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高菜は知っている⑤

 ひよりにとってはありがたいことばかりだが、ひよりが流されていることで周りに迷惑をかけているような気がして、いたたまれなくなる。どれだけ人に迷惑をかけて生きているのか。二十歳になろうとしているのに、人の世話になりっぱなしの自分に嫌気がさしてくる。

 先に靴を脱いで家に上がった男子高校生は、居間らしいところへ入っていく。彼の後を追おうと靴を脱ぐひよりの視界の片隅に、きちんとそろえられた黒いローファーが見える。かかとを潰している様子もなく、土汚れもない。

 脱いだ靴をきちんとそろえているあたり、親御さんにきちんと育てられているんだろうなと考える。ひよりは同じ年の頃、脱いだ靴はそろえなさいとよく怒られた。

 ひよりより年下の子を見習って靴をそろえ、開け放したままの居間に入る。

「こんにちは」

 恐る恐る足を踏み入れると戸棚を背に、主のようにして炬燵に入っている高齢男性の姿がある。年齢はおそらく七十代、細身だが人を射貫くような目をしており、自然と背筋が伸びる。

「青田ひよりです。この度は急な入居でご迷惑おかけしました。お口に合うかわかりませんが」

 菓子折を差し出し、畳に膝をついて両手をそろえて挨拶をする。ほぼ謝罪の態だが、ひよりの緊急入居を考えれば妥当だろう。

「構わん。人に住んでもらった方が家が傷まん。琉斗」

「今、お茶入れてるー」

 どこからか男子高校生の声がする。お孫さんの名前は琉斗というのか。

「私はこれで」

 腰を浮かせて退出しようとすると、お茶を入れてきたらしい琉斗が居間にやってくる。お盆の上には川添のものと思われる湯呑の他に、二人分の湯呑がある。琉斗はひよりが持参した菓子折を見ると、ぱっと目を輝かせる。

「これ」

「いただいたから、お出ししなさい」

「やった」

 ひよりの前にお茶を出すと、目を輝かせたままの琉斗は菓子折を両手で持ち上げてキッチンへと引っ込む。

「あれは、あいつの好きな店だ」

 川添はぼそりと呟くと湯呑に口をつける。

 腰を浮かしたものの、お茶を出されて帰るタイミングを失いお茶をいただく。

「あ、おいしい」

 熱くもなく、ぬるくもない。おいしいお茶を淹れられる高校生ってすごいんじゃないだろうか。コンビニや自販機でペットボトルに入ったおいしいお茶が買えるから、ひよりはお茶を淹れたことがない。

「お持たせですけど、どうぞ」

 ニコニコと聞こえてきそうなほどの笑顔で琉斗が再び姿を現す。お盆の上にはひよりが持参した羊羹が小皿に切り分けられ、菓子受けには柚餅子や煎餅が入れられている。琉斗はそれぞれの前に羊羹の小皿を置くと「いただきます」と言ってから羊羹を切って口に運ぶ。その顔はとろけるような表情だ。

 どうやら琉斗は羊羹が好きらしい。

「ツヤ子さんのところ、開けるのか」

 ツヤ子さん……。一瞬、誰だと思うものの、水瀬の亡くなった祖母であることを思い出す。

「そのようです。当面はおにぎりとおみおつけでやっていこうと考えているようなので、よろしければいらして下さい」

「あぁ。散歩がてら寄らせてもらうよ」

「どこに?」

 すでに小皿を開けた琉斗は菓子受けの柚餅子に手を伸ばしている。男子高校生は食べ盛りらしい。

「ツヤ子さんのとこだよ。ばあさんの友達の」

 ツヤ子さんと川添さんの奥さんは友達だったのか。これは新しい情報だ。だから急な入居でもオッケーしてもらえたのかもしれない。

「定食屋さん? 定食やるの?」

 琉斗が期待に満ちたまなざしでひよりを見る。食べ盛りの高校生は定食という言葉も好きらしい。

「いえ、当面はおにぎりと汁物で」

「おにぎりかぁ……」

 柚餅子の包みをはがしながら、琉斗は肩を落とす。

「おにぎり嫌い?」

「俺、他人が握ったおにぎり食べれないんすよ。食べれるのは、ばあちゃんのおにぎり」

 琉斗は柚餅子を口に入れると、もぐもぐと口を動かす。

 お母さんはと思うものの、店子の分際で口を出すのもはばかられて再びお茶に口をつける。

「お茶淹れるの上手だね」

「ばあちゃん仕込みだから」

 得意気な表情を浮かべる琉斗に対し、川添はやや複雑そうな顔をしているのがひよりの心に引っかかった。


 大学の講義を終えると、福子からの呼び出しで仙杜(せんと)商店街にある水瀬家へ向かう。移動手段はもちろん、福子から譲ってもらった自転車だ。商店街に入り、水瀬家の前を通るとシャッターの降りた店舗に、張り紙がされていることに気付いて足を止める。

「えん、リニューアルオープンの予定……。お店の名前、えんって言うんだ」

 リニューアルオープン予定は三日後の十一時、金曜日のお昼時だ。

 水瀬が店を再開すると言ってから、まだ一週間も経っていないのにオープンするまでが早い。これは水瀬の行動力かそれとも福子の決定力か。おそらく後者だろうと推測しながら、自転車を店舗の横、住居部分へつながるスペースに停める。

 インターホンを押すと「開いているわよー」という、福子の声が聞こえる。家主は福子なのかと思いながら、玄関の引き戸を開ける。

「こんにちはー。青田です」

「こっちー、靴持って店舗の方に来て」

 福子に呼ばれるまま「はーい」と返事をして、スニーカー片手に廊下を通って店舗へ向かう。自分も勝手知ったる我が家のように上がっていることに気付いて、ひよりは苦笑を漏らす。

 開けっ放しになった店舗へのドアから顔をのぞかせると、そこは調理場のようだ。流しやコンロの横に配膳台があり、その後ろには食器棚などが並んでいる。調理場の向こうが飲食スペースになっている。

「こんにちは」

 ひよりが顔を出すと、四人掛けのテーブル席で水瀬と福子が紙を片手に打ち合わせをしているようだ。よく見ればテーブルの上にはお茶菓子とマグカップが置かれている。ひよりの顔を見た福子は、ぱっと顔を輝かせる。

「ひよりちゃん、待っていたのよ! 太ちゃんの隣に座って、説明聞いておいて。飲み物はコーヒー? 紅茶?」

「コーヒーで」

 もしかすると水瀬以上に勝手知ったる店舗内で、福子はきびきびと動く。

「メニューはそれね。太ちゃんと私でどれだけできるかわからないから、最初はオーソドックスなメニューで始める予定。おにぎりと汁物、お新香のセットが基本。テイクアウトは当面、おにぎりだけね」

 水瀬に説明を聞くようにとの指示だったはずが、説明はコーヒーを淹れている福子がすべてしてしまっているようで、水瀬は肩をすくめて見せる。

「おにぎりは太ちゃん、汁物とお新香は私が基本的に担当するから、ひよりちゃんには接客してほしいのよ」

「接客ですか……」

 ひよりはコンビニや学内の売店でのアルバイト経験はあるが、飲食店は初めてだ。コンビニは大学の近くだったため、利用する人の多くが大学関係者だったが、飲食店は不特定多数の人が利用する。立地からしてお昼を求めに来る会社員が多そうだ。

「大丈夫よ、おにぎり選ぶしかないから。ひよりちゃんが学校の時は、太ちゃんと私だけなんだし。私たちのフォローだと思ってもらえば平気よ」

 ひよりの前にコーヒーのマグカップを置いた福子は、からりと笑う。

「新居はどう?」

「おかげさまで、快適に過ごしています」

 一人暮らしにも慣れ、特に不便なところはない。

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