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第25話 夏越の祓と半夏のタコ、黄金の球体『たこ焼き』に宿る混沌の空宙

 神社の境内には、巨大なちがやの輪が設置されていた。

夏越の祓(なごしのはらえ)」。穢れを落とし、無病息災を祈る神事である。


「なるほど、この輪を八の字に潜ることで、身を清めると……」

「左回り、右回り、左回りですね。これで半年分の穢れを祓い、無病息災を祈ります」


 隣で解説してくれるのは、以前『巫女バイト』としてお世話になった宮司さんだ。

 腰の具合も良くなったようで、今日は元気に参拝客の案内をしている。


「おやおや、ハンナリエルさん。今日は可愛らしいお連れさんも一緒ですな。あの時の達筆な御朱印、今でも評判ですよ」

「んにゃっ!んにゃにゃー!」


 宮司さんの視線の先、こちらの足元では白く丸っこいんにゃ丸が、期待のこもった瞳を浮かべて茅の輪を見上げていた。


「ええ、うちの信徒どす。んにゃ丸、勝手に入ったらあきまへんえ。これは神聖なる儀式どすよってに、礼儀を尽くさんとあきまへん」

「ははは。そちらの熱心な信徒さんも清めが必要ですか?」

「それはもう。主のやらかしに付き合わされて、苦労が絶えまへんさかい。……して宮司はん。うちは日々の誠実な労働(美味しいもの)で常に魂を浄化しておりますが、やはりこの輪も潜るべきどっしゃろか?」

「貴女の場合、穢れというより……その『強烈な個性』を少し清めた方が、神様も安心されるかもしれませんな」

「まあまあ、うちはいつだって清廉潔白、糸目の聖女どすえ?」

「おや、その割には目が泳いでおりますな。さあ、遠慮はいりません。今のうちにしっかり祓っておきなさい」


 確かに、心当たりが全くないわけではない。

 厄払いができるなら丁度良い。いつもなら自分が執り行う立場なのだから。


「んにゃ!んにゃにゃ!」

「はいはい。貴方も一緒に潜りまひょ。胡散臭いって思われんように、念入りに回るのどすえ」


 厳かな気持ちで、んにゃ丸と共に茅の輪を潜った。


 ***


 その帰り道。

 スマホが震えた。キリハラさんからのメッセージだ。


『ちゃんと茅の輪くぐり、してきた?はんなりお姉さんの日頃の行いが心配だから神社に行かせたのよ』

『バイト先の宮司はんにも挨拶して、心身共に清められましたえ』

『ならよし。ああ、それと言い忘れてたけど、今日は半夏生はんげしょうだからタコを食べなさい』

『タコ?なぜゆえ、恐ろしい軟体生物を?』

『田植えした稲の根がタコの足みたいにしっかり張るようにって縁起担ぎよ。この辺の風習。まあ、精のつくものを食べて夏を乗り切れってこと』


 タコ。

 その二文字を見た瞬間、脳裏に遠き日の記憶が蘇った。


 かつての世界で対峙した、深海の覇者「クラーケン」。

 その巨体は小島をも飲み込み、無数の触手は武器さえも絡め取り、全身をスライムのような粘液でベトベトにしてくれたものだった。


 あれは精神的にもキツかった。


(無数の触手!不浄なる粘液!うちの聖衣が台無しどす!)


 必死の攻防の末、聖なる光で焼き尽くされたその巨体は海の藻屑となり、魚たちの命へと還元された。

 戦いの後、ベトベトになった身体を水浴びで洗い流した時の清々しさは、まさに生命の循環の喜びを肌で感じた瞬間だった。


 まさか、この平和な国でその眷属を喰らう日が来ようとは。

 これは単なる食事ではない。過去の因縁を断ち切るための儀式だ。


 スーパーへと足を運び、鮮魚コーナーで真紅の足を見つめながら思案する。

 さて、タコをどう料理するか。


 最初は抵抗のあった刺身も、今では醤油とワサビの魔力に屈し、美味しくいただけるようになった。

 パックを手に取り、じろじろと観察しながら独り言が漏れる。


「ううむ。ぶつ切りにして酢の物……?それだけでは今宵の飢えは満たせそうもありまへんなあ。では甘辛く煮付ける?そうどすな、それはそれで趣がありますが……今の気分かと言われれば首を傾げざるを得まへん」


 唸りながら通路を歩く不審な聖女。

 貧困な料理レパートリーを必死に検索するが、これといった啓示が降りてこない。


「やはり手堅く『カルパッチョ』どすか。オリーブオイルとレモン、そしてハーブ。お洒落で涼しげ、いかにも夏らしい一皿……。いや、あきまへん」


 はっきりと口に出して、首を振った。

 夕闇が迫る街の熱気、そして茅の輪くぐりで清められたこの身体。

 いま求めているのは、そんな「お淑やかな涼」ではない。


「もっとこう……魂に火がつくような、熱くて混沌としたエネルギーが必要どす。厄払いをした身体には、新たな情熱の火を灯さねばならんのどす……!」


 その時、棚に積み上げられた「とある袋」が呼んだ気がした。

 名前は「たこ焼き粉」。

 そこに描かれた、ソースまみれの黄金の球体たちが誘惑する。


「……これどす。これ以外にありまへんわ」


 脳裏に、ゴンドウさんが「こいつは関西人の嗜みだ」と言って持ってきた、無骨なくぼみのある鉄板が浮かんだ。

 あれを……封印されしあの鉄の宝具を、今こそ解放する時が来た。


 ***


 アパートへ帰り、早速調理を開始する。

 ボウルの中で泡立て器を回しながら独り言をこぼした。


「ダシの香りが食欲という名の獣を呼び覚ましますなあ。粉と液体が混ざり合い、新たな生命の質感が生まれる……まさに錬金術の基本どす」


 具材はシンプルに、ぶつ切りのタコ、天かす、紅生姜、そして万能ねぎ。

 熱した鉄板に油を引き、生地を流し込む。


 ジュウウゥゥゥ……!

 食欲をそそる音と共に、香ばしい湯気が立ち上る。


「おお……!この音、この香り!鉄板という祭壇に、かつての宿敵の眷属を捧げる儀式の幕開け。勝負どす!」


 千枚通しを構え、鉄板と対峙した。

 外側が固まってきたタイミングを見計らい、手首のスナップを効かせてひっくり返す。

 九十度、そして百八十度。


「……あ。こ、こらあきまへん。まだ早すぎたどすか。形が崩れて……いえ、慌ててはいけまへん。この崩れた生地を中に押し込んで、丸く……そう、丸く収めるのどす。人生と同じどすなあ」


 最初は不格好な形でも、回せば回すほどに丸く、美しくなっていく。

 この工程……世界の創造に似ている。

 混沌とした液体が、熱と回転によって秩序ある球体へと収束していく様は、まさに星宙の真理。


「見ておくれやす、この黄金の肌!外側はカリッと内側はトロリ……。完璧な均衡バランスどす。さあ、最後の一転がし……成ったどすえ!」

「んにゃ!んにゃにゃ!」


 足元から声が響いた。

 見下ろせば、んにゃ丸が期待のこもった瞳を浮かべて見上げている。


「おやおや、んにゃ丸。鼻が良いどすなあ。主が怪しい事をしていないか、監査にやってきたん?これは術やのうて、日本の伝統文化『たこ焼き』どすえ」

「んにゃぁ!にゃにゃ、んにゃにゃー!」

「そんなに身を乗り出さんといて。貴方は猫舌でっしゃろ。ハフハフもお手の物やと言いたいん?ほんまに、食い意地だけは主の悪いところに似てしまいましたなあ」

「んにゃっ!」


 肯定の声が響く。

 苦笑しながら、その丸い頭を撫でた。


「ならよし。貴方の分も、しっかり用意してありますえ」


 皿に盛られた黄金の球体たち。

 仕上げにソースを塗りたくり、マヨネーズと鰹節、青のりを散らせば、そこはもう極彩色の祝祭空間だ。


 天かすや紅生姜、そして万能ねぎ。

 あえて「ねぎ」を抜かなかったのは、んにゃ丸が本物の猫ではないから。


 二本足で歩くこともあり、こちらの魔力を借りればふわふわと宙を浮くこともできる。

 この丸っこい独特な姿は、猫に似て非なる超越的な存在。


 ゆえに、毒となる食材も、好き嫌いという名の迷いも存在しない。

 ただ、主と同じ熱量で「美味しい」を共有する。


 ……『ゲート』の監視も怠ってはいないはずである。


「さあ、冷めないうちに。準備はいいどすか、んにゃ丸」

「んにゃぁ!んにゃ、んにゃにゃ!」

「よろしい。……では」

「いただきますえ!……はふっ、ほふっ……ほふをおおっ……!」

「んにゃっ、んにゃ、んんんっ!んにゃぁーー!」


 隣でも、んにゃ丸が熱さに悶絶しながらも、必死にハフハフと空気を送り込んでいる。

 瞳はクルクルと回り「熱い、でも美味い!」という確かな意志を伝えてくる。


「んにゃ丸、貴方もだいぶ苦戦しておりますなあ。想定を遥かに超える熱量が口内を蹂躙しにやってきたどっしゃろ。……っ、ふ、ふう……。熱い……熱すぎどすえ……。口の中が火災現場どす。せやけど、この熱を乗り越えた先にしか真の救済はありまへんのどす……!」

「んにゃ!んにゃにゃっ!」


 まるで言葉に同意するかのように、んにゃ丸は熱気に負けず次の一玉へと挑んでいく。

 喉の奥で鳴る期待の声を抑え、ハフハフと空気を送り込みながら格闘する。

 カリッとした外皮を突き破ると、中からトロトロの生地と熱気がさらなる暴力となって溢れ出してくる。


「はうっ、今、舌の細胞がいくつか昇天しましたわ……。せやけど、このトロトロ加減……!出汁の旨味が濃厚なソースと絡み合って、まさに絶景どすえ」

「んにゃ〜!んにゃ、んんん〜〜っ!」


 満足げな電子音を鳴らしながら、んにゃ丸の液晶にはハートマークのような記号が浮かんでいる。

 口の中で暴れ回るタコの弾力。

 噛みしめるたびに染み出す旨味と、濃厚なソースの味わい。


「んん~!この『ハフハフ』こそが、最大の調味料どすなあ!火傷など、癒やしの力でどうにでもなりますわ!さあ、次をおくれやす、次を……!」

「んにゃ!」

「……ふふ、負けてられまへんなあ。二人でこの強敵を平らげまひょ」


 熱さを逃がすために口を開けて息を吐くその行為すらも、食事の一部。

 冷たい麦茶で流し込めば、至福の温度差コントラストに脳が痺れる。


 茅の輪くぐりで清められた身体に、ジャンクな粉もんのエネルギーが満ちていく。

 これぞ、日本の夏。聖女の夏。


「はあ……美味しかったどすなあ。せやけど、これだけ美味しいものを独りで独占するのは、聖女として少し忍びないどすな……」

「んにゃぁ……んにゃぁ……」


 隣で、満足げに目を細めるんにゃ丸の頭を優しく撫でた。


「んにゃ丸。主は今、硬く決意しましたわ。以前、リンはんと餃子を包んだ時に約束しましたな。次はチサトはんも呼んで作れる料理を考えようと」

「んにゃ?んにゃにゃ、んにゃー!」

「ふふ、賑やかになるどすなあ。貴方にも働いてもらわなあきまへんえ。人を呼び、食を囲み、ハフハフと熱さを共有する。そこには新たな福音と調和が生まれるはずどす」


 一度はタコをカルパッチョにしようかとも思ったけれど、やはり『たこ焼き』にして正解だった。

 鉄板という名の祭壇を囲み、皆で「あつい、あつい」と言いながら笑い合う。

 それこそが、この国に伝わる伝統的祝祭『タコパ』と呼ばれる聖なる儀式の真髄。


「……決まりどす。近いうちに、正式な召集令状メッセージを送りまひょ。次はもっともっと大きなタコを、そして溢れんばかりの具材をこれでもかと買い込んでおかねばあきまへんえ」


 また一つの出会いを分かち合いの予感に、静かに胸を躍らせる。

 これぞ、生命の循環。友情の輪。

 布巾を片手に来るべき祝祭への期待を込めて、空になった鉄板をどこまでも丁寧に磨き上げた。


 ***


【タイトル:[熱狂]黄金の球体に封じられた深海の覇者、あるいは『たこ焼き』という名の星宙について】


『――たこ焼きとは、即ち「回転」の魔術であります。不定形の生地が、千枚通し一本で完全なる球体へと変貌する過程は、錬金術の奇跡と言っても過言ではありません。その黄金の殻を破れば、中には熱きマグマ(生地)と、かつての宿敵クラーケンが待ち構えているのです。我々は熱さと戦いながら、その弾力を噛み砕き、己の血肉とするのです。かつて恐怖の象徴であった軟体生物が、今はソースとマヨネーズまみれになって私の舌を喜ばせている。これこそが、食による征服。完全なる勝利の味わいなのです』


 スマホの画面に、新たなメッセージが表示される。


『……で、いくつ食べたの?』

『五十個ほどで限界が来ました。なかなかの強敵でしたえ』

『食べすぎでしょう……』


 #たこ焼き #半夏生 #勝利の味 #聖女の夏


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