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第43話 知識の防衛戦と『手作りピザ』の円盤

 末日。

 この日付が持つ意味を、甘く見ていた。


 元の世界にも暦という概念こそあれど「夏休み」という制度は存在しない。

 だから、その日のお昼過ぎにアパートのチャイムが連打された時、魔物でも襲来したのかと思うほどだ。


「ハンナリエルさぁぁぁぁぁん!助けてぇぇぇ!」


 玄関を開けた瞬間、涙目のチサトさんが飛び込んできた。

 両手にはパンパンに膨らんだ通学鞄。

 背中には絶望という名のオーラを背負っている。


「どうしました、チサトはん。魔王の軍勢にでも追われてはるん?」

「もっとヤバい!数学!数学が終わんないの!あと読書感想文も自由研究も、何もかも白紙なのぉぉぉ!」


 床に崩れ落ちるチサトさん。

 このままだと彼女は学問の波に呑まれて溺れかねない。


 溜息をつきながら、スマホの画面を叩いた。

 以前、海へ行った時に作ったグループチャット『水着クエスト攻略パーティ』を起動する。


『【緊急事態】チサトはんが数学の呪いに蝕まれて再起不能どす。至急、増援を乞う』

『あたしはもう終わっている。千怜の場合、赤点取ったら部活が出来なくなるのでは?』

『あーしも自主学習分は終わってるし。千怜さんはどんなスケジュール立てたのさ』

『立ててない!毎日が全力投球すぎて宿題の入るスキマがなかった!』

『それを世間では無計画と言う。その様子だと数学だけではないのでは?』

『読書感想文……あと、自由研究という名の未踏領域も残ってるよぉぉぉ……』

『……不憫。あーし、宿題の残し方なんてよく分からないし』

『イチカはん。それを言うたらあきまへんえ』

『あーしは夜に一人で進めちゃうタイプなだけ……っていうか、集まるんでしょ?エルさんの部屋に四人は狭くない?……うちの家、来れば?』


 こうして、半ばパニック状態のチサトさんを抱え、夜の住人が住まう城へと向かうことになった。


 ***


 イチカさんの自宅はことほぎ荘とは対照的な、静寂に包まれた広々とした邸宅だった。

 冷房の効いたリビングには高級そうなソファと、それとは不釣り合いなコンビニの食べ残しが置かれていた。


「……散らかってるけど、適当に座って」


 そう言ってイチカさんは、いちごオレの入ったグラスをテーブルに置いた。

 後から合流したリンさんも加わり、広大なリビングのテーブルにプリントの山が築かれる。


「まずは現状把握から……千怜、これ、半分も終わってない」

「そうなの!答えを見ても意味が分かんないのぉぉぉ!」


 チサトさんが数学のプリントに突っ伏して呻いている。

 覗き込むと、そこには異界のルーン文字のような数式が羅列されていた。


「サイン、コサイン、タンジェント……これは呪文どすか?」

「ある意味呪いだよ……!なんで三角形の辺の長さを求めるのに、こんな儀式が必要なの!?」

「落ち着きよし。聖女の記憶術を伝授しまひょか。膨大な聖典を暗記するために編み出された映像記憶法どすが」

「ほんと!?やるやる!さすがハンナリエルさん、頼りにしてるよ!」


 一ミリの疑いもなく、チサトさんは身を乗り出した。

 そんな彼女をリンさんとイチカさんは、冷めた目で見つめている。


「……千怜、それ本気で言ってんの?」

「この人、うさんくさいよ?映像で暗記とか、普通に人間辞めてるレベルだし」

「でも聖女様だよ!?弓で奇跡を起こす人だよ!?数式の一つや二つ、頭の中に焼き付けるくらい余裕だって!」


 三十分後。


「……ダメだ。頭の中でサインとかコサインがサンバを踊ってて余計に混乱する……」

「おや。適性が足りまへんか」

「物理的に脳がパンクしてるみたい。ほら、千怜の目から光が消えてる」

「あーあ、だから言ったのに。凡人には凡人の地道な公式の暗記しかないんだって。はんなり聖女、これは普通の女子には毒だから」


 シャーペンを回しながらイチカさんが冷静にツッコんだ。

 皮肉にも夜の住人の方が、チサトさんよりずっと勉強ができるようである。


「そこ、公式が違う。二乗の展開」

「えっ、ここ?」

「そう。で、そこをマイナスで括る」

「あー!なるほど!いちかちゃん天才!」

「……っ、アンタが基本を理解してないだけ……いちかちゃん言うなし」


 不意に顔を背けたイチカさんの耳朶が、わずかに赤らんでいた。

 チサトさんの裏表のない賞賛は、屈折した夜の住人の心に真っ直ぐすぎる光を届けてしまったようである。


 カッカッカッ、とシャーペンの走る音が、静かな豪邸に響く。

 お昼過ぎから始まった一人のための勉強会。

 時間は無慈悲に過ぎていき、窓の外が青い空から深い夜の色に変わる頃、ようやくペンが止まった。


「……お腹すいた。もうシャーペン持つのも限界」

「千怜のエネルギー切れ。思考回路、休止……カロリーをぶち込んであげる必要がありそうだ」

「イチカはん、夕食はどうしはりますの?お父はんやお母はんは?」

「……帰ってこないよ。適当に冷蔵庫にあるもの食べるから、いい」


 そのドライな言葉の裏にある、いつもの独りの匂い。

 このままではチサトさんの宿題も、イチカさんの孤独も、共倒れになってしまう。


「よろしい。ならば一つ禁断の錬金術を使いまひょか。この広いお城に相応しい巨大な円盤を作成しますえ」

「錬金術?」

「ええ。以前、動画で予習しておいた『ピザ』の理どす」


 ***


 イチカさんの家のキッチンは、魔法の実験場にするには十分すぎる設備が整っていた。

 広い天板。最新式のオーブン。

 冷蔵庫には、なぜか使い道に困るほどのチーズとベーコンが眠っている。


「イチカはん、これらを拝借してもよろしいどすか?」

「……いいけど。アンタ、本当に作れるの?」

「聖女に不可能はありまへん。捏ねる、伸ばす、焼く。これぞ三種の儀式どす」

「細かい作業は苦手なくせに、力仕事だけは得意な聖女ってどうなのさ?」

「それ!弓の時も思ったけど、ハンナリエルさんって意外とフィジカルで解決するタイプだよね!」

「これは『聖なる圧力』どすえ。力こそが救済をもたらすこともあるんどす」


 ボウルの中で粉と水が混ざり合い、一つの塊となる。

 それを動画のBGMを口ずさみながら一心不乱に捏ね上げた。

 台に叩きつけ、拳で押し込み、また丸める。


「生地が泣いている気がするのだが?ピザの洗礼としては過酷すぎる気がする」

「生地が泣く?聖女の力で生地に感情が宿るどすか?それはまた新たな奇跡どすえ」

「そういうことではなくて……」


 リンさんの冷静なツッコミを受け流しながら、さらに腕を振るった。

 発酵という名の休息を経て生地はふっくらと膨らむ。

 それをチサトさんの数学のプリントの数倍の大きさにまで伸ばし、具材をこれでもかと積み上げた。


 オーブンから「チン」という、救済を告げる鐘の音が鳴り響いた。


「できましたえ、アツアツどすえ!」


 現れたのは、黄金色のオーラを纏った巨大な円盤だった。

 イチカさんの顔よりも大きい、特製のミックスピザ。


「ぴ、ピザぁぁぁぁぁ!」


 チサトさんが復活した。

 テーブルの上のプリントを乱暴に脇へ退け、焼きたてが乗るお皿をどんと置く。

 小麦が焦げる強烈な香ばしさと、チーズの芳醇な匂いがリビングを蹂躙した。


「おおお……!」


 とろけたチーズの海。こんがり焼けた厚切りベーコンの島々。

 まさに、カロリーの円盤。背徳の塊。


「いっただっきまーす!」


 チサトさんが一切れ持ち上げると、チーズがどこまでも――天井に届かんばかりに伸びた。

 そのまま大口を開けてかぶりつく。


「はふっ、あつっ、んん〜〜〜!幸せぇぇぇ!宅配より贅沢だよこれ!」

「市販品とは次元が違う……生地の小麦の香りが、脳の海馬を直接刺激する」


 一切れ、口に運んだ。

 動画で見た通りの、いや、それ以上の衝撃。


 強めの火力で焼かれた底はパリッと。

 それでいて生地の中は、捏ねの儀式によって生み出された力強い弾力が跳ね返る。


 溢れ出すチーズの塩気と焼けたベーコンの脂が、小麦の甘みをこれでもかと引き立てている。


「……んん、うちが言うのもなんどすが、これが自給自足の奇跡というものどすな。イチカはんも、ささっ」


 促すと、イチカさんは少し戸惑ったように、それでも一番具だくさんな一切れを手に取った。

 ガブリとやる。


「……ん、おいし。……アンタ、本当に聖女なの?料理人じゃなくて?」

「気にしたら負けどす。それよりチサトはん、食べる手は休めてもよろしいどすが宿題は休めたらあきまへんえ。まだ残ってますやろ?」

「う……あぐ……。い、言わないでぇ……」

「計算した。この量を終わらせるには、明日の朝までかかる。睡眠時間を削っても間に合うかどうか……というか、千怜を一人にした時点でアウト」

「凛ちゃんヒドイ!信頼ゼロじゃん!」

「自業自得。今までの行いを見れば、宿題に関しては信頼を築く材料がどこにも見当たらない」

「ううっ……でも実際、数学のプリント見ると五分で意識が遠のくのは認める……」


 チーズまみれの口で呻くチサトさんに、リンさんが冷たく言い放った。

 チサトさんが期待と不安の入り混じった目で、家の主であるイチカさんを見つめた。


「……誰かいないと寝ちゃうなら……泊まっていけば?部屋、余ってるし」

「いちかちゃん!大好きぃぃぃ!やっぱり持つべきものは、夜の住人だね!」

「抱きつくな!暑苦しい!あと最後の一言、微妙に失礼!」


 こうして、急遽「紅月邸・お泊まり勉強会」が決定した。

 イチカさんの事情を聞けば、登校日の朝を独りで迎えるのは、絶望の淵に立つのと同じことだとか。

 ならば、この聖女が覚醒の門番として、その魂を明日の朝まで繋ぎ止めてあげようではないか。


「よろし。ならば、うちが責任を持ってモーニング・ガーディアンを務めまひょ。登校日の朝、聖歌の耳元ささやき戦術で強制的に意識を此岸に引き戻してあげますさかい」

「……それ、絶対安眠妨害」

「安眠してる場合やありまへんえ、学校へ送り出すまでが聖女の労働どす!」


 巨大な円盤は、四人の胃袋に吸い込まれていく。

 満腹感。そして、静かだった家の中に満ちる小麦の香りと笑い声。

 夜更けまで紅月家には悲鳴と、ピザを頬張る幸せな咀嚼音が響いていた。


「……ちょっとだけ寝てもいい?」

「寝かせまへんえ!まだ読書感想文が残ってますやろ!」

「鬼ぃ!」


 ***


【タイトル:[増援]知識の防衛線にて、円盤の福音『手作りピザ』がもたらす背徳の加護】


『――末日。それは知識の集積しゅくだいという名の試練が、最も苛烈を極める審判の日。戦士たちの魂が摩耗し、睡魔という魔物に屈しかけた時、我々は「夜の往人」の居城にて禁断の錬金術を執り行いました。捏ねられ、伸ばされ、焔に焼かれし黄金の円盤。その福音は宅配の騎士を待つまでもなく、自らの手で生み出すことが可能なのでございます。指先に残る小麦の香りは、明日の朝を無事に迎えるための聖なる約束。背徳のあぶらを糧に、暁の鐘が鳴るまで『覚醒の門番』として戦い抜く所存でございます――』


『昨日はありがとうございました……おかげで何とか提出できました……ハンナリエルさん、凛ちゃん、いちかちゃん、ホントありがとう……』

『……あーしも結局一睡もできなかった。はんなり聖女の鼻歌、呪文みたいに頭に残ってるし……でも、まあ、千怜さんが留年しなくてよかったんじゃない』

『先生と部長には絞られたことをここに書き残しておく』

『これにて登校防衛作戦、完了どす』


 #手作りピザ #夏休みの宿題 #登校防衛作戦 #聖女の増援


書き溜め分が底を尽きましたが、区切りまでのプロットは出来上がりました。

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