高菜は知っている⑥
「そういえば川添さんのお孫さんと会いましたよ。イケメン高校生ですね」
「琉斗くんね。あの子はいい子よ。川添さんがちょっと足が悪いから、よく川添さんの身の回りのこと手伝っているのよ」
「そうなんですね。お茶の淹れ方が上手でびっくりしました。おばあちゃん仕込みなんですね」
「琉斗くんはおじいちゃん、おばあちゃん子だからね」
「だから他人の握ったおにぎり以外は食べれないんですかね」
「あらっ? そうなの?」
席に着いた福子が饅頭の包みを開けながら、素っ頓狂な声をあげる。
「琉斗くんが言ってましたけど」
「川添さん、太ちゃんが作ったテイクアウトのおにぎり、よく買っていたわよ。琉斗くんのお昼用にって。そうよね、太ちゃん」
饅頭の包みを開けた福子は、ひよりにも饅頭を勧める。ひよりが饅頭を一つ取ると、今度は水瀬にも饅頭を勧める。
「川添のおばあちゃんが入院してた時だったと思いますけど、ほぼ毎日来てましたよね」
「そうそう。琉斗くんがおいしかったって言っていたって、ツヤ子さんに報告してたし。だって琉斗くんの好物っておにぎり……」
口を動かしていた福子が、その動きを止める。見れば福子が手にしていた饅頭の半分以上がなくなっている。
「福子さん……?」
まさか饅頭を喉に詰まらせたのだろうか。でも顔色はいつもと変わらないし、苦しそうな様子もない。
福子はマグカップを手に取り、口に運ぶ。飲み干し、マグカップをテーブルに置くとわかったわと断言する。
「犯人は川添さんよ」
「……何の犯人ですか?」
「おにぎりを食べていた犯人よ。琉斗くんがおにぎり大好きなのをいいことに、琉斗くんをだしに自分が食べていたのよ」
「琉斗くんをだしに使わなくても、おばあちゃんが入院したから自分が食べるためにって言えば」
「甘いわよ! ひよりちゃん」
福子がテーブルを叩く。
「長く連れ添ったおばあちゃんは病気だし、娘さんも亡くなっているしね。心のよりどころをツヤ子さんに求めたのかもしれないわ」
老いらくの恋を想像したのか福子は右頬に手を当て、ほうっとため息を吐く。ドラマのワンシーンを想像しているような福子に目を向けつつ、ひよりはこっそりと水瀬に聞く。
「川添さんって、近くに琉斗くん家族が住んでるんですよね?」
「琉斗くんの家は泉の方って聞いたけど」
福子と水瀬で異なる回答に、ひよりは首を傾げる。福子は息子夫婦が近くに住んでいると言っていたが、泉区では近くとは言いにくい。
「おばあちゃんが亡くなって、心のよりどころにしようとしていたツヤ子さんも亡くなった。老いらくの恋って切ないわ」
ひよりは何か引っかかるような気がしつつも饅頭を食べると、その上品な甘みにひっかかりが吹っ飛ぶ。
自分の世界に浸る福子と饅頭のおいしさに表情を緩めるひよりには、水瀬の「違うと思う」という呟きは届いていなかった。
えんリニューアルオープン当日、オープン時刻は午前十一時だ。ひよりは講義があるため午後からの出勤予定だったが、午後の講義は急きょ休講となった。
リニューアルオープンがなんとなく気になって福子に休講の旨を連絡すると、応援要請があったため水瀬家改め「えん」に向かう。
午前の講義を終えて、仙杜商店街に着くのは午後一時。おそらく忙しさのピークは過ぎた頃だ。自転車を引いて商店街に入ると昨日までシャッターが下りていた、えんのシャッターが開いている。
ガラス張りの引き戸の向こうには明かりが見え、商店街に面した窓にはカーテン代わりの簾が下ろしてある。簾は外からは中の様子が見えないが、中からは外の様子が見える。お客様からすれば景色を眺めながら、人の目を気にせずゆっくりと食事ができる。
店舗の横、水瀬家の前に自転車を停め店舗裏口から中に入る。あらかじめ聞いていたように厨房から一番近い水瀬家の和室で着替える。アルバイト時の服装は白いシャツと黒いパンツ、足元は歩きやすいものという指示だったため黒いスニーカーだ。それに藍色のエプロンを着用し、手洗い消毒をすれば完璧だ。
「こんにちは、青田です」
水瀬家から店へつながる廊下を歩いていると、ちょうど割烹着姿の福子が戻ってくるところだった。主婦歴数十年というだけあって、やはりかっぽう着姿が似合う。
「ひよりちゃん、待っていたわよ! お昼は」
ぐうっと空腹を告げる音が、福子の発言を遮る。ひよりではない。ひよりもお腹は空いているが、身体が空腹を訴えるほどではない。
福子はお腹を押さえると、ちろりと舌を出す。
「ごめん。おばさん、先に食べていい?」
「もちろんです。じゃあ、私は」
「太ちゃんの応援に行ってくれる? 洗い物は流しにおいてくれればいいから」
福子は水瀬家の戸棚から賄い用のお椀と湯呑を取り出し、自分のお昼を用意しながら指示を出す。
わかりましたと答え、表に出る前に一度深呼吸をする。よしと呟いて、暖簾をくぐる。
「わ……」
目の前に現れた光景に、ひよりは思わず一歩下がる。
忙しさのピークは過ぎたと思ったものの、席はほぼ埋まっている。レジがあるカウンターの前にはテイクアウト用のおにぎりを求めるのか精算待ちなのか列ができている。
そのカウンターで、あたふたしているのは水瀬だ。テイクアウト用のおにぎりを詰めるのと精算、それにお客さんにメニューを取りに行くのと一人三役をこなさなければならないようで、軽くパニックになっているようだ。
並んでいるお客さんの中には腕時計を見て、あきらかに時間を気にしている女性もいる。かっちりした四角いA4サイズのバッグにグレーのスーツを着ていることから、会社員だろうと判断する。彼女はこれから取引先に行かなければならないのかもしれない。
「テイクアウトで鮭と梅干し」
レジを打ちながら復唱する水瀬に変わって、トングをつかみショーケースから鮭と梅干しのおにぎりを取る。テイクアウト用のおにぎりと手づかみしても手が汚れないよう白いナプキンを入れる。そして三度、紙袋の開口部を折れば完成だ。
「お待たせいたしました。鮭と梅干しです」
水瀬がお釣りを渡している間に、注文を一つ完成させる。
そこでようやく水瀬がひよりの存在に気付き、目を見張る。が、そこで会話を交わす余裕もなく次は精算のお客さんが待っている。
水瀬がレジ打ちしている間に、ひよりは使用済みの食器を片付けに行く。食器を片付けて、テーブルを拭く。そして食器は厨房の流しに持って行くのが一連の流れだ。
靴は歩きやすいものと言われた理由がよくわかる。キャリアウーマンと呼ばれる女性たちはヒールで走ることもできるのかもしれないが、ひよりでは転んで食器を割る可能性が高い。
店内飲食でのみ対応しているおにぎりセットでは一人用のお盆の上にお皿に乗ったおにぎりとお新香の小皿、汁物椀、お茶がセットだ。まだ薄手のコートが手放せない東北の春では、暖かい緑茶を提供している。
お盆を片手にカウンターの中に戻り、流しに使用済みの食器を置く。
持ってきたお盆を置いて、代わりに台布巾を持って戻る。空いたテーブルを拭いているうちに新しいお客さんが来て、注文を取ってと、忙しく動き回る。飲食店でのアルバイト経験がないひよりにとっては、目の回るような忙しさだ。