第15章、始業式と、変わった関係
蝉の声が和らぎ、朝の空気にはどこか秋の気配が混じり始めていた。
けれど空はまだ青くて、夏の名残が残っている。
黒川蒼は制服の襟を軽く直しながら、ふぅっと息を吐いた。
今日は始業式。夏休みが明けて、また学校が始まる。
だけど――何かが違う。
「蒼~! 一緒に行こー!」
声がした。慌てて外に出ると、そこには変わらぬ笑顔のこはくがいた。
少し風に揺れる髪。夏休みの間にほんのり日焼けした頬が、どこか愛おしい。
「おはよう、こはく。……なんか懐かしいな、制服」
「でしょ? でも久しぶりって感じじゃないかも。だって、毎日LINEしてたもんね」
「たしかに。距離、近かったもんな……」
二人は並んで歩き出す。
手は繋がない。まだ、秘密の関係。だけど、心は繋がっているような気がしていた。
「学校、どうかな。なんか久々でちょっと緊張する」
「俺は正直……こはくがいるから、ちょっと安心してる」
不意に照れるようなことを言ってしまい、蒼は小さく咳払いしてごまかした。
こはくはくすっと笑って、答えない。でもその笑顔がすべてを物語っていた。
◇ ◇ ◇
教室に入ると、夏の雰囲気とは違ってどこか落ち着いた空気が流れていた。
生徒たちが少し日焼けして、思い思いの夏を過ごしたことがわかる。
「おっ、蒼くん! こはくちゃんと一緒に登校なんて、ふふ~ん、夏祭りのあと何かあったのかな~?」
美音が机に頬杖をついてからかってくる。
「べ、別に……家近いし、普通に一緒に行くだけ」
「そうそう、たまたまタイミングが合っただけだよ」
こはくもにこにこ笑いながらフォローしてくれるが、二人の雰囲気は少しだけ特別だった。
「ふーん? ま、いっか。じゃあまた放課後にでもいろいろ話そ?」
やがて、理玖が静かに教室に入り、結愛も元気に登校してきた。
「おはよー! 夏休み終わっちゃったねぇ……でもみんなの顔見れて元気出たっ!」
「……蒼、こはく。なんか、雰囲気変わった?」
結愛の鋭い観察眼にヒヤリとしつつ、二人はなんとかごまかす。
そこに、静かに教室のドアが開き、天野凪が姿を見せた。
「……始業式、か。……朝が静かじゃなくなるのは、少し……騒がしい」
無表情のまま席につく凪に、誰もが一瞬たじろぐが、理玖がふっと微笑んで一言。
「それでも、天野さんが来ると締まるから、不思議ですよね」
「……そう?」
凪はほんの少しだけ目を細めた。その表情に、周囲の空気が和らぐ。
◇ ◇ ◇
始業式は例年通りの退屈な内容だったが、蒼の心は落ち着かずそわそわしていた。
隣に座るこはくの制服の袖がわずかに触れるたび、鼓動が少し早くなる。
(なんでこんなにドキドキしてるんだろうな……)
でもそれが、たまらなく嬉しい。
こはくもちらりと蒼を見て、小さく笑って目をそらす。
誰にも気づかれないように、けれど確かに「付き合ってる」と感じる時間。
◇ ◇ ◇
昼休み。こはくと蒼はいつもの屋上にいた。
他の生徒たちは教室や購買に集まっている時間。ここは二人だけの秘密の場所。
「……やっぱり、学校始まったって感じするね」
「うん。でも、こはくがいると、ちょっとだけ違って見える」
こはくは照れたように笑い、手すりにもたれて空を見上げた。
「私も……そう思う。夏のあいだに、いろいろ変わった気がするけど、よかったなって」
ふと沈黙が落ちる。
でも、その静けささえ心地よかった。
「……放課後さ」
「うん?」
「ちょっとだけ、寄り道して帰らない?」
こはくは目を丸くしたあと、ふわっと嬉しそうに微笑んだ。
「うん、いいよ」
◇ ◇ ◇
放課後。生徒たちが続々と帰っていく中、蒼とこはくは並んで歩いていた。
寄り道といっても、近くの公園に立ち寄ってベンチで話すだけ。
だけど、こうして放課後の空気を一緒に感じられるのが幸せだった。
「また、明日から普通の授業かぁ」
「頑張ろうな。こはく、ノートとか貸してくれると助かる」
「ふふ、仕方ないな~、付き合ってる特権だね」
付き合っている。
そう言葉にされたことが、少しだけくすぐったかった。
二人は何気ない話を続けながら、ゆっくりと夕方の道を歩いていく。
夏の終わりと、秋の始まりが混ざったような風が吹いた。
――こうして、新学期が始まった。
特別になった二人の関係は、まだ誰にも知られていない。だけど、それが少しだけ心地よい。
きっと、これからまたいろんなことがあるだろう。
でも、今はただ、この小さな幸せを噛みしめていた。
15章でした。ついに学校始まりましたね!さてこの後どうなるのか