第24話 熱狂の渦に咲く歌姫、夕闇の『焼きそば』と残響に重なる遠き日の幻影
「姉ちゃん、こっちのゴミ袋頼むわ!」
「御意どす。分別は任せておくれやす」
野外フェス本番。
昨日の設営とは打って変わり、会場は極彩色の熱気に包まれていた。
任務は会場整理と美化担当。
ステージから放たれる轟音の波を全身に浴びながら、観客の海を泳ぐように巡回していた。
「しかし、音楽とは不思議なものどすなあ」
ロック、ポップス、アイドル、メタル。
次々と切り替わるジャンル。
リズムに合わせて揺れる観客たちの波。
スピーカーの前で空気が震えるあの感覚は、かつて戦場で聞いた祝祭の太鼓にも似ている。
直接触れることはなくとも、遠くから流れてくるその音色は、労働のリズムを刻む心地よい拍子木となっていた。
「おーい、姉ちゃん、休憩すっぺ!」
「はいな!」
そして何より素晴らしいのは、このフェスという空間が持つ『施し』の精神だ。
「ほらよ、屋台の焼きそばだ。余ったから食え食え」
「こっちはフランクフルトだ。肉汁すごいぞ」
「かき氷もあるぞー。シロップかけ放題だ」
設営で顔見知りになったベテラン作業員のおじ様たちが、まるで孫に接するかのように次々と供物を捧げてくださる。
昨日、鉄骨を軽々と運んだことが功を奏したのか、あるいは単に空腹そうな顔をしていたのか。
ともあれ、これは聖女への供儀に他ならない。
「んん~!この灼熱の太陽の下で啜る焼きそば!まさに背徳の味どす!」
「いい食べっぷりだなぁ。見てて気持ちいいわ」
「ソースの焦げた匂いと青のりの風味。そしてプラスチック容器の頼りなさ。全てが『祭り』というスパイスで極上の料理へと昇華されておりますえ」
モグモグと頬張りながらステージを見上げる。
視覚で楽しみ、聴覚で楽しみ、そして味覚で楽しむ。
まさに五感のフルコース。労働の疲れなど、ソースの海に溺れれば些細なことだ。
***
そして、陽が落ち始めた頃。
会場の空気が一変した。
『Are you ready!?』
スピーカーが悲鳴を上げるような高音と共に、ステージが眩い光に包まれる。
大トリ、歌姫ノヴァの登場だ。
「おお……」
遠く離れたゴミ捨て場の横からでも、その輝きはハッキリと見えた。
ヴィヴィッド・マゼンタ色の髪がスポットライトを浴びて燃え上がり、身体から放たれる歌声が、夜空を突き抜けていく。
『――星の彼方へ、願いを乗せて!』
アップテンポな曲から、バラードへ。
観客たちが振るサイリウムの光が、まるで地上の天の川のようだ。
その中心で歌う彼女の姿。
響き渡るビブラート。
どこまでも伸びやかに、それでいて力強く、人々の心を揺さぶるその歌声。
ふと、既視感を覚えた。
(……似ている)
あの気高くも慈悲深い背中。
彼女が時折口ずさんでいた聖歌の響きに、どこか重なるものを感じたのだ。
アスカさんの歌声には、魂を鼓舞する力がある。
それは単なる技術ではない。彼女自身の内側から溢れ出る、純粋で真っ直ぐな光だ。
(……なんて。失礼どすな)
首を振って、その幻影を追い払った。
アスカさんはアスカさん。あの方はあの方。
過去の記憶を重ねて見るのは、今この瞬間を全力で生きている彼女に対して無礼というものだ。
「……ええ歌どす」
ゴミ袋を握りしめたまま、思わず聞き入っていた。
最後のロングトーンが消え、会場が割れんばかりの拍手に包まれるまで、身動き一つできなかった。
***
「いやー凄かったな、ノヴァの歌声!」
「ああ、魂が震えたぜ!」
撤収作業が始まる中、おじ様たちも興奮冷めやらぬ様子だ。
こちらもまた、心地よい余韻に浸りながら、空になった焼きそばのパックをゴミ袋へと放り込んでいた。
「姉ちゃんも感動してたなー。最後、ちょっと目ぇ潤んでなかったか?」
「……お恥ずかしいところを見られましたえ」
目元をタオルで拭った。
「その……あまりに儚く、切なかったもので」
「だよなー!あのバラードは泣けるよな!」
「はい……一番楽しみにしていた『牛串』の屋台が、アンコールの最中に片付けを始めているのが見えた時は……胸が張り裂けそうでしたわ」
「そっちかよ!!」
おじ様のツッコミが、夜空に虚しく響いた。
花より団子、歌より牛串。
聖女の涙は、いつだって食欲と共に流れるものなのだ。
「さて、ゴミ袋を持って集積所へ……」
「――ハンナリエルさん!」
おじ様たちが去り、一人になったタイミングを見計らったかのように、ステージ裏の影から小さな手が伸びてきた。
驚いて振り返ると、大きめのパーカーを羽織り、フードを目深に被ったアスカさんが手招きをしている。
「アスカはん?もう着替えられたのですか?」
「しっ!まだ会場近くなのでお忍びモードなんです。こっちこっち!」
人気の少ない資材置き場の裏へと連れ込まれる。
フードの下から覗く瞳は、まだ興奮でキラキラと輝いていた。
「見てくれて、ありがとうございました!どうでした?アタシの歌」
「ええ、それはもう。観客の熱気、光の洪水、そして空気を震わす歌声。まさに圧巻の一言どす」
「本当ですか!?えへへ……実はステージの上から、ハンナリエルさんのこと探してたんですよ?」
「なんと。このような作業員を?」
「はい!だって、ハンナリエルさん……最後、泣いてましたよね?」
心臓が跳ねた。
まさか、ステージ上からあの失態を見られていたとは。
「あ、あれは、その……」
「アタシ、すごく嬉しかったです!ハンナリエルさんに届いたんだなって!あのバラード、大切な人を思って書いた曲なんです。それが伝わったのかなって……」
アスカさんは両手を合わせ、うっとりとした表情で私を見上げている。
その純粋な瞳。曇りなき信頼。
……言えない。
貴女の歌声のバックで、店主が『牛串 完売御礼』の札を下げた瞬間に涙腺が崩壊したなどと、口が裂けても言えない。
「……ええ。届きましたとも。胸の奥が、キュッとなりましたえ」
「やっぱり!よかったぁ……!ハンナリエルさんに認めてもらえて、アタシ自信がつきました!」
「それは重畳。ですがアスカはん、一つだけよろしおすか?」
「はい!なんでも言ってください!ファンサービスですか?それともサイン?」
「いえ。あの牛串の屋台、店主の方とはお知り合いだったりしませんか?」
「え?牛串?……また食べ物の話ですか!?」
アスカさんは、あはは!と屈託なく笑った。
「もう、ハンナリエルさんらしいなぁ。……わかりました。後でスタッフ経由で頼んでおきますよ。きっと貰えると思います」
「なんと!まさに女神!いや、歌姫の慈悲!感謝いたしますえ!」
「その代わり、また一緒にご飯を食べながらお喋りしましょ?約束ですよ!」
「御意どす。牛串がある限り、うちは貴女の信徒どすえ」
「もう!やっぱり食べ物目当てじゃないですかー!あ、そうだ!連絡先!交換しましょ!」
アスカさんは慌ててポケットからスマホを取り出し、QRコードを突きつけてきた。
「おお、スマホによる契約どすな」
「へへっ、これでいつでも食事のお誘いができますからね」
「なんと魅惑的な通知……!是非ともお願いいたしますえ」
ピロン、と軽快な電子音が鳴る。
画面に表示された『アスカ』の文字。
先日交換したチサトさん、リンさん、そして今回のアスカさん。
かつては心配性のキリハラさんからの通知と『日雇いアプリの通知』『天気予報』だけが占拠していたスマホが、急に賑やかになってきた。
(……悪くない。むしろ、心地よい重みどす。春は出会いの季節と言いますが……さて、夏は何の季節やろか)
「……アタシ、嬉しいです」
操作を終えたスマホを胸に抱き締めアスカさんは、はにかむように微笑んだ。
「仕事柄、こういう風に普通に話せる友達ってあんまりいなくて……。だから、ハンナリエルさんとこうして繋がれて本当によかった」
「アスカはん……」
「アタシたち、もう『友達』ですよね?」
期待と不安が入り混じったような上目遣い。
大きく頷き、そして胡散臭い笑みを返した。
「無論どす。貴女とうちは、共に『食』という名の戦場を駆ける戦友であり、胃袋を分け合う共犯者。これ以上の絆がありまひょか」
「あはは!共犯者かぁ。いいですね、それ!」
月明かりの下、二人の笑い声が重なる。
遠き日の幻影は消え、そこにはただ食いしん坊な聖女と、無邪気な歌姫がいるだけだった。
***
【タイトル:[祝祭]喧騒の中で踊るソースの如く、縁日の『焼きそば』という名の混沌なる供物について】
『――祭りの焼きそばとは、即ちジャズに似ております。鉄板というステージの上で、麺とキャベツ、そして豚肉が即興のセッションを繰り広げる。ある時は焦げ目がつくほど激しく、ある時は半生のキャベツがリズムを狂わせる。均一であることなど求められていないのです。ソースという名の指揮者が全体を強引にまとめ上げ、青のりと紅生姜というソリストたちが彩りを添える。パックの蓋にへばりついた数本すらも愛おしい。その不揃いな調和こそが、非日常の解放感(雑な味付け)を演出するのです』
「……で、結局牛串は食えたのか?」
「ええ。ある方の慈悲により、スタッフの残り物を譲っていただきました。勝利どす」
「あんたが一番、このフェスを楽しんでるよ……」
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