第一話 始点
時:平安時代
場所:平安京 御所の南庭
御門が住まう御所の南側に位置する、清浄を意味する白砂で敷き詰められた広大な広場には、満月に照らされた三つの影があった。
その影の主は、陰陽師である安倍晴明と蘆屋道満、そして幾つもの白い尻尾を大きく広げ、晴明を守らんとする妖狐であった。
道満は怒りを露わにして声を荒らげる。
「お、己!謀ったな九尾!」
「九尾ではない。まだ八尾だ」
そう言って、熊の数倍あるかと思うほど大きく、神々しいほど白い被毛を纏った狐の姿の妖狐は、八つの尻尾を振って見せた。
御門の命を狙わんとする道満は、妖狐の手引きで御所内に入り込むことが出来たのだが、晴明がいることが予想外で、それが道満の怒りの元だった。
全ては晴明と妖狐の計画で、妖狐が晴明を裏切り道満に寝返った振りをしていたのだ。
晴明が手に持っている灯籠に息を吹きかけた瞬間、火種はないのに不思議にも灯が灯る。
「止めろ!」
道満は激しく抵抗するものの、晴明が前もって施していた結界のせいで動けない。
「道満、お前の大義は間違っている」
晴明はそう言って、いっそう大きく揺らめき始めた灯籠を足元に置く。
晴明の瞳は、母親が妖ではないかと噂されるのも納得がいく程、妖しく美しく、翠色と茶色が混ざった色で、中央が控えめな琥珀色で縁取られている、なんとも形容できない色であったが、今は怒りとも悲しみ、どちらとも判断できない感情で満ちている。
一息つき、晴明は自身の霊力で青白く光る弓矢を作り出し構え、そして唱える。
「黄泉の路は闇にあり
闇は扉の彼方にあり
我一時千引の岩砕くとき
彼の魂を冥府の水脈へ流したまえ
黄泉津大神 神威顕現 神滅禍祓!」
直後、黄泉へ続く道、黄泉平坂への巨大な扉が現れ、灯籠から出た一筋の白い光線が、その扉の鍵穴を通り抜ける。
そうして扉は開いた。
扉の奥から強い風が吹き込んで来る。
烏帽子から少々はみ出た、晴明の濃紺の横髪と白い着物の袖が激しくたなびくが、晴明は姿勢を崩さずに、弓矢を構えている。
開いた扉の先に、どっしりと鎮座する、人の背丈の何倍もの高さの大岩が見える。
弓矢は、今はより一層大きく輝き、霊気で青白い焔を纏っているようだ。
晴明は、その大岩に向かって矢を放つ。
大岩は砕け散り、その奥から霧がかった幾重の手が、道満を捕まえんと伸びてくる。
「終に大義を成すことが出来ぬか... ...」
道満は無念で口元を歪ませる。
そうして道満の魂は、冥府へ引きずり込まれ、砕け散ったと思われた大岩はまた元通りの形に戻り、扉は閉まり霧のように消えていった。
静けさが戻り、残ったのは晴明と妖狐の二つの影と、
魂を失くし横たわった道満の体だった。
晴明の目は今はただ悲しみの色をたたえていた。
そして、左目から涙が一雫落ちた。
妖狐はその涙の理由が分かるからこそ、
ただただ傍らに居ることしかできなかった。