1話 黒猫と女
春休みの最終日、父さんに掃除を頼まれて離れの小屋に向かった。
古びた一軒家の横に併設された小屋には、さまざまなガラクタが眠っている。
よくわからない銅像から変な巻物。子供の頃は気分を高める遊び道具だったが、今はただの荷物でしかない。
窓を開けて埃を逃し、持ってきた道具で掃除を始めた。
掃除の途中で、足元に転がっていた丸められた掛け軸を手に取る。
この部屋のものをいくつか売れば掘り出し物が出てきそうな気もするが、ここにある骨董品のほとんどは幼き頃に僕の一人遊びの犠牲になっている。
それはこの掛け軸も同じで――
「……なんだ、これ」
子供の頃に描いた好きな動物の落書きも、見たことのない母親の絵もそこにはなかった。
あったのは【穴があっても近寄るな】と書かれた文字だけ……。
気味が悪くなり、掛け軸を放り捨てると逃げるように外に出た。
「久遠、 ちゃんと掃除してくれた?」
父親である空木征一が聞いてくる。
日課のトレーニングを終えたのか額から滴り落ちるほど汗が流れていた。
父さんは今から風呂に入ろうとしていたようで、シャツを肩にかけており、彫刻のような綺麗な筋肉があらわになっている。
切り揃えた短髪はすごい乱れ方をしており、相当な速さで走ってきたことがうかがえる。
……落書きが書きかえられていて怖くなって逃げてきました、なんて言い訳じみた言葉など言えるはずがなく、今日は疲れたから明日やるよ、と誤魔化すことしかできなかった。
『本日、新宿で発生した神隠しには八人もの被害者が出ています。幸い、民間企業の白船が早急に対応することができ、全ての人を救出することができました。救助者は現在病院で──』
ニュースを聞き流しながら、昼ごはんを食べ終えると散歩がてら外に出た。
東京都、足立区あけび町、そこに僕の家はあった。
田舎ではないが、栄えてもいない。
住みやすいいい町だ。
近所のおばさんに挨拶をかわしながら歩みを進め、コンビニで軽食を買ってからすぐ近くの公園へ向かった。
綺麗に剪定された木々を抜けると、青いベンチが見えてくる。
ここはあまり人が寄りつかない特等席で、幼いころは友達とよく休憩しにきていた。
ベンチで横になり、鳥の声を聞く。
やがて微睡みに落ちていった。
がさがさ聞こえる物音で目を覚ます。
音のする方向に目を向けると――
「食べちゃ駄目だ!」
コンビニで買った袋の中に手をいれると、真ん丸と太った黒猫が入っていた。
脇を持たれた黒猫は食い意地が張っているのか、足をぷらんとさせながら、咥えた揚げ物を一心不乱に食べている。
「体に良くないから、猫は人間の食べ物食べちゃ駄目なんだぞ……」
食べずに置いていた僕に落ち度があるので、びっくりしないように優しく語りかける。
注意を受けた黒猫は満足そうな顔をして……。
『大変、美味じゃった。褒めてやる』
猫の口から発せられた人間の言葉に、思わず手を放してしまった。
猫は空中で華麗に体を捻り……頭から地面に落ちる。
「――猫が喋った? まだ寝ぼけてんのかな?」
『おのれ、ぷりちーなわしをぞんざいに扱いおって……』
猫は怒りで毛を逆立てる。
僕は人間の言葉を喋る猫に何も言えずに固まっていると、黒猫は不機嫌そうに顔を背けた。
『……まあ、いいじゃろう。大人の女は度量も広い。腹も満たされたんで、これくらいの無礼は水に流してやる』
「えっと、君は何者? どこかに通信機でも付いてんのか?」
再び猫を持ち上げて確認しようとするが、今度は流れるような動きで避けられる。
『やめろ、無礼者! わしが何者だって? 答える義理はないな。だが、そうじゃのう……一飯の恩義じゃ、一つ占ってやる』
「占いとか信じないタイプなんだ、僕」
ちなみにクリスマスや初詣にも同じ考えでいる。
一緒に行く相手がいないだとか、そんな理由で嫌っているわけではないが……。
『いいから黙って聞け! あの程度の供物じゃと、そうじゃな……お主、女難の相がでておるぞ』
黒猫は僕の目を真っ直ぐに見てそう告げた。
「……女難か」
僕には物心つく前から、母親がいない。
神隠しにあったのか、はたまた家出してしまったのか分からないが、物心つく前にある日突然いなくなってしまった。
近場で神隠しの反応を調べてもらうも引っかからず、最終的には行方不明者として処理されたらしい。
思い起こせば小学校、低学年。
クラスの友達と誕生日プレゼントを渡し合っていた頃……。
『くおんくん、誕生日プレゼント何が欲しいの?』
『この前、蝉の抜け殻が歩いてるやつ見つけたんだ。それやるよ!』
『お花で髪飾り作ってあげようか?』
同級生の質問に頭を捻り、僕が出した答えは……。
『お母さん!』
『え?』
ポカンとみんなが口を開ける。
それも当然だろう。少なくともみんなにとっては母親は欲しがるものではないのだから。
しかしこの時の僕はそんなことも分からなかった。
『だから司ちゃん、僕のお母さんになってよ』
気持ちが悪かったのか、お願いされた女友達は泣き出し、僕の純粋なお願いは黒歴史に刻まれることとなった。
その後異変に気がついた先生が駆け寄ってきて、事情を説明したのだが、話が話なだけに怒ることもできず、困ったような顔で頭を撫でられた記憶がある。
それからというもの、女の子に話しかけることに抵抗を感じるようになり、仲の良い女友達以外自分から話すことがなくなった僕に女難か……。
さてはあの黒猫、エセ占い師だな、なんて心の中で失礼なレッテルを貼っていると、上から不自然な物音が聞こえて顔を上げる。
視線の先には小さな一軒家があり、傾斜の緩い屋根の上には……女が一人立っていた。
反射的に携帯を取り出さなかった僕を誰か褒めてほしい。
女は白衣に身を包み、腰まである美しい白髪が風に揺れていて、深窓の令嬢と評してもいいくらい美しい……体が半透明なのを除けばだが。
幽霊は写真に映るんだっけ? 鏡に映らないのは吸血鬼の伝承か?
頭の中で嫌な考えが巡り、固まっていると半透明の女が視線を下ろしたことで僕と目が合ってしまう。
一目散に走って逃走する。
憑かれませんように、化けて出ませんように。
心の中で信じてもいない神様にお願いをしながら、息も絶え絶えに家路についた。
「……さっきのはまさか?」
女が遠ざかる久遠の後ろ姿を見て呟く。
しばらく屋根の上で考えこむと大きく跳躍し、街の中に消えていった。
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