高菜は知っている⑨
しょうが焼きおにぎりは、甘辛いタレをしっかり絡ませたしょうが焼きを細切りにしたものが具になっている。豚肉は柔らかく、ご飯にしみこんだタレもまたおいしく、あっという間に食べてしまった。しょうが焼きおにぎりをおかずにして、白米を食べれそうだと思った。女性のひよりがそうなら、食べ盛りの男子高校生は塩むすびを主食にしょうが焼きおにぎりを食べれるはずだ。
「しょうが焼きおにぎりは川添さんがテイクアウトしてくれたので、家にあると思いますよ」
水瀬に告げられ、マジかと呟いた琉斗の顔が綻ぶ。その瞬間、琉斗を見る水瀬の目が鋭く光り、居合わせたひよりは心の中でこめかみに手をやる。
――他人が握ったおにぎりが食べれないって前提、自分で崩してるよ。琉斗くん……。
「本当は川添のおばあちゃん以外の人間が握ったおにぎりも食べれるんだよね」
突然口調が変わった水瀬に、琉斗はぎくりとして水瀬を見上げる。普段のんびりしている水瀬が見せる氷のようなまなざしに琉斗はたじろぎ、助けを求めるようにひよりを見る。ひよりは口にする代わりに、両手で小さくごめんと謝る。
普段のんびりしているけど、仕事はきちんとやる。ただしそれは通常の業務範囲内。業務範囲外――ひよりを拾ったり、琉斗の面倒を見る――では、やや毒が入るらしい。
福子曰く「面倒事に関わらされて面白くないアピールをしているだけ」だ。両親が亡くなった頃の水瀬と比べれば、感情を表にするだけ成長したというのは水瀬の取説を知っている福子の弁だ。
「川添さんには贔屓にしていただいていますし、ひよりさんの部屋も貸していただいて感謝しています。その川添さんを心配させるのはどうかと思いますけど」
「じいちゃんが心配?」
「おばあちゃんが入院していた頃、おばあちゃんが作ってくれたと嘘をついたせいで、他人が握ったおにぎりが食べれなくなったのではないかと」
それねと呟いた琉斗はお茶に口をつける。
「一番好きなのは、ばあちゃんのおにぎりだもん。病院で入院患者がおにぎり握るってありえないでしょ。けどさ、じいちゃんとばあちゃんが話合わせてるし、この嘘に乗らなきゃ孫じゃねーじゃん」
「じゃあ、知ってたの?」
ひよりの問いに、琉斗は頷く。
「ばあちゃんのおにぎりは……そんなに力が入ってなかった。食べ方が悪いと、ぽろって崩れんの。ここのは具によって違う」
そうなの?
水瀬を見れば、面白くなさそうに鼻にしわを寄せている。図星か。
「俺、小食だったから。母親がご飯にふりかけとか漬物混ぜたのをラップで軽く握って、おにぎりにして食わせてくれてたらしいよ」
「川添さんの奥さんは、お母さんのやり方を踏襲したんじゃないですか。環境が変わって、食の細かったあなたが食べなくなるのを心配して」
だよねと呟いた琉斗は寂しそうに笑う。
琉斗がどんなに食べたいと願っても、この世には琉斗用のおにぎりを作ってくれた人たちはいない。
ふんと鼻を鳴らした水瀬は、琉斗の前におにぎりセットの皿を置く。四角い皿に高菜おにぎりが一つ置かれている。おにぎりセットはおにぎり一つと二つの選択制だが、水瀬の独断でおにぎりは一つだけだ。
水瀬の行動に、ひよりは慌てて厨房へ向かい、お盆にお新香とおみおつけを用意する。ゆかり漬けの大根は綺麗に染まり、おみおつけから漂う出汁と味噌の香りがひよりの胃袋を刺激する。
つい数時間前に賄いを食べさせてもらったのに、もう食べたくなってしまう。琉斗のことを、常にお腹を空かせている男子高校生と笑うことはできない。
空腹を忘れさせるように首を振り、より空腹であろう琉斗の元へ向かう。
他人が握ったおにぎりは食べれないと言っていた琉斗だが、空腹に耐えかねたのか――それともバレたからいいと思ったのか――おにぎりを半分ほど胃に収めている。
「うめー、マジうめー」
高校生らしい褒め言葉を口にする琉斗はひよりが運んだお椀を見ると、会釈してお椀を受け取る。お椀に口をつけると、ほうっと息を吐く。
「これ、福子さん?」
「そうだよ。わかるの?」
「おふくろの味って感じ。さすが主婦歴数十年」
「琉斗くんが褒めてたって言っておくよ」
きっと福子は喜ぶはずだ。さすが川添さんの孫よねーと言いそうな気がする。
「これ何? ほうれん草じゃないよね」
「高菜。お漬物で使われてるものを、おにぎりの具材にしたの」
「じいちゃんが好きなんだよね、これ」
「川添さんはお昼に来て食べていったよ」
マジでとひよりに言葉を返した琉斗は、残りひとかけになったおにぎりを口に押し込む。さすが食べ盛りの高校生、あっという間に完食するもまだ食べ足りないようだ。
「じいちゃんが食ってたからか、高菜おにぎりって大人のイメージなんだよね。初めて食った」
「大人デビューだね」
ひよりに大人呼ばわりされてちょっと気恥ずかしそうな琉斗の前にやってくるのは仏頂面の水瀬だ。
「それで? なんで嘘をついてたんです? 大人なら話してくれますよね」
水瀬に問われた琉斗はかわいらしく首を傾けて見せるも、無反応な水瀬を前にひよりに助けを求める目を向ける。
ひよりならイケメンに首を傾げられたら、物事をうやむやにしてしまうかもしれない。だが相手は水瀬だ。面倒事には毒を吐く水瀬の顔には隠すことなく面倒と書いてある。
「本当は他人が握ったおにぎりも食べれるのに、どうして食べれないって言ったの?」
かわいらしさと仏頂面で平行線をたどりそうな二人を前に、ひよりが水瀬の言葉を噛み砕いて説明する。
しょうがないと腹をくくったのか、肩をすくめた琉斗はお茶を飲み干すと口を開く。
「佐奈子さんだよ」
「佐奈子さん?」
初めて聞く名前に水瀬を見れば、水瀬も知らないようで首を振っている。
「父親の再婚相手。三十歳、大学職員」
「若いんだね」
母親というよりちょっと年齢の離れたお姉さんで通用しそうだ。
「そー。若くて綺麗で自慢の義母」
「その割にセリフが棒読みですけどね」
水瀬にため息交じりに言われ、琉斗が肩をすくめる。空になった湯呑をちらりと見た琉斗に水瀬が手を差し出し、顎で湯呑を渡すように指示する。琉斗から湯呑を受け取った水瀬から湯呑を受け取り、ひよりは熱いほうじ茶を注ぐ。
えんのおむすびセットにはお茶がつく。昼間は緑茶だが、夕方はほうじ茶に変わる。理由を聞けば福子からは「気分?」と返ってきた。特にこだわっているわけではないらしい。
ひよりから湯呑を受け取った琉斗はすぐに口をつけることなく、指先を温めるように湯呑を包む。
もしかして猫舌だったかな。
「悪い人じゃないよ。フルタイムで働いて家事して、凄いと思うんだよね。いきなり十五歳の子の義母だしね」
「でも琉斗くんは今、川添さんと暮らしてるんだよね」
「そりゃあ、親父は再婚だけど佐奈子さんは初婚だし。余計なのはいない方がね」
「そんな余計だなんて」
「いや余計っていうか夜が、ね」
琉斗は意味ありげに水瀬を見るも、水瀬におもむろに視線を外され鼻にしわを寄せる。
夕飯時、父親は仕事から帰宅していなくて義母と二人きりなので気を遣うのかもしれない。三世代同居のひよりの家では朝も夜も家族がそろっており、食事時に一人になることはあり得なかった。
琉斗は一度咳払いをすると、話を続ける。
「その佐奈子さんが家族の食事は完璧に作らなきゃいけないって考えに囚われちゃって。芸能人でいるじゃん。インスタに手料理の写真アップしてるママタレ。あれに感化されたみたいでさ。早起きして冷凍食品一切なしのお弁当作って、夕飯も市販品一切なしだよ。今時、信じられる?」