第14章、ふたりの距離、花火の下で
――夏休み、残り4日。
いつの間にか、蝉の鳴き声も少し落ち着き始めていた。
楽しかった海辺の別荘での勉強会と、夜の海での告白――
その記憶は、まるで昨日のことのように鮮明で、けれど少しずつ夢のようにも感じる。
黒川蒼は、家の窓から外を見つめていた。
陽はまだ高いが、空の色はどこか秋の気配を含み始めている。
彼の手にはスマホ。画面には、あるひとつのメッセージが表示されていた。
「今日は夏祭り、ちゃんと浴衣着てくるんだよ?笑」
「駅前に18時集合ねっ。楽しみにしてる!」
差出人は、紡績こはく。
こはくと正式に付き合い始めて、まだ日が浅い。
あの夜の告白のあと、ふたりは静かに恋人としての一歩を踏み出した。
けれど――まだみんなには秘密にしている。
(変な風に思われたら困るし、ちゃんと伝えるタイミングも難しいし……)
蒼はひとつ深呼吸をして、浴衣の襟を整えた。
親から借りたシンプルな紺色の浴衣。帯の結び目は緩んでいないか、鏡で何度も確認する。
時計の針が17時半を指したとき、蒼は家を出た。
◇ ◇ ◇
駅前はすでにたくさんの人でにぎわっていた。
屋台の準備が進み、焼きそばやイカ焼きの香ばしい匂いが漂ってくる。
子どもたちの笑い声、風鈴の音、夏の音がそこかしこにあふれていた。
「……こはく、まだかな」
蒼が辺りを見回すと、風の向こうから声が聞こえた。
「蒼っ!」
振り返ったその先、浴衣姿のこはくが駆け寄ってくる。
淡い水色の浴衣には、小さな金魚の模様。髪は軽くまとめられ、耳元で小さな飾りが揺れていた。
「……めっちゃ、似合ってる」
蒼が呟くと、こはくは顔を赤らめて微笑んだ。
「ありがとう。蒼も似合ってるよ、すごく」
「子ども扱いされなくてよかった」
「ふふ、じゃあ、今日は“大人っぽい”蒼にエスコートしてもらおうかな」
こはくの笑顔に、蒼の胸は少しだけ高鳴った。
そこに、他のメンバーも合流する。
結愛は元気いっぱいのピンクの浴衣で登場し、美音は落ち着いた紫に金の帯。
理玖は涼しげな甚平姿で、凪は珍しく白地の浴衣を着ていた。
「ほらほら、射的行こうよ!」
「まずはかき氷でしょー!あたしブルーハワイね!」
「スイカ味って意外とおいしいんだよ」
「静かに並べば、すぐ買える」
にぎやかな時間の中、蒼とこはくはあえて目立たないように並んで歩いた。
けれど、ふと視線が合うと、どちらともなく小さく笑い合っていた。
「……ねえ、今日、ずっとこうしてたいね」
「うん。祭りって、やっぱり好きだな。なんか、特別な夜って感じ」
しばらくして、凪がぽつりと口にした。
「そろそろ、花火が始まるわ」
みんなは堤防沿いに移動し、それぞれ場所を確保して座る。
川風が浴衣をふわりと揺らし、空は少しずつ、夜の帳を落としはじめていた。
「……こっち、来ない?」
こはくがそっと蒼の袖を引く。
二人はみんなから少しだけ離れた場所に腰を下ろした。
そして、夜空に最初の一発が――
「たまやーっ!!」
ドーン、と空に開いた大輪の花。
赤、青、金、そして大きな菊のような花火が次々に打ち上がっていく。
「すごい……」
こはくが見上げながら、小さく呟く。
蒼はこはくの横顔をちらりと見た。
花火の光に照らされて、少しだけ儚く、それでいてまっすぐに輝いていた。
「……ねえ、蒼」
「ん?」
「これからも、こうして一緒にいられるよね?」
蒼は迷わず、静かに答えた。
「もちろん。……付き合ったからって、急に何かが変わるわけじゃないけど、俺は、こはくの隣にずっといたいって思ってる」
こはくは、そっと手を差し出した。
「じゃあ、こっそり握っててもいい?」
「……バレないように、な」
ふたりの手は、静かに重なった。
周りの喧騒とは別世界のように、そこだけがゆっくりと時を刻んでいた。
花火の音が、夜空に響くたびに、ふたりの心もまたひとつずつ、重なっていくようだった。
――それは、誰にも知られない、ふたりだけの特別な夜。
そしてきっと、夏の終わりを彩る最高の思い出になった。
第14章でした。なんと、夏祭りが始まりましたね!さて、もう学校がはじまる