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タイトル未定2025/09/22 09:02

「ところで九谷さん、お聞きしても(よろ)しいですか? ホラッ、あの世とこの世の境界と言われている、例の三途の川ですけど——あれ、経験なさいました?」

よほど興味があるのか管理人は唐突(とうとつ)に話題を変え、丸眼鏡を下にずらして上目づかいに質問してきた。三途の川説話は世界中にあるようだが(おも)に仏教思想だ。


「そういえば渡らなかったな……お花畑で天女が舞っている姿も見なかったし、向こう岸で手を振るご先祖様にも会わなかった。私の場合、ここまで直行でしたよ」


「ウンウン、そうでしょうとも。皆さん例外なくそうおっしゃいます」

管理人は丸い顔をほころばせ、そのあとフゥと短い溜息を()いた。


「三途の川なんて宗教界の創作なんですよ……よくもまぁ、こんな巧妙な仕組みを完成させたものです。

天国・極楽の実態なんて神と仏を頂点にした身分制度、主従制度そのものですよ。そう思いませんか九谷さん?

第一、来世に来てまで上下関係に縛られるなんてバカバカしいでしょう?

私には理解できません——理解の範疇(はんちゅう)を大幅に超えていますよ」

よっぽど宗教界に反感を持っているのか、管理人は一気に(まく)し立てた。


「その点ここは皆さんが平等で自由に暮らしている世界なので、神や仏と呼ばれて人の上に君臨する不届きな連中は居ないのです。

当然ですが上下関係や肩書きで人を選別する(やから)もおりません。

皆さん誰にも遠慮せず、自由を満喫して幸せに暮らしておられます」

()()やがて管理人は商売敵の会社が、どんなに(ひど)くて信用できないかを客に訴え、さりげなく自社製品を(すす)める老練セールスマンみたいになった。


「歴史を展望してください。仏教誕生から、およそ二千五百年、キリスト教がおよそ二千年です。その間、戦争という集団殺人が行われなかった時期がありましたか? 宗教が関与しない戦争が一度でもありましたか? 

九谷さん、神仏はね、人間に救いの手を差し伸べたりしませんよ。

神仏は人間を憎んでいます——だから人間を救うはずがないのです」


「それでもまぁ、善行を重ねれば天国へ悪行を重ねれば地獄行きと、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の思想で社会を安定させているのは確かですから——そこは認めていますけどね」

あなたは天国、お前は地獄と、宗教は死後の行き先を選別する。

こうなると、もう究極の差別とも言えるだろう。それを自由で平等な世界を(つかさど)る来世の管理人が否定するのは至極もっともなことで、当然の反応といえる。


生前、九谷は無限大・無限小の果てなど、それこそ百年待っても答えが出そうにない難問に挑戦していた。つい眠る前に考えてしまうのだ。

そんなもの人間に分かる筈がないと自覚した後は、ヒツジが一匹ヒツジ——の代わりに睡眠導入用として使っていた。


天国・極楽・地獄が在るのか無いのかは、為政者が大衆を統治するには便利に使えるアイテムだが、どう見てもこれは眉唾(まゆつば)ものの作り話であり子供だましもいいところだ。それでも二千年以上の歳月に渡って伝えられて生き延びたのは、宗教と政治が古代から密接に繋がっていたからに他ならない。

残された遺族が押し付けられるバカみたいな金額の葬式費用や、その後の初七日や四十九日、永遠に続きそうな法事の回数、地方の寺が本山に収める上納金もある。

為政者や宗教界は何故に天国・極楽・地獄を周知したいのか? ちょっと考えれば誰でも分かる。


そうは言っても、死後の世界〈来世〉が厳然(げんぜん)として存在する事実は揺らがない。

そもそも死は人生の終わりではない。むしろ出発点を意味する(おごそ)かな行事と(とら)えるべきなのだ。〈来世〉は数多(あまた)ある宗教とは何の関わりもなく存在するのである。

来世の存在を確信した人は、やがて〈安心〉の境地に到達する。それは生涯つきまとって離れない死への恐れを消し去ると共に、近代教育によって押し付けられた窮屈な知識、それに付随する慣習から自我を解放してくれるだろう。


世の中には経済的に成功して財を成し、生活の心配がなくなった途端に弱者批判を始める人達がいる。成功者に特有の優越感がそうさせると思われるが、他者(たしゃ)に配慮せず本音を言う背徳的な心地よさ、快感に(あらが)えないという理由もありそうだ。


大多数の人類が来世の存在を確信するのも考えものである。知ることで、より良く生きるための努力や忍耐を放棄する者が増え、中には現世を見限り手っ取り早く死を選ぶ者さえ現れるのではないだろうか。

(ある)いは短絡的思考の愚か者たちがレミングのように暴走し、世界大戦が勃発(ぼっぱつ)して人類が絶滅する恐れさえある——それを防ぐためにも来世の存在はアヤフヤにしておくに限るのだ。たとえ強欲な宗教界が営業妨害するなと騒いだにしても。


あれこれ想い巡らしていると管理人がコホンと軽く咳払いし、宗教否定の熱弁をふるった照れ隠しなのか、取って付けたように話しかけてきた。


 「どうですか九谷さん、現世から来世に引っ越して来た感想は?」 


「そういえば体がすごく軽いな。老眼も虫歯も腰痛も治っているし肌も筋肉も張りが出ている。思いっきり若返っていますよね」

うかつにも九谷は、ここでようやく初老の自分の身体が20代の瑞々(みずみず)しさを取り戻しているのに気付いた。そして生前の記憶をぼんやりとしか思い出せないことも。


 「肉体や精神を(むしば)み続けた(やまい)は、この世界に入った途端に消滅します。

ここでは年齢だって自由に決めることが出来るのですよ。

あなたの場合なら——肉体年齢は二十五歳、それでいて精神年齢や性格には変化なし。通常なら、亡くなる前後の記憶は徐々に消えるのですが、九谷さんに限っては生前の記憶が、そのまま継続します。

しばらく記憶が戻らないと思いますが、そのうち鮮明になりますから」

 何かしら凄いことになった。九谷は両手を使って何回も自分の頬を叩いた。


「あぁ失礼、つい肉体と言っちゃいましたね——実は九谷さんの身体は肉体ではありません。この世界では、あなたの身体はもちろん、海・草原・建物、あの雲だって、見えるもの全てを構成しているのは原子や素粒子ではないのですよ。

そう、〈意識エネルギーが実体化した状態〉と言えば理解して頂けるでしょうか」

話を聞きながら九谷は深く(うなず)いていた——現世で経験した幸不幸なんて、どうでも良い些末(さまつ)な出来事だったのだ。                  ()() 

ここは、病気にならない怪我はしない、疲労を回復するための睡眠や身体を維持するための食事さえ必要ない世界——究極の自由、絶対自由が支配する世界だ。







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