第36話 薄衣の防具と『桃の冷製パスタ』の避暑地
駅前のロータリーには、夏の陽射しが容赦なく降り注いでいた。
アスファルトから立ち昇る熱気は視界を揺らめかせ、行き交う人々の輪郭を曖昧な蜃気楼へと変えている。
「あ、ハンナリエルさん!こっちこっちー!」
大型ショッピングモールの入り口付近で、チサトさんが大きく手を振っていた。
その隣には、涼しげな和傘を差したリンさんの姿。
そして、それ以上に目を引くのは、少し離れた柱の陰で幽霊のように項垂れている小柄なシルエットだった。
「……あ。来た。はんなり聖女」
イチカさんは、スカジャンの代わりに羽織った薄手のパーカーに身を包み、今にも溶け出しそうなほどクテクテになっていた。
メッセージアプリのグループチャットでは挨拶を済ませていたが、こうして全員が顔を合わせるのは今日が初めてである。
「おやまあ。イチカはん……夜の住人が昼間の太陽の下に出ると、これほどまでに生命力が削がれますか」
「なっ……!失礼な……!ちゃんと日焼け止め塗ってるし準備万端……って言いたいけど、マジで暑い……死ぬ……」
「わはは!いちかちゃん、メッセージであんなにノリノリだったじゃん!」
「言ってない……!千怜さんが勝手に『全員集合!』って言っただけでしょ……あーしは、断る気力もなかっただけ……」
チサトさんが勢いで作った『水着クエスト攻略パーティ』という名のチャットグループ。
そこでの騒がしいやり取りも、リアルの猛暑の前では無力らしい。
「さて、本日のクエストは水着の調達。顔合わせも済んだことですし、さっさと涼しい場所へ逃げ込みまひょか」
「賛成。このままではいちかの生命維持に支障が出るから」
「凛さん……ちょっとだけ和傘に入れさせて……」
「気にせずもっと入りなよ」
よろよろと足を引きずるイチカさんを連れ、水着特設会場へと足を踏み入れた。
***
ショッピングモールの三階。水着特設会場。
そこは、極彩色に彩られた布の迷宮だった。
「うわぁ……!種類いっぱいある!ねえねえ、今年はどんなのが流行りかなあ。これとか良くない?ハンナリエルさん!」
チサトさんが目を輝かせ、次々とハンガーを手に取っていく。
彼女が選ぶのはどれも布面積が極端に少ない、攻撃的なデザインばかりだ。
「チサトはん。それは装備として機能するどすか?胸部と腰部以外、ほぼ無防備に見えます」
「えー?可愛いじゃん!夏だし、これくらい開放的でないと!凛ちゃんもこれとかどう?」
「あたしは機能性を重視する。水の抵抗を最小限に抑え、遊泳時のパフォーマンスを最大化する。装飾は不要」
「凛ちゃんんん!それじゃ前回とほぼ一緒じゃん……もっとこう、フリルとかさあ!女の子っぽいやつ選ぼうよ!」
「フリルは水流を乱す」
「じゃあ、これは?ショートパンツタイプ!ビキニだけどパンツだから動きやすいし、スポーティで可愛いよ!」
「……なるほど。これなら脚部の可動域を確保しつつ、水流抵抗も許容範囲内。採用」
二人の議論を他所に、イチカさんは遠巻きに商品棚を眺めていた。
どうやら、この煌びやかな空間そのものに圧倒されているらしい。
「イチカはん。何か気になるものはありまへんか?」
「……別に。あーし、こういうヒラヒラしたのあんまり着ないし」
そう言いながらも、イチカさんの視線は隅の方に置かれたシンプルな黒の水着に止まっていた。
それに真っ先に反応したのは、自分の分を選び終えたチサトさんだった。
「おっ、いちかちゃんこれ狙い?さすが夜の住人、黒が似合いそう!絶対美人さんに見えるよ!」
「装飾が少なくて良い。いちかの雰囲気に合ってる。効率的」
「ちょ、二人とも勝手に決めないでよ……あーしはただ、これが一番無難そうだって思っただけ」
反論するイチカさんだったが、その声にはいつもの鋭さがない。
どうやら猛暑によるダメージが、ツッコミのキレを奪っているらしい。
「確かに。そのデザインはイチカはんに似合いそうどすえ。イチカはん、これに合わせてみまひょか」
「……わかったよ、着ればいいんでしょ。着れば」
半ば自棄になったように水着をひっ掴むと、イチカさんはクテクテとした足取りで試着室へと消えていった。
その背中を見送ってから、うちも己の装備を選定せねばなるまい。
しかし──。
(……薄い。あまりにも薄すぎる)
手に取った水着の生地は、聖女の儀礼服とは比較にならぬほど頼りない。
(……仕事なら割り切れますが、私用で肌を晒すのはどうしても魂が拒絶するどす。けれど、郷に入っては郷に従え……なら、うちはこれで我慢するしかないどす)
***
試着室のカーテンが勢いよく開き、鮮やかなハイビスカス柄のビキニを纏ったチサトさんが飛び出してきた。
「ハンナリエルさーん!これどう!?似合う!?」
「わぁっ、チサトはん、眩しいどす。真夏の太陽の化身のようどすえ」
「やった!凛ちゃんはどう?……あ、もう決まったの?」
「これでよし」
リンさんは、チサトさんの選んだスポーティなビキニを見事に着こなしていた。
そして。
「……あーし、これでいいかな……変じゃない?」
イチカさんも、試着室からひっそりと姿を現した。
細身の体型を活かした黒のシンプルな水着は、彼女のクールな外見によく合っていて非常に様になっている。
「えー!いちかちゃん、めっちゃ美人さんじゃん!似合う似合う!」
「黒の水着が肌の白さを引き立ててる。いいね」
「うるさい……!そんなジロジロ見んなっての!」
「ふふ。やはり黒が正解どしたな。イチカはん、それで決まりどすか?」
「……まあ、これならあーしでも着られそうだし。これでいいよ」
不器用に応えつつも、イチカさんは手元の黒い布をぎゅっと握りしめていた。
一方で、一番ノリノリだったはずのチサトさんが、山のような試着品を前に頭を抱えている。
「あ、あれ……?こっちも可愛いけど、あっちも捨てがたい……うう、水着クエスト、難易度高すぎだよぉ……!」
結局、彼女が決断を下すまでには、それからさらに三十分の時間を要することとなった。
さて、いよいよ聖女の出番である。
静かに試着室のカーテンを開けると、三人の視線が集中した。
「うう……羞恥心、ここに極まれりどす」
「え?ハンナリエルさん、それにするの?結構ガチなやつだね!」
選んだのは、光沢を抑えたネイビーのボディスーツ型。
装飾の一切を排し、首元から太ももまでを隙間なく覆うその姿は、水着というよりは特殊工作員の潜入服のよう。
「流体力学的には完璧。水の抵抗を極限まで減らしている。本気だ」
「本気とかじゃなくて……!アンタ、やる気満々すぎでしょ!業者か何かなの!?」
「肌を隠すユニフォームに近い形状を選ぶことで、心の防衛ラインを保っていますえ。これこそ、聖女に相応しい鉄壁の守護形態どす」
「いや、逆に目立つと思うけど……」
徐々に慣れてきたのか、イチカさんのツッコミは鋭さを取り戻しつつあった。
***
買い物を終えた一行は、涼を求めていつもの場所へと向かった。
「くふふっ、いらっしゃい……あら、今日は格別に賑やかね」
カノンさんの喫茶店のドアを開けると、冷房の涼風と共に焙煎されたコーヒーの香りが迎えてくれた。
「カノンはん、避暑地を求めて彷徨う冒険者たちをどうか匿っておくれやす」
「ハンナリエル、今日はお客さんとして来てくれたのね。どうぞ、お好きな席へ」
奥のテーブル席に陣取ると、メニューを開く。
そこには、夏季限定の魅力的な文字が踊っていた。
「『桃の冷製パスタ』……!これ、絶対美味しいやつだー!」
「決まり。今の身体が求めているのは、この冷却と糖分」
「奏音さんが作ってくれるものならゼッタイに美味しいから、あーしもこれにする」
「では、全員同じものでお願いどす」
やがて運ばれてきたのは、ガラスの器に盛られた宝石のような一皿だった。
「わあ……綺麗……パスタなのにピンク色だ!」
「桃が贅沢。レモンの香りがする」
「やっぱり美味しそうじゃん……いただきまーす」
フォークでパスタを巻き取り、桃と共に口へと運ぶ。
その瞬間、猛暑で火照った全身に、氷結の魔法が吹き抜けた。
「んんっ……!幸せどす……この冷気、魂に染み渡りますえ」
「美味しい!パスタなのに、フルーツみたい!甘くてしょっぱくて最高!」
「塩気が絶妙。桃の甘さを引き立てて、さらにオリーブオイルのコクが後を引く」
「ん、マジで美味い……あーし、これならもっと食べられるかも」
四人が夢中でフォークを動かしていると、カノンさんが満足そうに微笑みながら問いかけてきた。
「それで、水着は買えたのかしら?」
「はい!バッチリです!……私は決めるの最後になっちゃいましたけど」
「千怜、悩みすぎ。時間は有限」
カノンさんは頷くと、視線をイチカさんへと向けた。
「イチカちゃん、あなたも一緒にお出かけする予定ができて本当によかったわね」
「……べ、別に。あーしは無理やり誘い出されただけだし」
照れくさそうに、けれど嬉しそうに呟くイチカさんの姿に、テーブルの空気は一層和やかになった。
そこへ、チサトさんが身を乗り出す。
「それでそれで!場所はどうする?海にする?それとも川?」
「海なら波の抵抗を考慮した遊泳訓練になる。塩分濃度による浮力の差も検証可能」
「凛ちゃん、それ遊びじゃなくて特訓……!私はやっぱり海がいいな!白い砂浜に青い海!映えるし!」
「あーしは……どっちでもいいけど。山なら親の別荘があるから宿泊代は浮くよ。管理会社が入ってるから掃除も行き届いてるし」
三人の視線が、最後にうちに集まった。
「ハンナリエルさんは、どっちがいいですか?」
「ふふ。海も川も、それぞれに神の恵みが宿る場所……迷いますな」
すると、さきほどからどこか浮かない顔をしていたイチカさんが、ぼそりと付け加えた。
「……言っとくけど、あーしんちの別荘、山の中だから移動は結構大変だよ。駅からバスはあるけど本数少ないし、あの登り坂を荷物持って歩くのは今のあーしには無理」
「車がなければアクセスの難易度が高いか。魅力的な提案だが、あまり効率的ではないな」
「ええーっ、そうなの!?私、いちかちゃんの別荘で滝が見えるのかと思ってた!」
そこへ、カウンターの奥でコーヒーを淹れていたカノンさんが、さらりと口を開いた。
「あら、それなら私の別荘を使ってみる?海のすぐ近くだけど」
『えっ?』
「最近は全然使ってなくて、少し埃っぽくなってるかもしれないけど……みんなで掃除してくれるなら自由に使っていいわよ。あそこなら駅から歩いてすぐだし、ここから電車で行けるしね」
カノンさんがカウンターに置いたのは、涼やかな音を立てる銀色の鍵だった。
「駅から歩いてすぐ……!それは魅力的どすな。電車に揺られながら景色を眺めるのも巡礼の醍醐味というものどす」
「やったー!店長さん、神様!掃除くらい、いくらでもやっちゃうよ!」
「海の至近距離。理想的な環境。採用」
「……ん。まあ、奏音さんが貸してくれるなら……あーしも掃除くらいは手伝うよ。山を登るよりはマシだし」
「決まりどすな。では予定として……二泊三日の短期巡礼、気合を入れて臨みまひょ」
「二泊三日かぁ……楽しみだけどお財布が……。最近、ハンナリエルさんに影響されて買い食い増えたからカツカツだよぉ……」
「おや、チサトはん。美味しいものは心の栄養どすえ」
「千怜は計画性が欠如している。あたしは家業の手伝いをずらしてもらうから問題ない」
「あーしも大丈夫。無駄遣いしないし。なんなら誰かさんより潤ってるかもね」
「う、うるさーい!良いもん、海に行ければ!」
不貞腐れるチサトさんを宥めつつ、密かに決意を固めていた。
今回の巡礼、表向きは避暑だが……異郷の地で迷える子羊たちを導く、これこそが聖女の真の聖務と言えましょう。
こうして、夏休みの行き先は正式に決定した。
海辺の巡礼、二泊三日。
それは想像するだけで胸が高鳴る、最高の冒険の幕開けだった。
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【タイトル:[聖餐]夏嵐の試練と、魂を浄化する桃源郷の『桃の冷製パスタ』】
『――灼熱の外界における苛烈なる試練を乗り越えし者にのみ許される、氷結の聖遺物……それがこの一皿に他なりません。極細の銀糸は、穢れなき雪解け水によってその身を引き締め、透き通るような白磁の肌を晒しております。そこに鎮座するのは、神の園より太陽の慈愛を封じ込めた禁断の果実、桃――その薄紅の芳香は、焦熱に焼かれた魂を瞬時にして甘美なる桃源郷へと誘うのです。ひとたび口に含めば、冷気と共に溢れ出す果汁の奔流が全身の回路を浄化し、枯渇した霊性に黄金の輝きを蘇らせる。次なる聖域への旅路も定まり、聖女の夏はさらなる神秘の深淵へと加速していくのでした――』
『職務した胡散臭い人が、今では保護者役として学生さんを導いているとはねぇ。人生、何が起こるか分からないものだわ』
『うちはただ、迷える子羊たちを導く「羊飼い」としての務めを果たしているだけにすぎまへん』
『まっ、未成年の子たちを連れて行くんだからキミまで暴走しないこと。楽しんできなさいよ』
#桃の冷製パスタ #喫茶店 #水着 #聖女の避暑
本編の夏が立ち去るのを躊躇っているので、予定がやや押しています。
ですが、お読みいただいている皆様のおかげでここまで書き続けられました。
本当にありがとうございます。




