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第45話 嵐の夜の籠城戦と『コロッケ』の黄金盾

 大型の台風が接近しているというニュースが、朝からひっきりなしに流れている。

 窓の外はまだ静かだが、空は不気味なほど重く、灰色に沈んでいた。


「んにゃ丸、お前さんも落ち着きまへんな」

「んにゃ、んにゃんにゃ!」


 瞳を明滅させる相棒を横目に、手元のスマホが震えた。


「……はい、ハンナリエルどす。え、中止?やっぱりそうどすか」


 今日から入るはずだった短期バイトの現場責任者からの電話。

 電話の向こうで責任者のおじさんが申し訳なさそうに、けれど断腸の思いといった声を出していた。


「『ツチノコの捜索よりも命が大事だ。山は土砂崩れの危険がある』……。ごもっともどす。何よりで。……ええ、またの機会に」


 通話を終え、溜息をついた。

 今回依頼されていたのは、『ツチノコ発見用・赤外線センサーの動作確認助手』。

 山中に仕掛けられた数十のセンサーを巡り、バッテリー交換と動作状況を記録するという極めて秘教的というか、シュールな労働の予定だった。


「幻の珍獣を拝めるかもしれまへんと思って楽しみにしていたんどすが……」


 不条理な仕事ほどやる気が出るのは、この世界の労働に毒され始めている証拠かもしれない。

 ぽっかりと空いた、台風の休日。


『台風来るからコロッケ買ってきた』

『コロッケ売り切れワロタ』

『備えあれば憂いなし、コロッケあれば平和あり』


スマホで情報収集をしていたところ、SNSのタイムラインに奇妙な風習が流れてきた。

 ——台風コロッケ。


「……なんどすか、これは」


 詳しく調べてみると、昔のネット掲示板から始まった風習らしい。

 嵐の日にコロッケを食べる。理由は判然としないが、今では一種の儀式として定着しているようだ。

 元の世界にも似たような風習はあった。嵐の神を鎮めるために、揚げ菓子を供える儀式が。


「つまり、これは供儀くぎ……!この国の民もまた、荒ぶる天候神に捧げ物をしているのどすな!」


 納得した。

 郷に入っては郷に従え。

 聖女として、この儀式に参加しないわけにはいかない。


 財布を掴んで、部屋を飛び出した。


***


 スーパーマーケットは、戦場だった。

 カップ麺やパンの棚が空っぽになっているのは予想通り。

 だが、惣菜コーナーの熱気はそれ以上だった。


「コロッケ!コロッケはどこどすか!」


 人混みをかき分けて進む。

 主婦たちの鋭い視線。会社帰りとおぼしきサラリーマンの俊敏な動き。

 全員が同じ獲物を狙っている。


 残り三パック。


 目の前で一つ、おばあさんがカゴに入れた。

 隣から伸びてきた手が、もう一つをさらっていった。


 残るは一つ。

 『北海道産男爵の牛肉コロッケ&カニクリームコロッケ(4個入り)』。


「——頂いたどす!」


 聖女の瞬発力が、僅差で勝利した。

 パックを手に取った瞬間、周囲から「チッ」という舌打ちが聞こえた気がしたが、戦場では勝者のみが正義だ。


 レジを済ませて店を出ると、生温かい風が頬を叩いた。

 雨粒がポツリ、ポツリと落ちてくる。


 急いで帰還しなければ。

 戦利品コロッケを守り抜くために。


***


 夜。暴風雨がピークを迎えていた。

 雨戸を閉め切った六畳一間は、外の世界から隔絶されたシェルターのようだ。


 ゴーッ、ゴーッという風の音が、遠い獣の咆哮のように響く。

 時折、窓ガラスがガタガタと震える。


 けれど、部屋の中は暖かく、平和だ。


 トースターで温め直したコロッケが、皿の上で黄金色に輝いている。

 ソースの香ばしい匂いが、不安な気持ちを塗り替えていく。


「頂きます……嵐の神よ、これにてお鎮まりください」


 まずは牛肉コロッケから。

 サクッ。

 小気味よい音と共に衣が割れる。

 中から現れたのは、ホクホクのジャガイモと、甘辛く味付けされた牛肉のミンチ。


「……んんっ! サクサク……!」


 揚げたてではない。温め直しだ。

 それでも、このクリスピーな食感は健在だ。


 ジャガイモの素朴な甘みが口いっぱいに広がる。

 ソースの酸味が加わって、これぞ日本の惣菜、という安心感を与えてくれる。


 続いて、カニクリームコロッケ。

 こちらは慎重にいかなければならない。不用意に噛めば、熱々のマグマが口内を蹂躙する。


 ハフッ。

 トロリと溶け出した濃厚なクリームのコクと、カニの風味が鼻に抜ける。


「あつつ……でも、美味しい……!」


 外は嵐。中はクリームコロッケ。

 このギャップ。世界の危機などどこ吹く風で、安全圏で高カロリーな揚げ物を貪る背徳感。

 これこそが『台風コロッケ』の真髄なのかもしれない。


 スマホの画面が光った。グループの通知だ。


『風すごいね。みんな大丈夫?』

『雨戸閉めた。問題なし』

『あーしん家、停電なう。スマホのライトでカップ麺食ってる』

『コロッケを食べておりますえ。んにゃ丸も異常なし』

『なんでコロッケなのさ!?』

『なぜコロッケを?』

『なんでコロッケなんだよ!』


 ふふ、と笑みが漏れた。

 食べているものは違えども、離れていても、同じ嵐の下で繋がっている。


 彼女たちにはまだ、この「黄金の盾」の真理は早すぎたのかもしれない。

 それだけで、ガタガタと鳴る窓の音も、少しだけ賑やかなBGMに変わる気がした。


「さ、最後の一個……牛肉にするか、クリームにするか」


 平和な悩みを抱えながら、箸を伸ばした。


***


【タイトル:[籠城]風神の咆哮を背に、黄金の盾『台風コロッケ』で築く絶対防衛圏】


『――外の世界がどれほど荒れ狂おうとも、この薄い衣の下には平和があります。暴風雨という名の脅威に対し、人類が築き上げた黄金の防壁コロッケ。そのサクサクとした音は、不安を遮断する結界の詠唱。中に詰められたホクホクのジャガイモは、大地が約束した安寧の具現化でございます。雨戸を閉ざし、外界との接続を断ち、ただひたすらに揚げ物を齧る。それは逃避ではありません。己の心の中に、嵐さえも手出しできぬ聖域サンクチュアリを構築する、高度な精神防衛術なのでございます――』


『エルさん!ツチノコのバイト、台風で休みになったんですか?』

『ええ、山の神が「今は時期やない」とおっしゃったようで、あのまま山に入っていれば今頃うちは「ツチノコを見つけた聖女」として歴史に名を刻んでいたかもしれまへんえ』

『その前に土砂崩れでニュースになってるって!コロッケ食べて無事でよかったです!』


#台風コロッケ #牛肉コロッケ #カニクリームコロッケ #聖女の籠城


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