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高菜は知っている②

 大学に進学してから住んでいたのは、親友が住んでいた賃貸マンションだ。住む部屋もないことを心配してくれた親友が、彼女の親が借りてくれたワンルームマンションで一緒に暮らすことを提案してくれた。そんな生活は三日前、彼女の母親の突然の襲来で終焉を迎えることになった。

 かわいい娘のためにマンションを借りたのであって、ひよりのために借りたわけではない。せめて家賃の半額でも払っていればよかったのかもしれないが親友の厚意に甘え、賃料なしで済ませてもらっていた。それが彼女の母親を激怒させ、路上生活をすることになった。

 非は、ひよりにある。

「太ちゃーん、……え⁉ 修羅場⁉ 太ちゃん、何してんの!」

 女性の声に顔をあげれば、居間の引き戸から顔をのぞかせた女性が驚愕の表情をしている。

「違う! 違います! 違いますから!」

「あんた、女の子に土下座させるなんて……。私、陽ちゃんになんて言えば……」

 女性は口元を覆って、その場に崩れ落ちる。

「福子さん、違いますって! ちょっと話聞いてください。……頼れるのは福子さんだけなんです」

「太ちゃんがそこまで言うなら、おばさんも知らないふりはできないわねぇ」

 水瀬の言葉に、福子は涙を拭うふりをして立ち上がる。

 福子の変わりように、水瀬が明らかにほっとした様子で息を吐く。

「あなた、名前は? 学生さん? どうしてここにいるの? 玄関に置いてあった大きな荷物も、あなたのでしょ。家出? 引っ越し? それとも自分探しの旅に出るところ? 太ちゃんとの関係は? 彼女?」

 矢継ぎ早の質問に何から答えるべきか戸惑い、ひよりは福子から水瀬へと視線を向ける。水瀬は苦笑すると、福子の肩をぽんと叩く。

「福子さん、質問はゆっくりと。困ってますよ」

「あらあら、ごめんなさいね。私、興奮すると早口になっちゃって。女同士、落ち着いて話しましょ。太ちゃん、私にもお茶。お茶菓子食べるわよー。ほら、あなたも食べなさい。せっかく入れてくれたお茶が冷めちゃうわよ」

 水瀬にお茶を注文すると、福子は勝手知ったる我が家のようにこたつに入る。ひよりも福子に促されるまま、こたつに入る。

 知らない男性宅で知らない女性と二人、どうしてこんな状況になったのだろうか。路上生活を始めたら警察に声をかけられるかもしれないと考えたが、こんな状況は想定していなかった。

 水瀬からお茶を受け取った福子は柚餅子に手を伸ばし、一つをひよりの前に置く。

「おいしいわよ。私のお気に入りだから。温かいお茶を飲んで、おいしいものを食べると心が落ち着くわよ」

 ズズッと音を立ててお茶を飲んだ福子は大きな口を開け、一口で柚餅子を半分ほど食べてしまう。福子の食べっぷりの良さに、大人しくしていたお腹の虫が再び鳴き始める。

 ――空腹でどうしようもないからじゃない。福子さんが、あまりにもおいしそうに食べるから。

 ひよりは自分に言い訳して、湯呑へ手を伸ばす。ひよりがなかなか手を付けないことを見越していたのか、お茶は適温となり、するりと喉を下っていく。

 柚餅子を口に運べば、もっちりとした触感と醤油ベースの控えめな甘さが口内に広がっていく。もっちりした生地の中に入ったクルミが、いい歯ごたえを与えてくれる。

 おいしい。お茶菓子じゃなくて、主食で食べられる。

 丸一日ぶりに口に入れた食べ物は、たった三口で胃の中に消えてしまう。温かいほうじ茶を胃に流し込み、もきゅもきゅと面白い食感を感じながらも一気に食べてしまった数秒前の自分を恨む。

 せめて残りのほうじ茶は、大切に飲みたい。

「それで? どうして、うら若き乙女が路上生活娘に変身したの?」

 福子がテーブルを使って、ひよりの元に柚餅子を滑らせてくる。福子は柚餅子を咀嚼しながら丸い顎で、ひよりの元に届いた柚餅子を指す。

 遠慮しようかと思ったのは一瞬で、空腹を訴えるお腹に負けて柚餅子を受け取る。

「ありがとうございます」

 親戚のおばちゃんみたいだ。ふくよかで面倒見がいい福子は、田舎の親戚に一人はいそうなおばちゃんだ。残念ながら、ひよりの親戚に福子のような人はいないが。

「悪いのは、私なんです」

 口を開いたら、考えるより早く言葉が出てきた。

 タダでルームシェアさせてもらっていた親友の部屋を追い出されたこと、親の反対を押し切って進学したため頼れる人もいないこと。そして、路上生活せざるを得ない状況になったこと。

 話しているうちに自分の情けなさが身に染みて、嗚咽交じりの説明になった。自分でも言っていることがぐちゃぐちゃになってきたような気はした。それでも口を挟まずに聞いてくれる福子の優しさに甘え、全部吐き出してしまいたかった。

「……よく一人でやってきたねぇ」

 水瀬と出会って今に至ることまで話すと、福子は深々と息を吐いた。

「あんた、えらいよ。うちの娘なんか『誰にも迷惑かけずに生活している!』なんて言ってるけど、『米送って』って当然のように電話してきたわよ。『最近どう?』って聞けば、『別に』って。別にって何よ」

「福子さん、血圧あがりますよ」

 娘の態度に対する愚痴でヒートアップし始めた福子に、水瀬が口を挟む。いつの間に今に来ていたのか、手にはおにぎりが並んだ皿を持っている。

 おいしそうなおにぎりだ。

 おにぎりを見て、ひよりのお腹がぐぅっと低い音を鳴らす。

「よかったら、どうぞ」

 水瀬はひよりと目を合わせることなく、皿をテーブルの上に置く。

 丸と三角、二種類のおにぎりは割と大きめで海苔がまかれている。多分、中の具も違う。おにぎりを見たせいか、唾液が出てくる。

「あら、おいしそうなおにぎり。太ちゃん、唯一の得意料理よね」

 福子が後半部分を少し意地悪そうに言えば、水瀬はバツが悪い顔をする。

「丸が梅、三角は何?」

「鮭フレークです。……市販の」

「男の一人暮らしに、焼き鮭の身をほぐしたおにぎりなんて期待しないわよ。ほら、温かいうちに食べなさい。……えーっと、何ちゃん?」

 今更ながら自己紹介をしていないことに気付き、頭を下げる。

「青田ひよりです。この度は」

「いいわよー、堅苦しい挨拶は。私は山賀福子。太ちゃんは太ちゃんね」

「……水瀬太輔です」

 福子に任せていたら、ひよりにも太ちゃんと呼ばれかねないと思ったのか、水瀬が口を開く。太輔だから、太ちゃんか。

「ほら、食べなさい。太ちゃんもお茶飲むでしょ」

 本当に勝手知った我が家だろうか。福子は魔法瓶を引き寄せ、戸棚から湯呑を取り出している。福子と水瀬で名字は違うが、福子が結婚して名字が代わっただけで、福子の旧姓は水瀬かもしれない。

 そう考えれば、福子が水瀬家の勝手を知っていても不思議ではない。ここが福子の実家なら。

「言っておきますけど、福子さんと僕は親戚じゃありませんから」

 ひよりの考えを見透かしたのか、水瀬が口を挟む。

「私は太ちゃんを息子のように思ってるわよ。もちろん陽ちゃんもね。陽ちゃんっていうのは、太ちゃんのお兄ちゃん。海保なのよね。確かパンフレットに」

 福子がテーブルの隅に置かれた海上保安庁のパンフレットに手を伸ばそうとするも、水瀬がひょいとパンフレットを取り上げてしまう。その顔は心なしか赤くなっている。

「んもう、陽ちゃんのカッコいい姿見せたかったのに」

「別に、かっこよくないですから」

 水瀬はパンフレットを手に居間を出る。階段を上る足音がする。

「陽ちゃんは、太ちゃん自慢のお兄ちゃんなのよ。陽ちゃんが出てるかもって、わざわざパンフレット取り寄せたんだから」

 福子が声を落として、秘密を共有するような目でひよりに伝える。


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