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高菜は知っている⑧

「琉斗の好物はおにぎりだと父親から聞いた母親が、おにぎりを作ったんだが拒絶されたそうだ。ばあちゃんが作ったおにぎり以外は食べられないとな」

「琉斗くん、良子ちゃんが亡くなってからは、おばあちゃんにべったりだったもんね。他人が握ったものは食べられない人もいるからね」

 福子が当時を思い出したかのように、寂しそうな笑みを浮かべる。

「そういうわけじゃないんですよね」

 ふいに声がして、現れたのは水瀬だ。

「川添さんの奥さんが入院していた時、川添さんは毎日のようにテイクアウトでおにぎりを買ってましたよね」

 川添が顔をしかめる。言われたくないことを聞かなければならないような顔だ。

「買われていたのは、しょうが焼きが多かった。それとツナマヨ。二つの共通点は?」

 水瀬を見ていたひよりは、急に話を振られて慌てる。

「カロリーが高い」

 ひよりが答えると、視界の片隅で福子が激しく頷いているのが分かる。高カロリーは女性共通の敵だ。

「まあ、そうですね。うちではどちらも若い男性の人気が高いんですが」

「言われてみれば、そうねぇ」

 福子がのんびりと答える。ひよりはそうなんだと呟く。緩んだ空気を締めるように水瀬は一度、咳払いをする。

「一方、川添さんが好まれるのは高菜。しょうが焼きやツナマヨは琉斗くんが食べる分として買って行った」

「そうだよ」

 川添は負けを認めるように、深く息を吐く。

「父親が再婚してまた琉斗の偏食が始まったようだと、ばあさんが言っていたからな。そう言っていた矢先にばあさんが入院して……おにぎりなら、ばあさんが病院に無理言って作ってもらったことにできるかと思ったんだよ。我ながら浅はかだがな」

 川添は自嘲した様子で右の口角を上げる。

「川添さん、ごめんなさい」

 福子が川添に頭を下げる。謝罪された川添はもちろん、水瀬とひよりも何事かと福子を見る。福子は顔を上げると、いつものニコニコ顔ではなく申し訳なさそうな顔をしている。

「おばあちゃんが入院した頃、琉斗くんに病院では入院患者が料理できるのって聞かれて、できないわよって答えた覚えがあるわ。湯治じゃあるまいしって」

 カミングアウトする福子に水瀬は頭痛をこらえるようにこめかみ手をやり、川添は「言わなかったわしが悪い」と福子をフォローしている。

「でも」

 ひよりが呟くと、三人の視線がひよりに集まる。うっと身じろぐものの、意を決して言葉を続ける。ここで流されて、いいですと言ってはいけない。ここにいる三人とも、ひよりを助けてくれた人たちだ。

「福子さんから聞いて、おばあちゃんが作ってくれたおにぎりじゃないってわかっても、琉斗くんはおいしいって食べてくれたんですよね」

「……孫に気を遣わせて」

「気を遣ったんじゃなくて、川添さんたちの思いやりに、琉斗くんも思いやりで応じたんだと思います」

 偏食の自分を心配する祖父母、その思いに黙って協力してくれたツヤ子と水瀬。その人たちがついてくれた優しい嘘に、琉斗は知らないふりを続けた。

「じゃあ、他人のおにぎりが食べられないってのは?」

 挙手した福子に質問され、ひよりは言葉に詰まる。

「えーっと、それは……」

 嘘をつかれていた仕返しではないだろう。それなら、なぜだ。ひよりが考えていると、水瀬が鼻で笑う。

「反抗期ですよ」

 付き合いきれないというように肩をすくめて見せると、水瀬は小上がりに腰を下ろす。

「田辺医院の次男、琉斗くんと同級生ですけど、その彼から裏を取りました」

「裏取るって……太ちゃん、何したのよ」

「しょうが焼きおにぎりで釣りました。昨日の朝、田辺くんにしょうが焼きおにぎり渡したら、琉斗くんが食いついてきたそうですよ。二個渡したので、一個は琉斗くんの胃袋に収まったそうです」

 水瀬が手を打っていたことに、ひよりはもちろん福子も川添も絶句する。

「今の話と反抗期はつながるんですか?」

「おそらくは。田辺くんにちゃんと売り込むように言っておいたので、琉斗くんは今日にでも来ると思いますよ。何せ、常にお腹を減らしている男子高校生ですからね」

 水瀬は壁に掛けてある時計を見ると、かったるそうに立ち上がる。

「遅くなりましたけど、休憩どうぞ。うちの賄いはすべてセルフサービスなので。おにぎりは厨房に置いておきました」

「あ、ありがとうございます。休憩いただきます」

 ひよりがバックヤードである水瀬家に戻る背後で、まだ呆気に取られている川添に「おみおつけ、温かいうちにどうぞ」と言っているのが聞こえた。


 夜七時を過ぎた店内は、お昼に次いで再び賑わいを見せる。仕事帰りのサラリーマンやテイクアウトのおにぎりを求めるOLが主な客層だ。

 十時から働いていた福子は夕方に帰り、ひよりはラストの二十一時まで働く予定だ。予定というのは、おにぎりやおみおつけがなくなったら営業終了になるためだ。

「ありがとうございました」

 テイクアウトで鮭と梅干しを買った若い女性が出ていくのと入れ替わりで、琉斗が入ってくる。学校指定のバッグの他に、大きなエナメルバッグを持っていることから部活をしていることは明らかだ。

「いらっしゃいませ」

 ひよりに気付いた琉斗は軽く会釈すると、周りをうかがいながらカウンターにやってくる。大人しかいない空間に高校生一人のせいか、幾分所在なげだ。

「店内飲食のおにぎりセットとテイクアウトのおにぎりがありますけど」

「座れば」

 ひよりが説明していたところに、洗い物をしてシャツを腕まくりにした水瀬が声をかける。水瀬に促されるまま、琉斗は大きなエナメルバッグを足下に押し込むと、カウンター席に座る。

 脱いだ靴をきちんと返すのといい、バッグが邪魔にならないように置くなど、ひより以上に琉斗のしつけは行き届いていると感じる。ひよりの場合、きちんとしつけられたものの成長するにしたがって本人の怠慢が勝った可能性は否定できないが。

 ひよりは飲食のお客様と同じように、温かいお茶を出す。お茶を持って行くと、琉斗の目はショーケースに並べられたおにぎりに釘付けになっている。

「ご来店ありがとうございます」

 お茶を出しながら言うと、琉斗は居心地悪そうに身をよじる。

「普通にタメ口でいいんで。知ってる年上の人に、丁寧に話されると落ち着かないんすよ」

「私、川添さんにお世話になってるので」

「部屋貸してるのはじいちゃんであって、俺じゃないんで」

 それもそうかと納得して、本人が望むタメ口に切り替える。

「琉斗くん、他人が握ったおにぎりダメだよね。おみおつけとお新香だけ、軽くお腹に収めていく?」

「あぁー、そっすね」

 琉斗が残念そうな声をあげる。その視線は恨めし気に、テイクアウト用のおにぎりが並んだショーケースに向けられている。

 ひよりに「他人が握ったおにぎりは食べれない」と言った以上、前言撤回はできないらしい。そしてさらに残念なことに、琉斗が好きらしいしょうが焼きはすでに売り切れだ。

 ひよりは賄いとしてしょうが焼きを食べさせてもらい、若い男性人気ナンバーワンである理由が分かった。

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