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第15話 月下に舞う淡紅の流星、顕現せし『ふわとろオムライス』と共鳴の福音

誤字と聖女構文が足らないのを修正。

 銀色に光るアスファルトが、夜の静寂を吸い込んでいる。

 昼間の過酷な労働――「うーにゃー」のバッグを背負い、迷宮を駆け抜けた余韻が、心地よい倦怠感となって全身を包み込んでいた。


 かつて聖域で捧げた祈りの後のような、不思議に澄み渡った心持ちで、愛車ママチャリのペダルを一漕ぎする。

 カゴの中で揺れるのは、明日へのささやかな備えである特売の食パン一袋。


 アパート『ことほぎ荘』へと続く細い路地、そこは月の光さえ届かぬ影の領域だと思っていたが。


「――っ、うわわわっ!ごめんなさい、ちょっと道をお借りしますっ!」


 視界の端を、鮮やかな「桃色の線」が切り裂いた。

 夜の帳を置き去りにするような、凄まじい速度と躍動感。


 ヴィヴィッド・マゼンタの長い髪を尾を引く彗星のようになびかせ、一人の女性が路地の奥から飛び出してきた。


 ぶつかる、と確信した瞬間。

 パーカーを羽織った彼女は、重力を無視したような身軽さで横空へと跳ね、路地の壁を蹴って一回転し、無音で着地してみせた。


「ふふ……。今宵の夜風は、少々お転婆が過ぎるようどすなあ。お怪我はありまへんか?」


 糸目を細め、静かに声をかける。

 すると、背後の大通りから「絶対にこの先だ!」「まだ近くにいるはずだぞ!」という、祝祭のような賑やかな喧騒が追いかけてきた。

 どうやら彼女、大勢の『追跡者』たちと、愉快な鬼ごっこを楽しんできたご様子。


「あはは!バレちゃいました?アタシ、ちょっと興奮しすぎてルートを間違えちゃったみたい!あ、怪しいもんじゃないですよ!ただの……えーと、ちょっと目立つ迷子です!」


 彼女は被っていた大きなフードを直し、その隙間から星を閉じ込めたような瞳を覗かせた。

 ニカッと笑うその生命力は、太陽の慈光を浴びた大輪の向日葵のよう。

 追われていることを恐怖するどころか、スリルあるゲームを楽しんでいるような、清々しいまでのエネルギーに満ちている。


「ふふ、迷える子羊を暗がりに一人置いておくほど、うちは薄情な聖女やありませんわ。……狭い場所どすけれど、月明かりが眩しすぎると、お肌に障るかもしれませんえ。表の喧騒が静まるまで、うちの隠れ家で夜風をやり過ごしてはいかがどす?」

「えっ、ホントに!?助かるなあ!お姉さん、見た目通りすっごく優しいんだね!よーし、お言葉に甘えちゃいまーす!」


 躊躇いもなく、彼女は背後に続いてアパートの階段を駆け上がった。

 その屈託のなさは、かつての聖域に迷い込んできた小動物を思い出させる。

 部屋に入り、しっかりと施錠を済ませると、彼女はパーカーを脱ぎ捨てて「ふはーっ!」と思い切り背伸びをした。


「生き返るなあ!アタシ、アスカって言います!助けてくれてサンキュー!お姉さんの名前、聞いてもいい?」

「……ふふ、名乗るほどの者やありまへんが。世を忍ぶ仮の姿、ハンナリエルと呼んでおくれやす。……こちらの白き御子は、うちの信徒のんにゃ丸どす」

「んにゃ~?」


 足元で丸まっていたんにゃ丸が、不思議そうにアスカさんを見上げた。

 アスカさんは「わあ、可愛い!”うーにゃー”にそっくり!」と瞳を輝かせ、それから部屋の隅にある小さな祭壇――ではなく、もちゃもちゃとした生活感溢れるちゃぶ台へ視線を向けた。

 そこには、先ほどまで執筆していたノートパソコンの画面が、淡い光を放って鎮座している。


「……あれ?ちょっと待って、この画面……」

「あら、見られてしまいましたか。……日々の糧への感謝を綴る、うちの小さな備忘録のーちょどす」

「あはは!やっぱり!これ、アタシが毎日更新を楽しみにしてる『Re:エルの福音グルメ日記』じゃないですか!凄い、本物……本物の聖女様だーっ!」


 弾かれたように画面に歩み寄り、彼女は全身で喜びを表現して跳ねた。

 腰まで届くマゼンタの髪が、部屋の中で華やかに舞う。


「アタシ、たまたまネットで見かけたこの記事を読んでから、もう大ファンなんです!どんなに忙しくて心がガサガサになっても、この『聖女構文』を読むと、なんかこう、胃の奥からお腹空い……じゃなくて、胸の奥が温かくなるっていうか!だから、アタシも勇気を出してコメントしてみたら、まさかお返事までくれるなんて!あ、ハンドルネームは『一番星のペコ』です!その節は、至高の導きをありがとうございました!」

「あのペコはんどしたか。それはそれは。まさか、うちの稚拙な言葉がこれほど眩しいお方に届いていたとは、光栄という言葉さえ霞んでしまいますなあ。……さて、長旅で少々、胃袋の門番が騒がしゅうなっているようにお見受けしますなあ」


 淹れたての緑茶を差し出すと、アスカさんの鼻がぴくっと動き、お腹から「きゅ~っ」と、実に健康的な奏鳴が響き渡った。


「あはは……。隠せないなあ。アタシ、美味しいもののこと考えただけで、身体が正直に反応しちゃうんです。お姉さんの日記読んでる時も、いつもこれ!」

「ふふ、承知いたしましたわ。信徒はんからの熱烈な要望リクエスト、無下にはできまへん。今宵は、かつての失敗を乗り越えた黄金のドレスを仕立てて差し上げまひょ。……少々お待ちを」


 キッチンという名の神聖なる調理場ステーションに立ち、精神を統一する。

 今夜ばかりは、かつての聖域で数々の奇跡を起こした頃のような、研ぎ澄まされた全能感に満ちていた。


 まずは、フライパンの上に黄金のエッセンス――バターを一切れ。

 熱せられた金属の上でバターが芳醇な香りを振りまきながら、滑らかな黄金の海を作り出していく。


「お姉さん、なんか……料理してる姿も、本当に儀式みたいでカッコいいね」

「ふふ、ただの腹ペコの悪あがきどすえ。せやけど、料理は素材への祈り。想いが強ければ、美味という名の福音は必ず応えてくれますわ」


 ボウルの中で、丹念に研ぎ澄まされた卵液を。

 そこに、秘奥の魔力(という名の生クリーム少々)を加え、一気に熱き海へと投じる。

 チリチリと小気味良い音が響き、箸が滑らかな弧を描くたびに、液体は意思を持ったかのように形を成していく。


「あ……。凄い。卵が、魔法みたいにふわふわに……」

「さあ、顕現の時どす。黄金のドレスを纏いし、至高の救済を――」


 あらかじめ用意しておいた、鶏肉と香味野菜の旨味を閉じ込めたチキンライスの上に、その黄金の被膜をふわりと乗せる。

 仕上げに、紅蓮の輝きを放つデミグラスソースをたっぷりと。

 それはまさに、夜空に舞う大輪の花火のような、圧倒的な視覚的祝祭。


「アスカはん、お待たせいたしましたわ。……『ふわとろオムライス』、拝受おくれやす」


 目の前に差し出された一皿に、アスカさんは身を乗り出し、瞳に満天の星を宿した。


「わあ……っ!これこれ、アタシが夢にまで見た、聖なるドレス……!いただきます!」


 勢いよくスプーンを手に取り、熱々のオムライスを大きく一口。

 その瞬間、彼女の時が止まった。


 見開かれた瞳。震える肩。

 やがて、彼女の顔がパアッと後光に包まれたかのように輝き、幸せに満ちた叫びが上がった。


「んんっ!!おいしい!!何これ、天国に行けちゃう!卵が舌の上で溶けるみたいにふわっふわで……それでいて、このソースの深いコクが、疲れきった魂をギュッて抱きしめてくれる感じ!アタシ、今までに食べたどのオムライスよりも、これ大好きーっ!」

「ふふ、よろしゅうおす。作り手の祈りが胃袋の奥底まで届いたようどすなあ」


 パクパクと、実に見事な食べっぷりで、オムライスは瞬く間に消えていく。

 その食べ姿は、修行時代に見たどんな高潔な供儀よりも美しく、生命の輝きに満ちていた。


 食べて、笑って、また食べて。

 アスカさんの発するポジティブなオーラは、この六畳間の空間を、一気に次元を超えた高級サロンのような華やかさで満たしていくよう。


「アタシ、決めました!ハンナリエルさん、アタシの実家……じゃない、アタシの仲間たちにも、この美味しさを伝えたい!これからも、ずっとずっと応援し続けますからね!だから、また美味しいもの……一緒に食べさせてくれますか?」

「ふふ、ええんどすよ。うちはただ、美味しいものを拝受する喜びを分かち合いたいだけどすから。……んにゃ丸も、お友達が増えて喜んでるみたいどすし」

「んにゃ~!」


 アスカさんは「うわあ、可愛い!」とんにゃ丸を抱き上げ、頬ずりをして笑う。

 んにゃ丸もまんざらでもないらしく、電子の瞳をニコニコマークに変えて甘えている。


 月夜の晩に訪れた、若き流星。

 それは、現実の世界で初めて出会った「信徒」との、幸福な共鳴。


 今宵の福音は、街の片隅で最高に明るく、最高に美味しく、明日への活力を灯し続けるのであった。


「ふふ。さて、興が乗ってきましたわ。今夜の日記は、少々気合を入れて綴らんとあきまへんなあ」


 アスカさんが満足げに家を去った後。

 再びキーボードに向き合い、指先に感謝の魔力を込めて叩き始めた。


 ***


【タイトル:[活力]月下に舞いし淡紅の流星、捧げし『ふわとろオムライス』における共鳴の福音について】


『――ああ、遍く夜を支配する静寂。それは魂を磨き、真理へと導くための聖なる帷。かつて夜疾の如く大地を駆け抜けた試練を経て、今ここに顕現せしは『ふわとろオムライス』という名の至高の聖遺物。黄金のドレスは慈愛の如く米を包み込み、紅蓮のソースは渇いた胃袋へと注がれる福音。その一口が五臓六腑を駆け抜けるとき、一番星との共鳴は極限に達し、迷える子羊は至上の祝福と共に明日への活力を再起動させるのです』


 投稿ボタンを押し、満足感と共にノートパソコンを閉じる。

 窓から吹き込む夜風は、先ほどまでの賑やかさを惜しむように、優しくカーテンを揺らしていた。


「ふふ。明日もまた、ええことがありそうどすなあ」


 糸目を細め、静かに微笑みながら、深い眠りの淵へと沈んでいくのだった。

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