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第51話 祭典への招待と『綿飴・チョコバナナ』の色彩

 文化祭当日の朝、足元でちょこまかと動く師匠(んにゃ丸)を連れて、イチカさんのアパートを訪れていた。

 玄関先に現れた私服姿のイチカさんは、眠たげな目をこすりながら、足元の物体を指差した。


「……んにゃ丸、なんか変な動き方してるんだけど。気のせいじゃないよね?」

「こちら、うちの師匠ことバンリどす。見た目はんにゃ丸どすけど、中身は由緒正しき賢者……まあ、旅人どす」

「ふむ。この世界のルームウェアは実に合理的だな。適度に緩く、そして肌触りが良い。イチカと言ったか、君の部屋にあるクッションとやらは、人間をダメにするための魔道具か何かかね?」


 師匠がその場でくるりと回り、開いたドアの隙間から見えるイチカさんの部屋を鑑定するように喋り出した。

 イチカさんは眉をひそめ、スマホを操作する手を止めた。


「……喋った。まあ、アンタの知り合いなら、そんな変なのも一人や二人いるよね。胡散臭いのは慣れてるし」

「……」


 期待していたであろう「驚愕のリアクション」が一切返ってこなかったことに、師匠の短い尻尾がぴくりと震えた。


「……もう少しこう、あるだろう?未知との遭遇に対する畏怖や、物理法則への疑念といった情緒が」

「あ、そう。すごいね、喋る猫さん。……準備できた。行こ。高校行けば、もっと面白いものあるんでしょ?」


 イチカさんは師匠の言葉を完全に受け流すと、さっさと靴を履いて外に踏み出した。


「リエル。今の反応は、あまりに淡白すぎやしないかね?私の存在は、この世界の文明においては一種の特異点――」

「師匠、諦めなはれ。イチカはんは夜の静寂を一人で歩いてきたお人。ちょっとやそっとの胡散臭いもんには、もう驚きはしまへんえ」

「にゃっぷ……実に不本意だ」


 不貞腐れたように小さな声で鳴く師匠を足元に従え、私たちは活気に満ちた喧騒が響き渡る、青空の下の高校へと向かった。


 校門を潜った瞬間、熱波のような喧騒に包まれた。

 思わず声を上げ、色とりどりの装飾に目を輝かせる。


「わあ……すごい人おすなあ。これが学び舎の祭典、文化祭どすか」

「あーし、こういう人の多いとこ、やっぱりあんまり好きじゃないんだけど……熱気に圧倒されそう」


 イチカさんは気怠げにスマホを弄りながらも、その視線はあちこちの華やかな装飾をせわしなく行き交っている。


「あ、ハンナリエルさん!いちかちゃんも!」


 袴姿の上に法被を羽織ったチサトさんが、手を振って駆け寄ってきた。

 弓道部の出し物である『本格・的当て射的』のブースだ。


「千怜さん、似合ってる。まるで戦国武将みたい」

「あはは、ありがとう!いちかちゃん来てくれて嬉しいよー!ほら、二人ともやってみて!」

「にゃっぷ」


 師匠が早くしろと言いたげに短く鳴いた。

 チサトさんに促され、私たちは遊戯用の弓を構えた。


 以前、弓道場に訪れた時と同様に的を当て、景品の『チョコバナナ』を難なく撃ち抜くことに成功した。

 隣のイチカさんも、夜道の警戒で鍛えられた反射神経のおかげか、見事に的を射抜いて同じ景品を手にする。


「これ、弓道部員が全員でバナナにチョコかけたんだよ。特製!」

「随分とカラフルな装飾どすな。褐色の果実が宝石を散りばめた鎧を纏っているようどす」


 パステルカラーのカラースプレーが振りかけられたチョコバナナ。

 パリッとしたチョコレートの食感の後に、バナナ特有のねっとりとした甘みが続く。

 見た目の派手さに反して、とても素朴で安心する味だった。


「ん……おいし。チョコとバナナ、間違いない組み合わせ」

「パリッとしたチョコの後に、バナナの濃厚な甘みが追いかけてきますなあ。見た目の派手さに反して、とても素朴な応援の味がしやすえ」

「……たしかに。意外と普通に美味しい。千怜さん、チョコのコーティング、厚くていい感じだよ」

「やった!そう言ってもらえると、徹夜で冷やし固めた甲斐があったよー!」

「千怜さん、飛ばしすぎどすえ。これではリンはんが心配しはるのも頷けやす」

「あはは、バレた?ささ、次はいよいよ一年生のフロアだよ。凛ちゃん、お化け屋敷の受付で『幽霊より怖い顔』して待ってるから、早く行ってあげて!」

「ええ、リンはんの勇姿を拝みに行かせてもらいやす」


 私たちはチサトさんにお礼を言い、校舎の中へと足を踏み入れた。

 一年生のフロアに到着すると、そこは校舎内とは思えないほど混沌としていた。


「……何これ、迷路?」

「イチカはん、これは趣向を凝らした装飾の数々どす」


 薄暗い布で覆われた一角に、不自然なほど真新しく頑丈そうなダンボールの壁がそびえ立っていた。

 その入り口に、白装束を纏ったリンさんが、虚無のような目で立ち尽くしている。


「……いらっしゃい。ハンナリさん、いちか。よく生きて辿り着いた」

「リンはん、それは幽霊の仮装どすか?随分と魂が抜けたような迫真の演技どすな」

「演技じゃない。ダンボールと格闘して、睡眠時間を吸い取られた怨念のなり損ない。ここがあたしの墓標」

「凛さん、顔色悪すぎ。本物の幽霊より怖いんだけど……てか、この壁。妙に頑丈じゃない?あーしが蹴飛ばしてもビクともしなさそう」


 イチカさんが壁を軽くコンコンと叩くと、ダンボールとは思えない重厚な音が返ってきた。


「当然。ハンナリさん直伝による、対突撃用補強済み防壁。クラスメイトからは『迷路にしては強固すぎる』と苦情が出たけど、あたしは満足してる」

「お役に立てたようで何よりどす。防衛拠点は頑丈であってこそどすなあ」


 リンさんは私たちの背中を力なく押し、中へと誘った。


「一周してきたら、隣のクラスの出店で買った甘いものをあげる。あれで血糖値を上げないと、あたしはこのまま消滅する」

「あー、それ助かる。あーしも人酔いして糖分足りてないから」

「にゃっぷ」


 お化け屋敷の雰囲気に当てられたのか、師匠がどこか満足げに同意するように鳴いた。

 薄暗い迷路を抜け、出口で待っていたリンさんから、ふわふわの雲のような物体を受け取った。


「はい、『綿飴』。疲れた時に効く」

「ほう……」


 割り箸に巻き付けられた巨大な白い塊。

 口に含むと一瞬で溶けて消え、後には暴力的なまでの砂糖の甘みだけが口内に残留した。


「これは……固形でありながら気体のように消滅する。極限まで密度を下げた糖の魔法どすな」

「あーしは好きだよ、これ。自分から消えに行くみたいな潔さがさ」


 イチカさんは綿飴をちぎっては口に運び、廊下の入り口に置いてあったベンチで静かに笑った。

 数ヶ月前、深夜のコンビニの前で初めて会った時、彼女はもっと無機質で冷たい目をしていた。

 だが、チサトさんやリンさんと出会い、不器用ながらにも関わりを持つ中で、彼女の中に確かな体温が戻ってきている。


「イチカはん、綿飴、鼻についてますえ」

「えっ、うそ。どこ?」

「冗談どす。ちょっと動揺しはるところが、年相応で可愛おすなあ」

「性格悪い……はんなり聖女、確実にあっちの毛玉に毒されてる」

「にゃっぷ」


 背負われたカバンの中から、師匠が心外だと言いたげに短く鳴いた。


「リエル。冗談が過ぎてこの娘が拗ねてしまったじゃないか。仕方ない、機嫌直しに私の至高の毛並みを堪能させてやるとしよう。さあ、その膝を差し出せ」

「は?……いや、見た目はまんま、んにゃ丸じゃん」


 イチカさんは呆れたように、カバンから身を乗り出しているんにゃ丸を指差した。

 そんな彼女の反応を無視して、師匠は「にゃっぷ(触れ)」と短く鳴き、自らイチカさんの膝上へと飛び移った。


「……ふわふわしてる。本当に撫でていいの?」

「噛まへんよ。お好きにどうぞ」


 イチカさんがおずおずと手を伸ばし、師匠の耳の裏を撫でる。


「にゃっぷ。……ふむ。タッチの圧力が適切だな。合格だ、イチカ」

「猫のくせに偉そう。……でも、あったかいね」


 イチカさんの口元が、わずかに綻んだ。

 そこへ休憩に入ったのか、遠くからこちらを呼ぶ賑やかな声が響いてきた。


「おーい!ハンナリエルさーん!いちかちゃーん!」


 チサトさんがドタバタと全力で走り寄り、その後ろから少し足取りの危ういリンさんが続いてくる。


「おーい!二人とも堪能してる!?うちの学校、最高でしょ!?」

「あ、千怜さん。うん、いい学校だね」


 ぽつりとこぼしたイチカさんの言葉に、チサトさんが目をこれ以上なく輝かせた。


「いちかちゃん、うちの高校気に入ってくれたの!?じゃあ決まりだね!来年、絶対編入してきなよ!ワタシが保証人になってもいいよ!」

「編入?……いちか、高校中退してたの?それとも事情があって通ってないとか?」

「……は?」


 横からリンさんが、いつになく真剣な表情で問い詰める。

 イチカさんが、持っていた綿飴を落としそうになり、呆れたように二人を交互に見た。


「待って。アンタたち、あーしのこと何歳だと思ってたの」

「えっ、私と同じか、一個下くらいかなーって……」

「あたしはてっきり、不登校気味の高校生だと推測してた。夜にコンビニでたむろしてるくらいだから」

「あのさぁ……。あーし、ずっと言い忘れてたけど、まだ中3なんだけど。来年、普通に『受験』なんだけど」


 その瞬間。

 秋の空気が凍りついたかのように、チサトさんとリンさんの動きが停止した。

 足元で師匠が「にゃっぷ」と、全てを見通していたかのように鳴く。


「ええええええっ!?ちゅ、中学生ぇぇぇ!?」

「……致命的なミス。夜のコンビニでたむろする中学生……不登校、非行、即ち補導対象……」


 二人のあまりの衝撃っぷりに、イチカさんがこれ以上なく不快そうな顔をしながら、半分溶けた綿飴の棒を突きつけた。


「だーかーら!あーし、ずっとアンタたちのこと『千怜さん』とか『凛さん』って呼んでたじゃん。敬語だって使ってたじゃん。普通、気づかない?」

「いや、ハンナリさんから聞いてたイメージが強すぎて……」

「私も、ハンナリエルさんの知り合いだから、てっきり社会の枠組みから外れた同世代かと……」

「勝手に枠から外さないでくれる!?てか今更驚きすぎだし!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るイチカさんに、チサトさんが今度は物理的に飛びついた。


「じゃあじゃあ!余計に来るべきだよ!来年、うちの高校受験しなよ!そしたら私と一年、凛ちゃんとは二年一緒に通えるよ!絶対楽しいから!」

「ちょっと、千怜さん。近いってば。暑いし綿飴つくし!」

「悪くない提案。いちかの今の偏差値なら、余裕で合格圏内まで引き上げられる。明日から受験対策講座を始める」

「いや、なんであーしがアンタらのスパルタ指導を受ける前提で話が進んでるのさ!」


 口では反発しながらも、イチカさんの横顔はまんざらでもなさそうだった。

 甘い綿飴とチョコバナナ。そして未来を強引に引き寄せるような、友人たちの賑やかな声。

 祭典の魔力は、夜の住人だった少女の背中を、ほんの少しだけ朝の光の方へと押し出していた。


 ***


【タイトル:[引率]極炎の果実と幻惑の雲、そして時計の針を進める祭典の魔力】


 祈りの時です。

 皆様は、若き命が放つ強烈な熱気(魔力)にあてられたことがあるでしょうか。

 文化祭という名の巨大な祭典。そこには、数多の誘惑と奇跡が溢れております。


 大いなる大地の果実を極甘の鎧で封じ込めた『チョコバナナ』。

 そして、存在そのものが幻惑の魔法に等しい『綿飴』。

 それらの甘美な毒は、冷え切っていた夜の住人の魂を溶かし、未来という名の扉を開く鍵となりました。


 ただの偶然から始まった奇妙な縁が、やがて学び舎を共にするという希望へと繋がっていく。

 聖女として、これほど微笑ましく、祈りに足る奇跡はございません。


「千怜、冷静に聞いて欲しい。夏休みの宿題、中3相手にガチで数学を教えられていた事実を」

「わわっ、やめて凛ちゃん!あれは教えられてたんじゃなくて、意見交換!学問における世代を超えたディスカッションだから!」

「(このメンバー、学力のヒエラルキーが複雑すぎへん……?もしかして、うちが一番低いのでは……?)」


 #綿飴 #チョコバナナ #文化祭 #高校見学 #聖女の引率


第60話が最終回となりそうです。

是非ともお付き合いいただければ。

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