第1話 天空より叩き潰す
雲の都アウレリオンの朝は早い。
白い回廊に射し込む光は鋭く、翼を持つ者の影を床にくっきりと落とす。その影の主――アリエスは、羽根を小刻みに揺らしながら、落ち着かない足取りで歩いていた。
胸の奥が、なんとなくざわつく。
理由は分からない。ただ、じっとしていると気分が晴れない。最近は特に、訓練の合間でも「何か足りない」感覚が残っていた。
「……やっぱり、早く旅に出たい」
独り言のように呟いた瞬間、背後から足音が近づく。
振り返ると、翼を畳んだ女性――セラフィナが腕を組んで立っていた。母であり、天翼族の誇りを体現する存在だ。
「またその顔ね」
「その顔って何?」
「“今すぐ飛び出したい顔”よ」
穏やかな声だが、芯がある。
「もう大丈夫だってば。私、強いし」
アリエスは胸を張った。
「自分で言うなって顔してるけど、事実でしょ?」
「……強いのは認める。でも、まだ早い」
「“まだ”って、いつまで?」
一歩踏み出すと、翼がわずかに広がり、風が巻いた。
「訓練もしてる。試合も勝ってる。なのに、何でダメなの?」
セラフィナはため息をついた。
「地上は、勝ち負けだけの場所じゃない」
「それなら尚更、行かないと」
アリエスは笑った。
「知らないなら、殴って覚えるよ」
これ以上話しても平行線だと悟り、くるりと踵を返す。
「訓練場に行ってくる!」
背後で、母が小さく呟いた。
「……頑固なところまで、そっくりね」
⸻
訓練場は、朝から活気に満ちていた。
木剣がぶつかる音。翼が空を切る音。魔力が弾ける気配。
そのすべてが、アリエスの胸を軽くする。
「教官!」
屈強な天翼族の教官が振り向いた。幾多の戦場をくぐり抜けた者の眼だ。
「どうした、アリエス」
「卒業試験を受けたい」
迷いはない。周囲がざわめく。十五歳で卒業試験――前例は少ない。
教官はじっと見つめ、やがて頷いた。
「条件がある。格上と戦え。正面からだ」
アリエスの唇が自然と吊り上がる。
「望むところ!」
⸻
試験は簡潔だった。
相手は年上の天翼族。翼の大きさも、体格も、経験も上。
だが、アリエスは動じない。
視界の端に、情報が走る。
《ステータス・オーバールック》
対象:天翼族訓練生(上級)
Lv:18
HP:420
攻撃力:55
防御力:38
スキル:
・空中制動
・翼打撃
耐性:
・打撃△
(……勝率、八割ちょい。十分)
「行くよ!」
跳躍。上空へ。風を掴み、翼で加速。
次の瞬間、急降下。
拳に全体重と勢いを乗せて叩き込む。
――ドンッ!!
空気が震え、相手は地面に沈んだ。二撃目はいらない。
教官は短く息を吐く。
「……合格だ」
その言葉が耳に届いた瞬間、胸の奥のモヤモヤがすっと消えた。
「やっぱ、殴るとスッキリするなあ」
教官は、聞こえなかったことにした。
⸻
訓練場を出たところで、同世代の天翼族が声をかけてきた。
「旅に出なよ。地上は危ないけど、腕は上がるって」
「だよね!」
背中を押されるまでもない。もう決めていた。
⸻
家に戻ると、空気が少し張りつめていた。
セラフィナは何も言わない。アリエスも、あえて話さない。
言えば、またぶつかる。だから、夜が深まるのを待った。
皆が寝静まった頃、机に向かい、短い手紙を書く。
――
母さんへ
育ててくれてありがとう。
強くしてくれてありがとう。
私は旅に出ます。
誰よりも強くなるために。
父さんに会うために。
それと――
母さんが大好きです。
アリエスより
――
セラフィナは、陰から見ていた。
小さな背中が門へ向かうのを。真っ直ぐな飛行で夜を裂くのを。
残された手紙を読み、声を殺して涙を流す。
「……行きなさい」
それが、母の選択だった。
⸻
夜明け前、アリエスはアウレリオンの門に立った。
「もう行くのか?」
門兵が声をかける。
「うん!」
「地上は甘くないぞ」
「だから行くんだよ」
門兵は苦笑し、翼を畳んだ。
「無事でな。天翼族の誇りを忘れるな」
「忘れない!」
翼を広げ、門を越える。
⸻
そのまま、地上へ急降下。
雲を突き抜け、風を裂く。
街がいくつか見えたが、途中で異変に気づいた。
荷馬車。土埃。悲鳴。
狼型の魔物が五体、円を描くように囲んでいる。
アリエスは唇をぺろりと舐めた。
「……ちょうどいい」
《ステータス・オーバールック》
対象:ウルフ・レイダー
Lv:9
HP:180
攻撃力:28
防御力:12
スキル:
・群狼連携
耐性:
・斬撃△
・打撃×
「打撃弱い。了解」
翼を畳み、急降下。
――ヒュオオオッ!
ドンッ!!
一体目、真上から叩き潰す。
――ガウッ!
残りが跳ぶ。
右へ半回転、翼で加速。
バゴッ!
二体目、吹き飛ぶ。
最適破壊ルート:
① 右端を即破壊
② 時計回りに処理
③ 最後は背後から粉砕
成功率:94%
「時計回りね」
――ズドン!
――ガッ!
――ドォン!
四体目、五体目。沈黙。
戦闘終了。
胸の奥が、また軽くなる。
「やっぱ、殴るとスッキリする」
⸻
荷馬車の影から、男が顔を出した。
「た、助かった……!」
視線を向けると、表示が走る。
《ステータス・オーバールック》
名前:ソウタ
種族:人間
Lv:6
HP:90 / 120(軽傷)
スキル:
・交渉術 Lv2
・荷運び Lv3
・商業知識 Lv2
状態:
・恐慌(小)
「商人だね」
「え? あ、ああ……ソウタって言う」
「私はアリエス。もう安全だよ」
ソウタは、信じられないものを見る目で翼を見上げた。
「天翼族……? 地上に降りてくるなんて、ほとんど聞かない」
「珍しい?」
「そりゃもう。空の民は基本、雲の上だ」
アリエスは肩をすくめた。
「私は基本とか知らないし」
それより、気になる。
「ねえソウタ。地上って、強いのいっぱいいる?」
ソウタは言葉に詰まり、苦笑した。
「……いる、けど。今のを見た後だと、なんて言えばいいか」
アリエスは満足そうに笑う。
「じゃあ、街まで案内してよ。色々知りたい」
「い、いいのか?」
「うん。一人より詳しい人がいた方が楽でしょ」
こうして――
天翼族ハーフ、十五歳。
空から来た少女は、地上を歩き始めた。
殴れば分かる。
見れば倒せる。
この世界は、思ったより、楽しい。




