第54話 祈祷の結界と『千歳飴・甘酒』の長寿なる霊薬
──第54話 祈祷の結界と『千歳飴・甘酒』の長寿なる霊薬
木枯らしが吹き抜ける月の半ば。
朝から鼻先を刺すような冷気が街を覆っている。
聖女はチサトさんと共に、紅白の巫女装束に身を包み、近所の大きな神社で社務の助っ人をしていた。
「ハンナリエルさん、帯、後ろがちょっとずれてるよ。じっとしてて」
「おお、助かりますえ。この装束、異世界の祭服とは勝手が違いまして」
「異世界の祭服って……もうツッコまないけどさ。はい、できた」
チサトさんが手際よく帯を直してくれる。
この時期の神社は『七五三』と呼ばれる仕事が殺到する。
子供の健やかな成長を祝う神事で、境内は朝から晩まで、晴れ着姿の家族連れでごった返すのだ。
私たちは、社務所から頼まれた臨時の巫女として参拝者の案内や授与品の手渡しをしていた。
「千怜さーん!こっち人が溜まってまーす!」
「はーい!ハンナリエルさん、ちょっと待ってて!」
チサトさんが小走りで駆けていく。
あの子は本当に、こういう場で光る。
弓道部で培った折り目正しい所作が、巫女装束の上から自然に滲み出ている。
参拝客への挨拶もハキハキと丁寧だ。
それに引き換え、こちらは。
「おねえちゃーん!お守りちょうだーい!」
「はいはい、どのお守りがよろしおすか?」
「えっとねー、……ねえ、おねえちゃんってなんで目がしょぼしょぼなの?」
「ああ、これはどすな。神様の光をたくさん浴びすぎまして、眩しいから細くなってしもうたんどすえ」
「えー!すごーい!」
「ハンナリエルさん、嘘教えないで……!」
遠くから飛んでくるチサトさんの声を背に受けながら、笑顔でお守りの袋を手渡した。
昼過ぎ。
参拝のピークが一段落し、私たちは境内の片隅で束の間の休憩を取っていた。
そこへ、泣き声が近づいてくる。
「あーん!もうお着物いやだぁぁ!」
「もうちょっとだけだから。ね?」
羽織袴姿の五歳くらいの男の子が、草履を放り投げて号泣していた。
慣れない着物の窮屈さと寒さ、疲れで限界を迎えてしまったらしい。
困り果てた両親の姿を見て、チサトさんがいち早く動いた。
「大丈夫ですか?あ、私たち今日お手伝いしてて」
「すみません、もう手がつけられなくて……」
チサトさんが両親に声をかけている間に、静かに男の子の前に屈み込んだ。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔が、こちらを恨めしそうに見上げてくる。
「やだー!おねえちゃん誰ー!」
「うちは、この神社の門番どす。お名前でお呼びしてよろしいどすか?」
「……やだ」
「そうどすか。では、勇者殿とお呼びしまひょ」
「……ゆうしゃ?」
ぴたり、と泣き声が止まった。
「ええ。その立派な鎧、ただの着物やないどす。それはカミサマが選んだ勇者にしか着られへん特別な装備なんどすえ」
「……うそだ。じゃあなんでこんなキツイの?」
「鎧いうのは着る者を試すもんなんどす。この窮屈さに耐えられた勇者だけが、あの本殿の奥にある秘密の宝物を手にできるんどすえ」
「たからもの……?」
「ええ。魔法の杖どす。千年の力が宿った、細く長い黄金の杖」
男の子の瞳が、好奇心で丸く輝いた。
「……ほんと?」
「聖女は嘘をつきまへん。……さ、勇者殿。涙を拭いてカミサマに堂々としたお顔を見せてあげてくださいな」
男の子は袖でごしごしと顔を拭い、ふらつきながらも草履を履き直した。
両親が呆気にとられる中、チサトさんが「行こっか」と優しく手を引いてくれる。
小さな勇者は、もう泣いていなかった。
「ハンナリエルさん、今の上手だったね。『勇者』って呼んだ瞬間、顔つきが変わったもん」
「伊達に孤児院の慰問をこなしてきまへんえ。子供は『何者かになれる』と思った瞬間、泣くのを忘れるんどす」
「孤児院……は、おいといて。経験、ちゃんと活きてるんだね。私なんて子供の扱いって苦手なんだよねぇ。加減が分からなくて」
「チサトはんもチサトはんで、あの両親にすぐ声をかけてくれはったでしょう。あの反応の速さは、うちには真似できまへんえ」
「そ、そうかな。あはは、褒められると照れるなぁ」
やがて祈祷を終えた家族が戻ってきて、男の子がこちらに駆け寄ってきた。
「おねえちゃん、ゆうしゃ、がんばったよ!これ、たからものっ」
差し出されたのは、千歳飴の袋。
鶴と亀が描かれた華やかな袋の中に、紅白の細長い飴が入っている。
「まあ……よろしいんどすか?」
「子供がどうしてもって。本当にありがとうございました」
両親が深々と頭を下げて去っていく。
紅白の飴をそっと袋から取り出した。
「千歳飴……細く長く、千年の寿命を願う霊薬どすな」
「よかったのかなぁ?でもいただいたからには、パキッてやって半分こしよ!」
「お願いしますえ。こういうのは分け合ったほうが美味しいどす」
パキッ、と小気味よい音。
口に含むと、ミルクと砂糖の素朴な甘さが舌の上でゆっくりと溶けていく。
硬くて、けれど噛まずに舐め溶かす過程が、まるで祈りのように穏やかだった。
「……甘いどすなあ。懐かしい味がしやす」
「うん。この素朴な甘さってさ、なんだかんだ一番ほっとするよね」
「ええ。それに、千年の長寿を願う飴を二人で分けるということは……うちとチサトはん、合算で五百年ずつどすな」
「あはは!それでも長すぎるよ!でも、五百年くらいハンナリエルさんとお友達でいたいかも」
笑い合っていると、頭上から低い声が降ってきた。
「よぉ。二人とも、精が出るな」
見上げると、私服姿のゴンドウさんが立っていた。
使い古したジャンパーに作業ズボン。首にはいつものタオル。
片手には、魔法瓶と紙コップが握られている。
「ゴンドウはん。今日はどないしはりました?」
「自治会の打ち合わせでな。甘酒の余りを持ってきた。お前らが巫女やってるって聞いてたからよ」
ゴンドウさんが紙コップに白濁した液体を注いでくれた。
柔らかくなった米粒がふんわりと浮かび、湯気と共に米麹の芳醇な甘い香りが冷えた空気を柔らかく包む。
「美味しい!すっごく温まる!ゴンドウさん、ありがとうございます!」
「ああ。飲む点滴とも言われるくらい栄養あるからな。身体を冷やすなよ」
魔法瓶をこちらに渡すと、ゴンドウさんはもうそれ以上何も言わなかった。
ポケットに手を突っ込み、踵を返す。
「あ、ゴンドウはん。ご一緒にいかがどす?」
「俺はいい。……まだ用がある」
片手だけひょいと上げて、石段を降りていく。
振り返りもしない。けれど最後に、ぼそりとこちらに聞こえるか聞こえないかの声で。
「──精が出るな、二人とも」
それだけだった。
使い古したジャンパーの背中が、境内の鳥居の向こうに消えていく。
残された甘酒をそっと口に付けた。
瞬間、ドロリとした温かさが喉を滑り落ち、胃の底にぽとりと灯が落ちるような感覚が広がった。
指先の末端まで、じわりじわりと温もりが広がっていく。
「おお……これは……砂糖の甘さとは違う、米そのものが持つ自然の甘みどす。冷え切った内臓が芯から温まるのを感じどすえ」
「ほんとだ。身体の中から生き返っていく感じ」
二人で境内の石段に腰を下ろした。
息を吐くと白く煙り、甘酒の湯気と溶け合って消えていく。
「……ねえ、ハンナリエルさん。覚えてる?私たちが初めて会った時のこと」
「路地裏どすな。猫と睨み合っておりました」
「そうそう!あの時のハンナリエルさん、真剣な顔で猫と睨み合ってて、何事かと思ったんだよね」
「猫に八の字で近づく術を教えてくれはったのが、チサトはんやったどすなあ」
「あはは、懐かしい!まだ半年ちょっとなのに、すごく昔みたい」
あの月の初めの日。
路地裏の野良猫との膠着状態を打ち破ってくれたのが、チサトさんだった。
あれからまだ半年ちょっと。されど、その数ヶ月でどれほどのことがあったか。
「あの後さ、弓道場でハンナリエルさんの凄技を見ちゃって。衝撃だったなぁ」
「……うちの継ぎ矢で備品が壊れた件、神社では内緒にしてほしいのどすが」
「あはは!もう時効でしょ!でもあの時初めて『この人、本物だ』って思ったんだよね」
「本物も何も、ただの事故どしたのに……」
「事故であれが出来るのがおかしいの!」
チサトさんが笑いながら私の肩をポンと叩く。
甘酒のコップを両手で包んだまま、滲むような笑みを浮かべている。
「夏のプール監視も、海合宿も、文化祭も……全部、ハンナリエルさんがいたから楽しかった。凛ちゃんといちかちゃんと四人になれたのも」
「うちは何もしてまへんえ。チサトはんが引っ張ってくれはったから、うちはただついていっただけどす」
「またまたー。私が誘ったのは最初だけだよ。途中からはハンナリエルさんが自然とみんなの真ん中にいたんだから」
「……そうどしたか?」
「うん。そうだったよ。だから私、来年も再来年も、ずっとこうして一緒にいられたらいいなって思ってる」
チサトさんの声には、照れてはいるけれど、心の底から滲み出た確信があった。
「ええ。うちもどす。チサトはんとリンはんとイチカはんと、四人でまた騒がしく過ごしたいどすなあ」
「絶対そうしよ!……あ、午後の祈祷の列、また伸びてる」
「おやおや。ほな、五百年分の寿命を授かったうちら、もうひと頑張りどすな」
千歳飴の甘さを舌の奥に残したまま、走り出すチサトさんの背中を追いかけた。
甘酒の余韻が胃の奥であったかく灯り続けている。
冬の陽は低く、影は長い。
けれど境内に響く笑い声は、木枯らしの中でも消えなかった。
***
【タイトル:[祈祷]勇者の涙を鎮める黄金の杖『千歳飴』と、魂を蘇らせる白濁の甘露『甘酒』の聖域】
祈りの時です。
皆様は、千年の寿命を飴玉ひとつで買い取れる場所をご存知でしょうか?
それは、木枯らしが吹き荒ぶ十一月の神社でございます。
防寒という名の修行を課せられた巫女が、凍える指先で参拝者に授与品をお渡しするその戦場にこそ、二つの霊薬は顕現するのです。
一つは『千歳飴』──歯の結界を試す硬質な紅白の杖。パキリと割れば、砂糖とミルクの素朴な甘みが時間をかけて舌の上で溶けていきます。
千年を生きる覚悟をその甘さで封印する、長寿の儀式。
もう一つは『甘酒』──大家殿がもたらした白濁の甘露。
米麹が放つ自然の甘みととろみは、胃の腑に落ちた瞬間、爆発的な温もりとなって全身の魔力経路(血管)を駆け巡ります。飲む点滴という二つ名は伊達ではございません。
この二つの霊薬を同時に授かった者は、五百年の寿命と引き換えに、かけがえのない友との絆という最も貴い宝物を手にするのでございます。
『千怜さん、タイムラインの巫女姿、めっちゃ映えてんじゃん。ガチで本職に見えるし』
「いちか、見た目だけで判断するな。千怜、帯が左に寄っている。直してあげるから動くな」
「ひゃっ!? 凛ちゃんいつの間に……!あ、ありがとう、助かるよぉ」
「(リンはん、神社の門番より厳しおすな……)」
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