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第48話 無銘の万理(ロジック)と『石焼き芋』の紅蓮炉

「……リエル、この世界の『水』の純度は異常だ。ろ過という魔術的プロセスが、公共インフラにまで組み込まれているとは」

「それは浄水場どす、師匠。あと、ここは銭湯どすから。あんまり感心してないで排水溝の滑りを浄化しといておくれやす」


 ことほぎ荘から少し歩いた場所にある、銭湯『水守の湯』。

 本日の労働は、閉店後の大浴場清掃だ。

 足元で白い猫の姿を模したんにゃ丸から身体を借りたバンリ師匠が、ブラシを前足に挟んでタイルを磨いている。


「いいや、これは興味深い。お前さんが言う塩素が、水に含まれる情報のノイズを徹底的に排除している。おかげで私の解析もスムーズに進むがね」

「そんな理屈はどうでもええどすえ。リンはんに有能なペットやと思ってもらわんと、師匠の分までご褒美の牛乳が出えしまへん」


 ピコピコと、んにゃ丸(バンリ師匠)の電子的な瞳に「解析中」のアイコンが明滅する。

 バンリ師匠は現代日本に留まると決めてからというもの、バイト先にまで同行したがるようになった。

 最初は断ろうと思ったが「お前さんの情報の欠落を補うには、実地観測が不可欠だ」などと無礼なロジックを並べ立てられ、なし崩し的に同行を許してしまった。


「ハンナリさん、そっちのタイルの目地、終わった?」


 脱衣所の方から、キビキビとした足音と共にリンさんが現れた。

 服の袖を捲り上げ、エプロン姿でバケツを持った彼女は、私たちの作業を一点の曇りもない眼差しで確認する。


「……うん、いい。んにゃ丸も無駄がない動き。清掃の真髄にまで届く」

「んにゃん!」


 褒められたバンリ師匠が、殊勝なアイコンで短く鳴いた。

 リンさんはんにゃ丸の頭を軽く撫でると「終わったら隅の浴槽でお湯を張るから」と言い残して、再び脱衣所の鏡を磨きに戻っていった。


「ふむ、守護の乙女か。あのアガパンサス(紫色の花)のような静かな魔力循環グリッド……彼女もまた、この聖域を護るに足る格を備えているようだ」

「格とかはどうでもええから、さっさと終わらせまひょ。師匠、あそこ」


 指差したのは、男湯と女湯を隔てる高い壁付近に浮遊する、目に見えぬ歪み——「ゲート」の残滓だ。

 師匠はブラシを置き、じっとその空間を見通した。


「……感知した。だが、案ずるな。リエル。これはお前さんが恐れるような悪意ある侵蝕ではない」

「どすか?」

「ああ。この地の波長は驚くほど穏やかだ。私たちの魔力循環グリッドとは全く違うが、この世界に根付く古い法則……この地に住まう『神々』の業かもしれないな。人の祈りが水の循環と溶け合って、穏やかな聖域を形成している」


 適当に呟くようにバンリ師匠が言った。

 けれど、その視線の先には、確かにこの日本のどこかに息づいているであろう八百万の神々の残響を正しく捉えているような不思議な深みがあった。


 清掃が終わる頃、銭湯の入り口から賑やかな声が響いてきた。


「凛ちゃーん!この千怜さんが練習終わりの身体に、清掃後の特権『一番風呂』をもらいに来たよー!」


 ポニーテールの少女、チサトさんが、弓袋を背負って元気よく飛び込んできた。

 脱衣所の鏡を磨き終えたリンさんが「声が大きい、千怜。もう閉店してるんだから」と呆れ顔で出迎える。


「あ、ハンナリエルさんに、んにゃ丸だ!元気してたかーおいっ!」

「んにゃ丸でございます。千怜殿……および、凛殿」


 んにゃ丸の姿のまま、バンリ師匠が流麗な動作で優雅に一礼した。

 勢いよく撫でようとしていたチサトさんの両手が空中でピタリと止まる。

 少し後ろにいたリンさんも、目を丸くしていた。


「わ、わわっ……!?うそ、本当に喋った!しかもなんか歴史の先生みたいな話し方!」

「んにゃ丸って喋れたのか……いや、これは遠隔操作?」

「ハンナリエルの師だからな。物珍しい程度にしておいてくれると助かるよ」


 固まった二人にフォローを入れる間もなく、バンリ師匠は丸い胸を張って飄々と答えた。


「師匠、勝手に名乗らんといておくれやす。うちがヤバい電波の信徒やと思われますえ」

「事実だろうに。私は適当な性格だと自称しているが、時相応に万理のロジックを麓に置いてくる主義でね。以降、お見知りおきを。そこの若き精霊エナジーの持ち主の方々」

「……なんか掴みどころがない。中身に図々しいおじいちゃんが入ってるみたい」

「おじいちゃん……だと?」

「うちの師匠、女性でまだ……ごほぉっ!」

「リエル。お前さんは余計な情報を喋るな」


 うっかり口を滑らせようとした瞬間、バンリ師匠の放った微弱な痺れが踵を直撃した。


「……ごめん、声が良かったので勘違いした」

「構わん。万能の賢者たるもの性別などという些末な枠組みはとっくに超越している……が、おじいちゃん呼ばわりは少々引っかかるな。んにゃんっ!」

「……あざと可愛さで誤魔化そうとしてる」

「まぁまぁ、凛ちゃんもそれぐらいにね!」


 んにゃ丸の姿のまま器用に短い前足で額のあたりを押さえ、やれやれと首を振る。


「私はバンリ。この弟子の師だ。よしなに頼むよ、娘たち」

「……とりあえず、よろしくお願いします」

「よろしくね、バンリ師匠!」


 そんな奇妙な挨拶が交わされた後、掃除が終わり、私たちは賑やかに連れ立って貸し切りの大浴場へと向かった。

 広い湯船で一日の疲れを癒しながら、二人に呆れ半分で師匠の生態を漏らした。


「……滝行をサボって芋を焼いてた?本当にハンナリさんの師匠なの?」

「残念ながら事実どす。うちが必死に冷たい水に打たれてる横で、ホクホクのお芋を『熱力学的な観測だ』なんて言うて頬張ってはりましたわ」

「あはは、最高にロックだね、バンリ師匠!」

「中身が何であれ、清掃の腕は本物……でも、食い意地は、ハンナリさんと似ている気がする」


 湯船に浸かりながらそんな師匠の適当な武勇伝を語り合っているうちに、身体の芯まですっかりと温まっていた。


 湯上がり。

 清掃後の特権である一番風呂で汗を流し、リンさんから賜った瓶牛乳を飲み干して外へ出ると、秋の冷たい夜風が髪を撫でた。

 商店街の街灯がひっそりと淡い光を投げかけている。


「……ん?」


 静まり返った夜の帳の向こうから、物悲しくも温かな、独特の「詠唱」が聞こえてきた。


『い〜しや〜きいも〜、おいもっ』


「リエル、今の波動は何だ? 重厚な炭素の燃焼反応と、大地の魔力が凝縮されたような濃厚な匂いを感じるぞ」

「あれは石焼き芋の移動販売どす。師匠、あんなに美味しそうな……いえ、高密度な情報の塊、食べたいんと違いやすか?お腹、空いてはるんと違いますか?」

「おや、私のバイオリズムを案じてくれるとは殊勝なことだが……リエル、お前さんの喉が鳴っているぞ」

「気のせいどす。師匠が食べたいと言うのなら、うちも付き合って差し上げんこともありまへんけど」

「おっちゃーん! お芋、四つちょうだい!」


 師匠をダシに自分の食欲をカモフラージュしている合間に、チサトさんの遠慮のない大声が夜の静寂を震わせた。

 角を曲がって現れた一台の軽トラックが、煙突から香ばしい煙を吐き出しながら、私たちの前で速度を落とす。


「……なるほど、気温の低下と共に糖分の摂取効率が最大化される、理にかなった巡回ルートだ」

「お芋、四つ! あ、おまけしてー!」

「はいよ、熱いから気をつけてな。少し大きいの選んどくからな」


 師匠がんにゃ丸の姿で感心したように頷いている横で、チサトさんが小銭の入った財布を手に、おっちゃんへ駆け寄った。

 新聞紙に包まれた、ずっしりと重い熱塊。

 水守の湯へと引き換えし、恐る恐るその皮を剥くと、立ち上る白い湯気の向こうから黄金色の蜜が染み出した中身が姿を開陳した。


「ん……美味しい。落ち着く甘さ」

「熱っ、ホクホクだー!練習後だしー、湯上りだしー、カロリーゼロだよね!」


 それぞれ熱さに身悶えしながら笑顔をこぼす。

 そんな私たちの隣で、丸めた新聞紙の上に置かれたお芋を師匠も一口。

 んにゃ丸の小さな口で、ホクホクとした黄金を大切そうに食んでいる。


「ほう、これは。地中での長期蓄積データが紅蓮の()によって一気に糖化へ変換されたというわけか。情報の密度が喉を焼くように甘い」

「師匠、理屈は後回しどすえ。せっかくの熱々が冷めてしまわへんうちに、しっかり食べておくれやす」

「そうだね。バンリさんも掃除頑張ってくれたんだから」

「熱いうちが一番だって!はい、師匠もあーん!」

「うむ。この熱量カロリーという概念、なかなか悪くない」


 ホクホクのお芋を頬張りながら、二人が師匠を囲んで他愛のない会話を交わしている。

 その光景を見つめながら、ふと尋ねた。


「師匠。満足しましたか?データの収集が終わったら帰る言うてはりましたけど」

「……いや、この世界の術式()には、まだ解明すべき非論理的な美食が多すぎる。もう少し、この騒がしい空気を観測させてもらうとしよう」

「どすか。ま、賑やかでええどすけど。その代わり、明日もバイト手伝ってもらいやすえ?」

「ふむ。対価がこの黄金の熱塊であるならば、悪くない契約だ」


 秋の夜空には、いつの間にか高い位置に月が昇っていた。

 美味しい夜の師弟の、そして仲間たちとの賑やかな生活は、どうやらまだこの世界で続いていくようだった。


 ***


【タイトル:[聖別]黄金の核に宿る大地の記憶、熱塊『石焼き芋』の救済】


『――祈りとは、闇を照らす紅蓮の焔を囲み、大地の眠りを分け合う静寂の儀式でございます。時刻は秋風が肌を刺す夜。古き良き聖域(銭湯)にて「浄化」の労働を終えし我々と、若き精霊エナジーの持ち主たちは、物悲しき詠唱いしやきいもに誘われました。そこには、灰色の()を纏い、内側に黄金の蜜を秘めた『石焼き芋』の福音。師は言われました。「これは地中の情報が時を経て、熱による洗礼で奇跡へと昇華された結晶である」と。新聞紙という名の謙虚な器に包まれたその熱塊を割り、立ち上る湯気と共に四つの魂で享受する。喉を通り、胃裏を温める濃厚な甘みは、明日もまたこの世界で共に笑い合うことを誓わせる、聖なる契約の一口だったのでございます――』


「師匠、滞在を延ばすなんて、あちこちの観測者が驚かはりますえ」

「構わん。万理は常に流転するものだ。お前さんの情報の欠落を補うと言ったろう?……建前だがな」

「本音は、次は何を食べるか、どすか?」

「……お前さんの解析能力も、随分と上がったようだ」


 #石焼き芋 #秋の夜長 #銭湯帰り #聖女の生活


エヴァが視たくて。

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