第12話 竹林に響く沈黙の咆哮、泥中の貴公子『タケノコ』と銀鱗し『鯖缶』の聖なる調和
薄明の空から降り注ぐ柔らかな光が、竹林の深緑を鮮やかに際立たせている。
ひんやりとした朝の空気に、湿った土と、竹の葉が放つ涼やかな香りが混ざり合う。
里山の凛とした静寂は、かつての聖域で捧げた暁の祈りを思い出させるほどに清らかだ。
「ふふ……。この清冽なる大気の調べ、まさに女神サマが吐息を漏らしてはるみたいで、心が洗われますわあ」
手にしたクワを杖のように突き、糸目を細めて竹林の奥を見つめる。
今日の日雇いアルバイトは、この広大な竹林を守る主の手伝いだ。
労働の対価として、採れたての『タケノコ』を相伴させていただけると聞き、いつになく気合が充填されている。
「おい、糸目の。いつまでも突っ立って気取ってねぇでさっさと腰を落とせ。タケノコ掘りはスピードが命だぞ。地面との語らいが足りねぇんだよ」
背後から飛んできたのは、竹のように真っ直ぐで節々の目立つ、この竹林を預かるおじいさんの叱咤であった。
使い込まれた作業着を纏うその姿は、まるで大地の精霊と契約した老賢者の如き威厳を放っている。
「申し訳ありまへん、ご隠居はん。あまりにこの杜の精霊たちが活発なもさかい、つい魂の交流を試みとりましたわあ」
「精霊だか何だか知らねぇが、俺の目には土から顔を出しちまった後のエグみの強そうなタケノコしか見えねぇよ。ほら、宝探しを始めるぞ」
「ふふ、承知いたしましたえ。それでは、うちに宿る『生命探知』の奇跡……いえ、野生の勘をもって泥中に眠る貴公子を救い出してあげまひょか」
精神を統一し、微弱な魔力を足の裏から大地へと流し込む。
かつては広大な森の深淵に潜む魔獣すら補足したこの探知能力も、今では土の下数センチに隠れた春の芽吹きを見つけるための、贅沢な「宝探し」の道具だ。
「あははっ!何それ、宝探し?相変わらず糸目のお姉さんは面白いこと言ってるね!」
唐突に、竹林の静寂を跳ね飛ばすような快活な声が響いた。
声の主は、境界にある生垣からひょいと顔を出した、ポニーテールの少女。
かつて路地裏で猫と睨み合っていた際、懐柔の秘術を授けてくれた龍崎千怜その人であった。
「あらまあ……。チサトはんやありまへんか。こんな清らかな杜の奥でお会いするとは、もしやあんさんも精霊の導きを受けたんどすか?」
「精霊っていうか、隣のご隠居に『朝からうるさい』って怒られに来ただけだよ!っていうか、お姉さんこそ何してるの?」
「ふふ、チサトはん。うちは今、ご隠居はんという名の賢者サマの下で、大地の恵みを拝受するための聖なる労働に勤しんでおるのどすえ」
「ああ、こいつは隣の騒がしい子供だ。勝手に人の竹林に入り込んできやがる。おい、千怜。暇ならこっちの糸目と一緒にタケノコ運ぶのを手伝え」
「えっ、タケノコ!?いいよ、やるやる!『何事も行動あるのみ』だもんね!お姉さん、一緒に頑張ろうよ!」
チサトさんはそう言うと、運動神経の良さを感じさせる軽快な動きでこちらへと駆け寄ってきた。
意外な再会に驚きつつも、快活な道連れが増えたことに、満足げに糸目を細める。
***
二人はタケノコの山を抱え、小さな作業小屋の焚き火を囲んだ。
おじいさんが大鍋にたっぷりの水を張り、真っ白な『こめぬか』をドサリと投入する。
それはまるで、古の呪術で使われる聖なる粉のようにも見えた。
「これはまた、凄まじい規模の除霊儀式どすなあ。この白き粉が、タケノコの深淵に溜まった邪気を洗い流してくれはるいうわけどすか」
「除霊じゃねぇ、アク抜きだ。タケノコの尖った野心を、糠の優しさが丸くしてくれるんだよ。おまじないに唐辛子も一柱、入れとくか」
「すごいね!お姉さんの言い方、なんかファンタジー映画の撮影みたい!でも抜かないとエグくて食べられないもんね、アク!」
「ふふ。チサトはんの仰る通り。アクという名の怨念を浄化してこそ、初めてタケノコはんも救済の味を宿してくれはるのどすえ」
ぐつぐつと、鍋が心地よいリズムで鳴り始めた。
こめぬかの甘い香りと、タケノコ特有の青々とした香りが混ざり合い、小屋の中は春の祝福に満たされていく。
労働の疲れと空腹が、その扇情的な香りを最高のスパイスへと変えていくのが分かった。
「……ふふ。お野菜さまがお風呂の中で悦びに浸ってはるみたいで、見てるだけで心が浄化される心地どすなあ」
一時間を経て、茹で上がったタケノコをおじいさんが手際よく切り落としていく。
そこへおじいさんが手慣れた手つきで地元の味噌を溶き入れ、棚の奥から一つ、銀色に輝く円柱状の物体を取り出した。
「さあ、仕上げだ。今日は特別に、定番の『タケノコと鯖缶のみそ汁』にしてやるからな」
「……鯖、どすか? まさかこの泥中の貴公子を迎え撃つために、海の底から銀色の騎士を召喚しはるとは……畏れ入りましたわあ」
「うわっ、出た!おじいちゃんの鯖缶味噌汁!これ、お父さんが言ってたけど、山と海の最強タッグなんだよね!お腹空いてきちゃった!」
味噌の香ばしい匂いと、鯖の芳醇な油、そしてタケノコの清々しい香りが混ざり合い、小屋の中に未知なる福音のメロディが響き渡った。
「んんっ……!!」
一口、その汁を啜った瞬間、脳内に春の海と山が合体した壮大な風景が広がった。
味噌の深い味わいの中に、鯖の力強い旨味が溶け込み、それをタケノコのみずみずしさが後味をスッキリとまとめ上げている。
「なんと……。鯖という名の荒くれ騎士が、タケノコという名の貴公子と手を取り合って、うちの胃袋の中で平和の祭典を開いとりますわあ!もはや断罪の余地なし、至高の美味しどすなあ」
「あははっ!お姉さんのリアクション最高だね!でも本当に美味しい……!脂の乗った鯖が甘い味噌に溶けて、そこにタケノコのシャキシャキ感が加わると……もう止まらないよ!」
「ははっ、いい食いっぷりだ。鯖とタケノコ、こいつぁ相性バツグンなんだ。田舎の知恵ってのは、どんな奇跡よりも確実だろ?」
「ええ、ええ。ご隠居はん。あんさんの魔法は、うちの知っとるどんな儀式よりも心に染み渡りますわあ。チサトはん、お代わりはいかがどす?」
「もちろん!『肉体の燃料』としてはこれ以上ない贅沢だよ!ご隠居、もう一杯いいでしょ?お姉さんと競争しちゃうもんね!」
ハフハフと熱い吐息を漏らしながら、三人はひたすらに椀を空けていく。
最後の一滴まで汁を飲み干し、温かいお茶で一服したとき、うちは新たな「真理」に到達した気がした。
「ふぅ……。ごちそうさま、どした。海と山の出会い、これこそが真の救済なんどすなあ。煩悩もすべて、鯖の脂と一緒に溶けていきましたわあ」
「煩悩が溶けた割には、おかわりを四回もしたな。……まあ、よく食う奴は信用できる。また来いよ、二人とも」
「あはは、やった!今度は何かデザート持ってきちゃうかも!お姉さん、またここで会おうね!」
「ふふ。チサトはんの仰る通り。今度はうちも、何か甘き供物を持参してお二人を驚かせて差し上げなあきまへんなあ」
竹林を出るとき、振り返ればそこには新緑の光を浴びて、静かに力強く次なる芽吹きを待つ杜の姿があった。
***
【タイトル:[共鳴]銀鱗の騎士『鯖缶』と泥中の貴公子、旬の『タケノコ』における海山合一の福音について】
『――人は時として、独りで高い壁を越えようと藻掻くことがあります。ですが、あえて予期せぬパートナー……例えば、保存食という名の聖遺物を迎え入れることで、そこには独りでは辿り着けなかった「調和」という名の救済が生まれるのです。鯖とタケノコ。この奇跡の出会いこそ、春を謳歌するための最強の魔導書と言えるでしょう』
「ふふ……。元の世界への戻り道探しも、まあ、この海と山の祝福を味わい尽くしてから、ボチボチ始めまひょか」
投稿ボタンを押し、満足感と共にノートパソコンを閉じる。
窓の外、竹林の梢を揺らした風が、我が家の六畳一間まで、微かな春の香りを運んできてくれた。
聖女の胃袋は、今日もまた、鯖缶とタケノコの福音によって満たされ、穏やかな眠りへと誘われていくのだった。
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