第32話 銀河の滴りと『かき氷』の星霜予報
空に穿たれた無数の穴から、星の雫が零れ落ちる季節だ。
街中の至る所に、色とりどりの短冊を吊るした笹の枝が揺れている。
七夕。
元の世界においても星辰の巡りを読み、天空の意思を地上へと繋ぐ重要な神事が行われる夜だったが、こちらの世界では少々趣が異なるようだ。
「……ふう、これで最後どすか。七夕の笹飾りいうのは見た目の風雅さに反して、なかなかの重量を誇りやすなあ」
駅前の広場で、額の汗を拭った。
今日の労働は、商店街の七夕飾りの設置補助。
巨大な竹を抱えて運び、不安定な脚立の上で短冊をバランスよく配置する。
それは聖女としての祈祷というより、もはや建築現場の如き労働だ。
「……『宝くじが当たりますように』。ほう、これは露骨な供物(欲望)の記録どすなあ。こちらには『推しが結婚しませんように』。ひえ……怨念に近い祈りを感じやす。恐ろしいどすえ」
設置を終えたばかりの巨大な笹の葉を見上げ、喉を鳴らした。
この世界の人々は竹の葉に自らの魂の叫びを刻み、天に向けて公開処刑のごとく晒し出す。
それはある種の公的な懴悔に近い儀式なのかもしれない。
「エルさーん!こっち、こっちですよー!」
人混みの向こうから、夏の陽光を撥ね返すような快活な声が響いた。
そこに立っていたのは、大きな麦わら帽子を目深に被り、特大のサングラスで顔の半分を覆った不審な──もとい、お忍び中のアスカさん。
「アスカはん。その格好……逆に目立っておられまへんか?あと、今さらどすが、その『エル』いうのは……?」
「えへへ、これでもアタシ、一応『ノヴァ』ですから!アタシたち、もう友達……ううん、親友になったじゃないですか!だから『エルさん』。あだ名で呼ぶのは、特別な親友の証ですよ!」
「親友……随分と、急加速の激しい呼び方どすなあ」
「ふふっ、それよりアスカはんって呼び方もそろそろ変えてほしいなぁ。普通にアスカって呼んでくれてもいいんですよ?」
「それは追々、考えさせてもらいやす。というかアスカはん。あんさん最近この街で見かけすぎではおへんか?歌姫という仕事は、そんなに自由なものどすか?」
ジト目で彼女を見据えた。前回のフェスからは、それほど日も経っていないはずだ。
アスカさんはサングラスを少しだけずらし、悪戯っぽく瞳を輝かせた。
「酷いなぁ!大切な親友の顔を見に来るのは、当たり前じゃないですか!」
「それは光栄なことどすが、うちは今、労働の果てに胃袋が虚脱状態どすえ。親友の危機を救う供物の用意はできておりやすか?」
「もちろんです!今日は修行じゃなくて巡礼です!灼熱の太陽と労働で干からびそうなエルさんを救ってくれる、至高の『銀河の欠片』を飲み込みにいくんです!」
アスカさんは、力強く空を指差した。
その指が示す先には、陽炎の向こうに目的の聖域が揺らめいているはず。
「銀河の欠片……まさか、隕石でも食べさせる気どすか?」
「もう!『かき氷』ですよ、かき氷!それも、ただの氷じゃありません。天然の氷を削り出し、職人が魂を込めた……いわば、食べられるダイヤモンドです!」
ダイヤモンドを食べる。その響きに、胃袋が微かな共鳴(お腹の音)を返した。
美食の探求者として、その挑戦を受けないわけにはいかない。
「よろしい。なら、そのダイヤモンドの強さ、うちがこの舌で確かめて進ぜよう。いざ、巡礼の旅路へ」
「あはは、そうこなくっちゃ!さあ、行列が伸びる前に急ぎましょう!」
***
辿り着いたのは、路地裏にひっそりと佇む暖簾の揺れる古い民家だった。
しかし、その前には太陽の洗礼にじっと耐え忍ぶ、熱心な信徒(行列)が幾重にも連なっている。
「……アスカはん。これ、何時間待ちどすか?屋根もへったくれもおへん、まさに日光の荒行どすえ」
「えっと、整理券だと……あと三十分くらいかな?大丈夫、エルさんとお喋りしてれば、一瞬ですよ!」
照りつける日差し。アスファルトから立ち昇る熱。
アスカさんは、ハンディファンでこちらの顔を扇ぎながら、楽しそうに「のーちょ」の最新記事の感想を語り続けている。
「それにしても、あのそうめんの話!『防御障壁』なんて、流石エルさんですよね!アタシ、感動して家でパスタを流しそうになっちゃいました!」
「アスカはん、パスタの国の人に知られたら洒落にならん修羅場になりやすえ」
思わず、かつて遠い異邦の地から来た騎士が「パスタを茹でる際に折るなど万死に値する」と熱く語っていたのを思い出した。
……冷製パスタで留まれば、許してくれるのだろうか。
「でもエルさん、最近本当に有名になってきましたね。SNSのフォロワーも爆増してるし、アタシ、なんだか鼻が高いです!」
まるで自分のことのように胸を張るアスカさん。サングラス越しでも、彼女が心底喜んでいるのが分かった。
信徒が増える。それは喜ばしいことだが、この世界での影響力が強まるにつれ、一体何が起こるのやら。
期待よりも得体の知れない予感の方が、少しだけ胸の奥をざわつかせていた。
「……有名いうのも考えものどすえ。おかげで師匠に見つかり、冷やし中華を強奪されるという未曾有の国難、いえ、皿難に見舞われやしたからな」
「あはは、あの師匠さん!会ってみたいなぁ。エルさんをそんなに怒らせるなんて、きっと面白い人なんでしょうね」
「面白いの度を越して、ただの天敵どす。アスカはんに紹介したら間違いなく悪い影響を吹き込まれやすえ」
この平穏な日々の輪郭に、あの方という特異点を混ぜ合わせる勇気は、まだ持てそうになかった。
そんな他愛もない会話をしているうちに、番号が呼ばれた。
冷房の利いた店内へ足を踏み入れた瞬間、そこは別世界だった。
静謐な空気。氷を削るシュリシュリという心地よい福音。
そして、ついに運ばれてきたのは、もはや氷の概念を超越した造形物だった。
「……ほう。これは聖骸の氷晶か、あるいは古代の遺跡か」
目の前に鎮座するのは、うず高く積まれた純白の山。
その頂からは真紅に輝く特製のイチゴシロップと、雪の如きミルクエスプーマが溢れ出している。
「これです、これ!『期間限定・織姫の涙』!エルさんの分は……『彦星の深淵・宇治金時』ですね!」
深緑のシロップがたっぷりと掛けられた、一見すると深い森のような『かき氷』を見つめた。
スプーンを差し込めば、手応えというものが殆どありまへん。
それほどまでに、この氷は薄く、繊細に削り出されている。
一口。
舌の上に載せた瞬間、それは「溶ける」という言葉すら追いつかない速さで、消滅(浄化)した。
「…………ッ!!」
冷たい。けれど、痛くない。
天然氷が育んだ柔らかな冷気が、熱に浮かされた喉を滑らかに通り抜けていく。
宇治抹茶の典雅なる苦み。そして、底に潜んでいた小豆の、慈悲深い甘み。
それらが混ざり合い、胃袋の中に静かなる銀河を映し出すようだった。
「どうですか、エルさん!美味しいですよね!」
「ええ。これはもはや、星屑を飲み込んでいるような感覚どす。アスカはん、うちをこの氷の神殿へ導いてくれたこと感謝いたしやす……が」
不意に、こめかみの奥で鋭い痛みが走った。
「ぐ、う……ッ。こ、これぞ……氷の呪い……ッ!」
「あはは!エルさん、焦って食べ過ぎですよ!ほら、温かいお茶飲んで!」
悶絶しながらも、スプーンを止めることはできなかった。
溶ければ消えてしまう、この刹那の美食。
星も氷も、一期一会の輝きの中にこそ、真実があるのかもしれない。
***
巡礼を終え、再び熱気の残る街へと戻った頃。
辺りは蒼く染まり、笹の葉に結ばれた短冊たちが、夜風に騒いでいた。
「ふぅ……生き返りましたね、エルさん」
「体内の魔力……いえ、労働の熱気が完全に浄化されましたわ……そうや、アスカはん。せっかくの七夕どす。うちらも短冊に『記録』を遺していきまへんか?」
広場の一角でペンを走らせた。
隣でアスカさんも、真剣な表情で何かを書き込んでいる。
「何を書いたんですか?」
「教えまへんえ。こちらの神様とうちだけの秘密どす……アスカはんは?」
「アタシは……『世界中の美味しいものを、エルさんと全部制覇できますように!』です!」
彼女は隠そうともせず、完成した短冊を誇らしげに掲げた。
どこまでも真っ直ぐで力強い、太陽のような祈り。
それに対して綴った言葉は、少々世俗的だったかもしれない。
『――明日の労働も美味しい福音と共にありますように。師匠、鰻の時だけは連絡を取らんでや。絶対に死守しやすえ――』
風に揺れる笹の音を聞きながら。
いずれ訪れるであろう黄金の鱗への防衛プランを、密かに練り始めるのだった。
***
【タイトル:[星霜]銀河の滴りと、聖骸の氷晶を呑み干す儀式】
『――静止は魔を招き、流転は聖域を守護します。不届きな介入を阻むべく、銀糸の如き『かき氷』を奔流へと解き放つ……などという無理難題は、流石にこの氷壁には通用しませんでした。一瞬の涼を求め、聖女は星の如き信徒と共に、ダイヤモンドの如き結晶を胃袋へと捧げました。喉を滑る刹那、魂は酷暑から解放され、福音の如き冷涼さに満たされます。短冊に込められた数多の祈りと共に、聖女の探求は銀河の如く果てしなく、はんなりと続いてゆくのです――』
『ちょっと待って!ハンナリエルさん、日記にある写真の端っこ……この麦わら帽子の人、もしかしてノヴァじゃない!?』
『また始まった……千怜、落ち着きなよ。路地裏のお店に天下の歌姫がお忍びで来るわけがない』
『ダイヤモンドを食す儀式に必死で、隣の星屑まで意識が回りまへんでしたわ』
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