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高菜は知っている④

「何から何まで、本当にありがとうございます。この御恩は」

「身体で返してもらうわよ」

「……え?」

 福子が運転する車の中で二人きり。つまり、ひよりの生殺与奪権を握っているのは福子だ。ひよりの背中を冷や汗が伝う。

 こんなに親切にしてくれたのには裏があったのか。風俗か、それともAVか。

「わ、私、ナイスバディじゃないんで。お金がないのは百も承知ですし、手っ取り早く稼げるのかもしれませんけど。けど、必ずお返しします。利子をつけていただいて構いませんから、だから、その……身体だけは」

 くふっと、福子が息を漏らす。

「ごめんなさいね。一度言ってみたかったのよ」

 ぐふふと笑う福子に、ひよりの肩の力が抜ける。助手席の背もたれに背中を預けると安心して息が漏れる。

「太ちゃんのとこ、定食屋さんしていたって聞いた?」

「はい。水瀬さんが経営者なんですよね。……得意料理はおにぎりの」

「うん。インスタント以外で唯一まともに作れるのが、おにぎりなの。そんな太ちゃんなのに、定食屋をやっていたおばあちゃん――ツヤ子さん――が先月、急に亡くなってね」

「それは……ご愁傷さまです」

「それからずっと店は閉めたまま。元々ツヤ子さんがやっていたのを太ちゃんが大学出たのを機に、経営者を太ちゃんにしてお店の管理は任せていたんだけどね。あ、私、パートで働いていたから内情知っているのよ。水瀬兄弟がオムツしていた頃から知ってるいから」

 大学を出ている以上、水瀬は二十歳を余裕で越えている。そんな水瀬を「オムツをしていた頃」から知っているということは、水瀬が福子に押し切られるのも納得がいく。

「福子さんは、水瀬さんのお母さんみたいですね」

「ありがとう。みたいに見られるならいいわ。……太ちゃんたちのご両親、亡くなっているのよ」

 福子の口調の変化に、ひよりは目を伏せる。おそらく東北にいる以上、避けては通れない話だ。

「震災ですか」

「えぇ。元々、太ちゃんたちは沿岸部にあるお母さんの実家に住んでいたの。太ちゃんはたまたま、ツヤ子さんのところに遊びに来ていてね。そのおかげで太ちゃんは無事だった。でも太ちゃんからすると、こっちにいたせいで自分だけ生き残ってしまった」

「それは……」

 ひよりは同じ宮城県内でも内陸の出身だ。震災当初は停電があったし、プロパンガスもいつまでもつかわからない不安はあった。けれど実家は農家であり、相応の広さを有する庭で火をおこすこともできたし、食べる物にも困らなかった。そして何よりも親戚一同、無事だった。

「そんな太ちゃんを支えたのはツヤ子さん。お手伝いと称して店に出して注文取らせたりして余計なことを考えさせないようにしてきたのよ。それなのにツヤ子さんも急に亡くなって、またふさぎ込みがちな太ちゃんに戻っちゃった」

 福子は運転しながら、肩をすくめて見せる。

「陽ちゃん――太ちゃんのお兄ちゃん――からすれば、太ちゃんだけでも無事で救われただろうにね。こればっかりはね」

 元気で人のいいおばちゃんというイメージが強い福子の横顔が、わずかに曇る。元気だったのは生来のものと、水瀬を勇気づけるためなのかもしれない。

「陽ちゃんも心配しているんだけど、自分だって仕事はあるし、全国転勤だし……。だから私が太ちゃんの尻を叩かなきゃいけないなーと思っていたところに、ちょうどよく運命の女神が現れたのよ!」

「女神ですか! 私も会いたいです!」

「あなたよ、ひよりちゃん!」

「そう、私……え? 私⁉」

 ひよりは自分を指さし、福子を見る。運転中の福子は、ひよりをちらりと見ると口角を上げる。

「賄い付きのバイトほしいでしょ。太ちゃん、優しい子だから困っている子を見ると放っておけないのよ。早速、店を始めるはずよ。何か言ってなかった?」

「そういえば賄い付きのバイトはうちです、と」

「ほらきた! 後で陽ちゃんに報告メールしなきゃ。新しいパート探さずに待っててよかったわー。そうそう、今朝のおはようテレビの占い、待ち人来たるだったのよー。たまには当たるわー、あの番組」

 ひよりも見ている番組をさらりと貶した福子の顔に、先ほどまでの曇った様子はない。夜道の運転で車内のライトはついていないのに、福子の顔が明るく輝いているのがわかる。

「当面は太ちゃんのおにぎりと、私のおみおつけでどこまでやれるかね。ランチタイムは戦場だから、二人で回すのは厳しいし。あー、楽しみ。おばさん、この歳になってウキウキしちゃう。若い子と働くと若返るのよねー。今夜の夕飯は太ちゃんも呼んで、うちで作戦会議ね」

 フンフンと鼻歌を歌いだす福子の隣で、ひよりは曖昧な笑みを浮かべる。

 福子の勢いに押されているのは、水瀬だけではなくひよりも同じだ。


 布団一式、ローテーブル、食器は福子の家で余っているものを譲り受けた。ついでに自転車置き場には、福子の娘が使用していた自転車が置いてある。洗濯機やレンジなどの家電はリサイクルショップで状態のいいものを、福子のツテで手に入れることができた。

 三月に単身赴任を終えて自宅に戻るお父さんたちは、家電をリサイクルショップに引き取ってもらっていることが多い。そんな情報を、ひよりは今まで知らなかった。農家に転勤はないため、サラリーマンの話は知らないことばかりで興味深い。

「一人暮らしって、初期投資かかるんだなぁ」

 布団袋を背もたれにし、ひよりはため息を吐く。

 福子のツテと援助で初期投資はかなり抑えられたものの、まとまった出費はひよりの預金通帳にかなりのダメージを与えた。当面は節約生活せざるをえない。

「大家さんにご挨拶しなきゃ」

 福子一押しの菓匠で購入した柚餅子や羊羹の詰め合わせを片手に、ひよりは部屋を出る。階段を下りて左手へ歩くと大家である川添が住む二階建ての木造住宅がある。

川添の息子夫婦は近くのマンションに住んでおり、高齢で一人暮らしの川添を心配している。マンションでの同居を提案されているが、川添は長年住んだ自宅から離れたがらず、息子夫婦と揉めている。

 もちろん入居したばかりのひよりがそんな事情を知るはずもなく、それはすべて事情通の福子からの情報だ。

 玄関の前で一呼吸し、インターホンを押す。待つこと数秒、室内でインターホンが鳴った様子も人が出てくる気配もない。もう一度押そうかと、インターホンに手を伸ばす。

「うちに何か?」

 背後から声を掛けられて、インターホンに伸ばしかけた手を引っ込めて振り返る。

 ひよりを怪訝そうに見ているのは学ランを着た男の子。斜めに流した短い前髪はヘアワックスで整えられているのか乱れもない。身だしなみに大分気を遣っている様子からして、高校生だろう。

「本日入居しました青田です。ご挨拶に伺いました」

 それだけ言うと男子高校生はわかった様子で、玄関のドアを開ける。

「ただいまー。じいちゃん、アパートの人来たよ」

 男子高校生は川添の孫らしく、勝手知った様子で家の中へ入っていく。川添は一人暮らしだと聞いていたが、孫と同居しているのだろうか。

 首を傾げていると、男子高校生はひよりを振り返る。

「入んないんすか」

「……お邪魔します」

 玄関先で菓子折を渡すだけのつもりが、思いがけず川添家へ上がることになる。川添の孫と思われる高校生に菓子折を渡して戻るという選択肢もあったのに、流されてしまう。

 流されてしまうのはひよりの欠点だ。

 深く考えず優しい友人の提案にのって居候させてもらい、親切な福子にアパートの入居の段取りをつけてもらった。おまけに水瀬のところでアルバイトさせてもらうことも流れで決まった。

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