第8話 見えない匂い
旧封鎖山域は、地図よりも近かった。
だが、空気が重い。
アリエスは上空で旋回し、翼を止めた。
風が、途中で歪む。音が、遠回りして届く。
「……ここ、変だ」
高度を落とす前から、胸の奥がざわつく。
いつもの“殴りたい”感じとは違う。
近づくな、と言われているような圧だ。
視界を切り替える。
《ステータス・オーバールック》
地域:旧封鎖山域
危険度:測定不能
環境補正:
・感覚鈍化(弱)
・方向感覚撹乱(中)
(環境からしてヤバい)
着地。
土は硬い。踏みしめても、音が吸われる。
木々は枯れていないのに、生きている気配が薄い。
足元に、古い結界石が転がっていた。
削れているが、確かに人の手が入った痕跡。
「封鎖、か……」
その意味が、遅れて胸に落ちる。
⸻
少し進んだところで、気配が動いた。
――来る。
反射的に、アリエスは翼を半開にする。
だが、何も出てこない。
視界を走る表示が、途中で止まった。
《ステータス・オーバールック》
対象:???
種族:不明
Lv:???
HP:???
MP:???
特記事項:
・情報遮断
「……へえ」
初めてだ。
**“見えない”**という事実。
胸の奥の衝動が、はっきり形を変える。
昂る、ではない。集中だ。
(殴れる。でも、順番がある)
足元の石が、きしっと鳴る。
次の瞬間、地面が沈んだ。
――ズンッ!!
アリエスは即座に跳ぶ。
翼で加速し、真上へ。
下から、影が伸びる。
影だけが、実体より先に来る。
空中で体勢を整え、拳を握る。
(最適破壊ルート……出ない?)
表示が、沈黙したままだ。
代わりに、別の警告が浮かぶ。
警告:
・未知対象
・戦闘予測不可
「……いいね」
アリエスは、口角を上げた。
怖くはない。
だが、軽くもない。
影が、もう一度動く。
今度は、音が遅れて来た。
――ゴォ……ン……
低い、共鳴音。
地面、木々、空気が同時に震える。
アリエスは、着地と同時に後退した。
珍しい選択だ。
だが、理由は明確。
(殴る前に、正体を掴む)
視界の端に、微細な表示が戻る。
補足情報取得:
・本体は地下深部
・表層に現れているのは“端末”
「……本体、地下か」
S級の匂いが、確信に変わった。
背後で、結界石が砕ける。
誰かが、意図的に壊した痕跡。
(……私以外も来てる?)
国家か。
他ギルドか。
それとも――この場所そのものが呼んだのか。
アリエスは、拳を鳴らした。
「いいよ。逃げない」
翼を広げ、低空姿勢。
殴るためじゃない。
見極めるための構えだ。
旧封鎖山域の奥で、
“何か”が、確かに目を覚ました。
S級案件は、
まだ、入口に過ぎない。




