた肉体に、大家殿がもたらした褐色の霊薬。
鰹と昆布の出汁が織りなす深い旨味は、冷え切った内臓を急速解凍し、全身の魔力経路へ熱を送り込んでくれました。
ズズリとすすり込むたびに鼻腔を抜ける蕎麦の香り。つゆを吸ってとろける海老天の衣。
それは、高級なレストランの食事よりも何倍も、労働者の魂を慰める至高の聖餐なのでございます。
そして、その一杯を共にしたのは、私がこの世界に訪れて最初に出会った二人の恩人。
かつては不信の目を向けられましたが、今では共に同じベンチで温かい蕎麦をすする戦友となりました。
この一杯の蕎麦には出汁の旨味だけでなく、あの日から積み重ねてきた確かな時間と、言葉にできない感謝の念が溶け込んでいるのでございます。
「また変な労働してるわね。しかも私が手伝わされたし。まあ、いい運動にはなったけど」
「手厚い労働支援、感謝いたしやす。いくら感謝しても足りまへんえ」
「今度はパトロールのついでじゃなくて、ちゃんとご飯に誘ってあげるわ。働きすぎて風邪ひかないようにね」
#温かい蕎麦 #公園清掃 #恩人 #聖女の回顧
残り4話です。




