表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/60

第49話 境界を越える黄金の円盤と『おはぎ』の福音

 窓の外を、淡い茜色の空をなぞるように赤とんぼが横切っていった。

 つい先日までアスファルトを焼いていた酷暑が、嘘のように身を潜めている。

 風の中に混じるのは、乾いた草の匂いと、どこか物悲しい秋の予感。


「……なるほど。世界の解像度が少しずつ修正リビジョンされていく。実に見慣れたパターンの更新アップデートだ。リエル、この世界の『秋』というのは、案外律儀にやってくるのだな」


 窓辺でにゃん丸の姿のまま、バンリ師匠が小さな前足を組んで感心したように頷いた。

 その傍らには、型落ちの中古で購入したノートパソコンが開かれている。

 師匠は憑依したんにゃ丸の肉体を借り、日夜情報の海(インターネット)を泳ぎ、この世界の「万理」を解析するのに余念がない。


「どすなあ。暑さ寒さも彼岸まで言いやすさかい。元の世界では魔力嵐の機嫌一つで季節が吹き飛びましたけど、この世界は暦という名の術式が、えらい正確に機能しとるようどす」

「ふむ、お彼岸か。先ほど調べた動画サイトの学習データによれば、この時期には特定の糖分積層体――『おはぎ』なる供物を摂取するのが定石のようだな……おや、リエル。お前さんの指先、少しばかり汚れているぞ」

「ああ、これどすか。今日は街の郷土資料館で、古い巻物のデジタル・アーカイブ化のバイトへ行ってきまして。スキャンした画像を最適化する術式――設定が難解で難儀したんどすけど、隣で師匠がモニタを覗き込んで助言をくれましたさかい、なんとか完遂できましたえ」

「ふむ。物理的な情報の風化をデジタルの不変性へと変換する。実に理に適った労働だった。お前さんの指先が静電気で少し浮いているのも、そうした新領域の試練の証だな。聖女というよりは、もはや熟練の工兵に近いバイオリズムを感じるぞ」

「人聞きの悪いことを言わんといておくれやす。これくらい聖女のたしなみどすえ」


 そんな挨拶を交わしていると、アパートの廊下から「……おい、ハナ」と、低く掠れた声が響いた。

 大家のゴンドウさんは、使い古されたジャージに、首には相変わらずのタオル。

 その手には、ずっしりと重そうなダンボール箱を持ち上げていた。


「届けもんだ」

「あら、ゴンドウはん……これはもち米と小豆どすか?」

「先月、お前さんがお墓参り代行を請け負った依頼主からだ。『秋のお彼岸に使ってほしい』ってな。わざわざ事務所に届けてくれたんだよ」


 そう言い残すとゴンドウさんは鼻を鳴らし、のっそりと去っていった。

 聖なる糧の供給。それはこの世界において、最も確実な「救済」の始まりを意味していた。


 ***


 夕暮れのキッチンに、もち米が炊き上がる甘く香ばしい香りが充満した。

 師匠が見つけた動画を何度も見返しながら、ボウルに移した熱々の米をすりこぎでトントンと突き始める。


「リエル、何をしている。その真っ白な情報の核を不完全な形に破壊して……万理の解析によれば、それは全滅でも生存でもない、中途半端な位相にあるぞ」

「これは『半殺し』言うて、おはぎの最も重要な儀式どす。粒を残すことで噛んだ時の福音を最大化させるんどすえ。動画のお師匠はんも、そう言うてはりました」

「はんころし……この平穏な極東の島国で、米に対してそれほどまでに過激なアルゴリズムを適応するとは。美食の裏には、常に冷徹な『破壊』が潜んでいるというわけか。興味深いプロトコルだ」


 師匠はんにゃ丸の姿で、ボウルの縁をまじまじと見つめている。

 さらに甘く煮詰めた小豆のあんこを手に取った。


「見ておくれやす。この『半殺し』にした米の塊をあんこで包み込むんどす。これぞ情報のレイヤー化どすえ」

「ふむ……芯にある弾力(もち米)を、植物性の糖分あんこで重厚にコーティングする。なるほど、これは一種の『情報の圧縮』であり、あるいは外的要因(乾燥)から聖域を守るための物理障壁シールドか」


 師匠はんにゃ丸の短い前足を器用に使い、丸めたおはぎをまるで見本でも作るかのように正確な球体へと整えていく。

 その光景は、どこか高度な錬金術の実験のようでもあった。


「……さて。『福音』の品質管理テイスティングを行わねばなりまへんな」

「異議なし。リエル、毒見という名の特権を享受しようではないか」


 出来立てのおはぎを一つ、小皿に載せて食卓へ。

 まずは一口。


「……んんっ……!優しい……甘みが、五臓六腑に染み渡りますえ。半殺しにしたお米のつぶつぶとした抵抗が噛むたびに生きる喜びを教えてくれるようどす。微かな塩気が……ああ、これは魂の休息ヒーリングどすなあ」

「ふむ。万理の解析によれば、このあんこの糖分濃度は脳のニューロンを活性化させる最適値に設定されている。口の中で崩れる情報の積層体(もち米)が、あんこのビロードのような滑らかさに包まれ、味覚の地平線を拡張アップデートしていく。リエル、これは単なる甘味ではない。冬に向けてエネルギーを蓄積する生命の演算ロジックそのものだ」


 師匠はんにゃ丸の短い舌で、口の周りについたあんこを満足げに舐めとった。


「よし。これで『おはぎ』の錬成、完了どす。それにしても少々作りすぎてしまいましたなあ。明日以降も、しばらくはおやつに困りまへんえ」

「お前さんのその過剰供給オーバーフローの癖、相変わらずだな。まあ、美味いから文句はないが」

「(この糖分の結晶……元の世界に持ち帰って教会で売り出せば、大金持ちになれたかもしれまへんのに……惜しいことをしましたなあ)」


 そんな悠久の──あるいは胃袋の制限時間に追われた──やり取りをしていた、その時だった。

 アパートの薄い扉を遠慮がちに、けれど確かなリズムで叩く音が響いた。


「……リエル、客か?お前さんに知人がいるとは解析外イレギュラーだな」

「うちかて心外どすえ。はいはいー、いま開けますえー」


 立ち上がり、鍵を開けて扉を引く。

 そこに立っていたのは大きなパーカーのフードを深く被り、顔を半分隠すような大きなサングラスをかけた不審な――否、見覚えのある「親友」だった。


「エルさーん!突撃しちゃいましたっ!」

「あら、アスカはん!?どないしはったんどす?」


 フードの中から飛び出してきたのは、鮮やかな髪と、太陽のような笑顔。

 新星「ノヴァ」としての顔を隠した彼女が、ずっしりと重そうな保冷バッグを両手で掲げていた。


「これ、見てください!仕事先で最高級のシャインマスカットを箱で貰っちゃって。アタシ一人じゃ絶対食べきれないし、美味しいものは真っ先にエルさんとシェアしなきゃって思って、飛んできちゃいました!」

「そらまあ、えらい豪華な差し入れどす。住所は前にお教えしましたけど、迷わはらへんでしたか?」

「エルさんの教え方が完璧だったから一発でしたよ!なんて、本当はこのアパートの独特な『昭和レトロなオーラ』を頼りに嗅ぎつけた、っていうのは内緒ですけどね!」


 いたずらっぽくウインクすると、聖女の背後――食卓の上に鎮座するんにゃ丸に目を留めた。

 正確には、んにゃ丸が器用に前足で湯呑みを持ち、茶を啜ろうとしていたその瞬間に。


「……え、エルさん、その子……んにゃ丸……ですよね?今、お茶……飲みました?」

「ふむ。情報の隠蔽に失敗したか。まあいい、リエル。この娘には、案外隠し事が通じないバイオリズムを感じる。挨拶くらいはしておこう」


 んにゃ丸がその姿からは思えない滑らかな動作で首を鳴らし、アスカを正面から見据えた。


「初めまして、迷い子の『一番星』。私はバンリ。リエルの師だ。以後、お見知り置きを」

「……しゃ、喋ったぁーーー!?すごい、すごいですエルさん!さすが聖女様の使い魔さん、超インテリジェンスな猫ちゃんじゃないですか!」

「ああ、驚かせて堪忍どすえ。この子が例の『師匠』どす。アスカはん、会いたがってはりましたやろ?」

「えっ、えええええっ!?この子がエルさんが言ってた師匠さん!?」


 アスカさんの驚きは、瞬時に爆発的な歓喜へと書き換えられた。

 お土産を投げ出さんばかりの勢いで身を乗り出し、師匠の顔を穴が開くほど覗き込む。


「すごい!喋り方がめちゃくちゃ渋い……!はじめまして、アスカです!アタシ、ずっと師匠さんに会ってみたかったんです!」

「ふむ。お前さんがアスカか。リエルから話は聞いておるぞ。慣れぬ異郷で孤独な此奴の支えとなってくれていることを師として礼を言わねばならんな。ありがとう……大儀であった」

「きゃあ!アタシのこと知っててくれたんだ!すごい、師匠さんに『大儀』って言われたぁ……!」


 アスカさんは怖がるどころか、むしろ「尊いものを見た」と言わんばかりに目をキラキラさせて手を差し出した。

 師匠はと言えば、んにゃ丸の姿のまま優しく目を細め、労うように肉球を「ぽすっ」と彼女の手の甲に乗せる。


「うわぁ……肉球……!ぷにぷに、だけど賢者の慈愛を感じる気がします!」

「アスカはん、それは単にんにゃ丸の肉球が気持ちいいだけやと思いますえ」

「師匠さん、よければマスカット食べますか?はい、あーん!」

「む。私にまで気を使わなくてよいのだがな。では、お前さんの厚意、ありがたく受け取るとしよう……にゃっぷ」


 アスカさんにマスカットの粒を口へ運ばれ、少し照れくさそうに、けれど慈しむように齧り付く師匠。

 その光景に思わず呆れつつも、濡れ布巾で師匠の口元を軽く拭ってやった。


「師匠、美味しそうに食べてはるところ悪いんどすけど、その姿で器用に食べるの、ちょっとシュールすぎますえ。前足の使い方が人間じみてて怖いわ」

「ふっ、愚問だなリエル。賢者たるものお前さんもこうして友と語らい、糧を食す喜びを噛み締めるがよい。魔力の極意は案外こういう何気ない夜の中にこそ宿るのだよ……にゃっぷ!?」


 ドヤ顔で良いことを言おうとする師匠の鼻先に、僅かにマスカットの果汁が光る。

 そんな師匠の姿に、張り詰めていたアスカさんが堪えきれずに吹き出した。


「ふふっ……あはははっ!なにその顔、すっごく可愛い……っ!」


 アスカさんがお腹を抱えて笑い、冷えた夜気が部屋を温かく包み込んでいく。

 澄み切った秋の夜空。見上げれば、欠けのない美しい月が私たちを照らしている。


 豪華なフルコースじゃなくても。

 肩の力を抜いて笑い合える親友、そして飄々とした師匠と共に過ごすこの時間は。


 間違いなく、何よりも贅沢な時間だった。


 ***


【タイトル:[境界]彼岸を繋ぐ甘美な積層、黄金の円盤『おはぎ』の福音】


『――祈り。それは夏という名の灼熱が去り、秋という名の静寂がパッチを適用し始める、世界の端境期。古し記憶のデジタル化という情報の永続化メンテナンスにて指を汚し、古し知識(動画サイト)を紐解けば、そこに記されしは「半殺し(はんころし)」なる過激なる儀式。真っ白な情報の核を破壊し、粒としての個性を残したまま、甘美なるあんこによる重層障壁レイヤーで包み込むのです。そこへ突如として舞い降りしは、翡翠の如き輝きを放つ「西洋の宝玉マスカット」。伝統と革新、此岸と彼岸、そして予期せぬ友との邂逅。これら全てが渾然一体となり、喉を通り、脳裏を潤すとき、我々の魂は次なる祝祭への「予行演習」へと導かれる聖なる福音だったのでございます――』


「……アスカはん、いつまで師匠の肉球を揉んではるんどす。師匠も師匠どすえ、『もっと圧をかけても構わんぞ』やあらしまへん」

「だって、エルさん!師匠さんの存在そのものが奇跡っていうかインテリジェンスの塊っていうか……喋り方も含めて、もう完全に『推し』確定ですよ!」

「ふむ。この『にくきゅう』という部位に、これほどまでの癒やしの術式が組み込まれていたとはな。アスカ、お前さんのマッサージのアルゴリズムは実に洗練されているぞ。リエルも少しは見習いたまえ」

「(師匠が適当な人だとバレてしもたらどないなるやろ……)」


 #おはぎ #師匠の観測 #肉球の慈愛 #推しは猫型 #聖女の共食


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ