『どうしよっかな、これ』
『見上げればそこには果てしなく青空が広がっていた』
スマホをタップするのをやめ、私は目を閉じて物思いに耽る。
「ありがちな出だしだけど……『帰り道』がテーマのホラーって言っても……設定は別に『夜』じゃなくてもいいもんね」
私は趣味で小説を書いている。ずっと投稿を続けている小説投稿サイトではこの度、企画が開催されることになり『帰り道』というお題が出てからというもの、たくさんの投稿があるようだ。
私も参戦しようと、昨日からホラーを書き始めている。
「ふう」
私は薄く目を開けて、続きを書こうと、スマホをぽちぽちと片手で弾いた。
『広がる青空にはきっと、白い雲がぽかりぽかりと浮かんでいるだろうに』
殴られて腫れ上がった右目ではあまりよくは見えない……と。
『その右目からは痛みを伴った涙が、そして左目からは自然と零れ落ちる素直な涙が、ひとつ、ふたつと転がって地面に落ちていった』
よし。
『私は地獄のような家を飛び出していた。旦那が頭から血を流して転がっている、あのおぞましい家から。事件が起きてから時間はかなり経った。今ごろもぞ、もぞ、とゾンビのように動き出しているかもしれない』
はは!? ゾンビ方面でいく?? ホラーにはなりそうだけど。
『私はくすりと笑った。動き出す? そんなはずはない。旦那の頭をこれでもかとめった打ちにし、ぶちのめしてやったのだから』
ひと息ついた。
『昨日のことだった。きっかけは夕食、私がうっかりお箸を用意するのを忘れてしまうと、「おまえマジで頭わりぃーなあ!!」と、旦那が激怒、私を罵倒し始めた。けれど、いつもそれだけでは終わらない。最初に頭をはたかれる。それでも旦那の気は収まらない。「ただ生きてるだけのゴミクズが! おい! 土下座して謝罪しろ」土下座して謝っても続く、殴る蹴るの暴力。私は頭を抱えてひたすら耐える。
ふと。視線を横にずらすと、私の手の届くところにアイロンが置いてある。私は手を伸ばし、右手で掴んで立ち上がると、旦那へと突進した。振り回したら、アイロンが旦那の頭に直撃し、ゴッと鈍い音がした。アイロンはまあ重い。右手が引きちぎれそうなくらいに。私は旦那が倒れてからも、馬乗りになってひたすら殴った』
殺人事件の絡みは、ホラー小説にはありがちだ。
『やった。これで仕事は終了。はあはあと荒く暴れる息を整えて、震える足で立ち上がる。二、三歩後ずさり、倒れて事切れただろう旦那を見た。すると、どうだ。胸にすっと涼風が吹いていくではないか。サイダーを飲んだときのような清涼感と言ってもいい。せいせいした。当たり前だ。こんなクソヤロウ、死んだ方がマシだから』
んー。ホラーどこいった。これじゃ旦那のDVから逃れようとする妻の話だわ。
私はそばにある電子タバコを引き寄せて、カートリッジを右手だけで器用にセットして、スイッチをONに。
電子タバコを咥えながら、また熟考する。
ホラーなんだからね、読者を驚かせる……ってか怖がらせる準備をしていかないと。難し。
『一晩、死んだ旦那と過ごしたが、淀んだ家の空気に耐え切れなくなり、とうとう家を飛び出した。見上げた空の青が、腫れ上がった目に沁みる。けれど、これで私は解放された。私は幸せだと』
ふう。私はここまで書いて背後を振り返った。
そうだ。忘れてた。室内干しの洗濯物、まだ畳んでない。趣味ばかりを優先できないのは、主婦業の大変なところ。時計を見る。
「後でやろう」
『私はその場で立ち尽くしていた。が、ああと思い出して、左手の結婚指輪を外そうとした。左腕を上げ……』
「痛っ」
『だらんと下げていた腕には、これ以上力が入らない。旦那に土下座を強要されたとき、腕を掴まれて引っ張られたから、肩が脱臼したのだろう。その後、左腕に蹴りを入れられる。これでもかというくらいガンガンやられたから、骨も折れているような気がしている……』
少しふるっと悶える。
『私は、なんとかして動く右手で指輪を引っこ抜き、足元の側溝へと投げつけて落とした。愛を誓い合ってからもう10年。我慢を強いられてから丸9年。長かった。けれど、これで奴隷生活からは解放される……』
ふわあぁとあくび。文章考えていると、なんで人って眠くなる?? 電子タバコをOFFにして、テーブルにことりと置いた。
「どこからどうホラーにしたらいいのこれ??」
失笑。再びスマホと向かい合う。
『「たっちゃん、ごめんね。お姉ちゃんは殺人者になってしまいました。お母さん、せっかくシングルで一生懸命に育ててくれたのにごめんなさい」』
微妙なセリフ!! やめよ。
『「……帰ろう」』
うん。帰ろう。帰らないと話が進まない。死んだ旦那を絡めないと!!
『帰り道。スマホをポケットから取り出して、110を押した。青々とした大空を見上げて、私は「夫を殺しました」と告げる。そして、折れた左腕を庇いながら、私は家へと戻る』
「その帰り道のことはよく覚えていない……けれどポケットの中に入れてあった電子タバコのスイッチを右手でONにしたところまでは、記憶があった……と、……よし。今日はこれくらいにしよう。眠いわ、限界」
畳の上、折り曲げていた両足を伸ばす。
「あ。しまった。お題、『帰り道』だった。やっぱ家に帰る前に、主人公をゾンビに仕上げないとな」
序章は書いた。ここからが腕の見せどころだけれど、その先の展開はまだ考えていない。
「ちょい昼寝しよ」
私は、のそっと立ち上がり、そして、「どうしよっかな、これ」と呟くと、ごろりと横たわっているどす黒い物体を足で踏みつけ、跨いでから寝室へと向かった。