王太子はざまぁされたくない!
バタフライエフェクト
――蝶が羽ばたく際の風のように、わずかな変化を与えると、その後の状態が大きく異なってしまうという現象。
使い方が合っているのか文系の俺には確証が持てないが、まさに今、実感を伴ってこの言葉が浮かんできたことは間違いない。
わずかな変化によって人生を左右する大きな選択肢が与えられた。破滅か天国か。瞬間的に思い出したあらゆる情報を精査した上で言葉を選ばなければいけない。
なんせ既に言葉は放たれた。何も言わないという選択肢は存在しない。数秒前の愚かな自分を殴りたい。
破滅の舞台が整ったのは、ほんの数分前の出来事だ。
隣には金髪に青い瞳の愛らしい少女を侍らせて、後ろには4人の見目の良い貴族子息を引き連れて、卒業パーティーの壇上に上がったのは、ある目的のためだった。
「ソフィア・フォン・アンセン公爵令嬢。貴女は――」
言いかけたところでパリンとグラスの割れる音がした。視界の端に青ざめる使用人が映る。常のパーティ会場ではあり得ない失態だ。給料の減額はもちろん解雇もありえる程の失態。しかしながら今回ばかりはむしろボーナスを差し上げたい。
なぜなら、そのおかげで全てを思い出したからだ。
前世は少しばかり要領が良く、そこそこ成績も良いよくいる営業マンだった俺は、交通事故で死んだ。過労ということも無ければ、誰かを救ったわけでもなく、信号無視の車に突っ込まれて死んだ。日本中にありふれた悲しい死の一つになってしまった。
そして俺はこの最悪な状況にすぐに気がついた。状況把握は比較的得意な方ではあるが、それでもあまりにテンプレで、気がつかない方がおかしいだろう。お客さんに勧められてから何作か読んだこの展開、悪役令嬢がざまぁするタイプの世界に転生している。
何が最悪かって、ざまぁされるのが王太子である俺だろうということだ。
ざまぁされないパターンだったら、今俺はこんな壇上にいかにもヒロイン顔の女生徒と共にいないだろう。
「セド?」
余りに長い沈黙に耐えかねた金髪ヒロイン、リネット嬢が可愛らしく袖をひく。うーん、可愛いらしいが前世は女子高生に手を出したら捕まるような年齢だ。あんまり可愛らしすぎると幼く見えて心動かされない。どうせなら、と目の前の年齢よりも幾許か年上に見える銀髪美女に目をやった。うん、成人すればこちらの方が好みのタイプだ。
いやいや、それどころではなく。
この状況を逃れるために俺が選ぶべき言葉はなんだ?
咳払いをして僅かに時間を稼ぐ。
「ソフィア・フォン・アンセン公爵令嬢。貴女を愛している」
ベストアンサー。これしか無いと判断した。
「は?」
と低い声を出したのはソフィアでは無く、横にいたリネット嬢。ソフィアも声にこそ出していないが大きく見開かれた目は驚きに満ちていた。
会場も同様に驚きでざわめいている。そりゃそうだ。ほんの先程まで、俺はたしかにリネット嬢に骨抜きだったし、婚約破棄をしようとしていた。多くの子息令嬢達は薄々それを勘付いていただろうに、急な公開告白である。
リネット嬢の腕を解いて壇上から降りる。真っ直ぐソフィアの元に向かうと跪いて手を取った。
「事情があったとはいえ、寂しい想いをさせてすまない。詳しいことは後日話すが、私が貴女を愛していることは覚えていてくれ」
もちろん事情なんてない。幼馴染で婚約者のソフィアと結婚することへの漠然とした退屈と慢心を、リネット嬢に上手く転がされたに過ぎない。
しかし、これが悪役令嬢転生ものなら確実にリネット嬢になんらかの瑕疵が見つかるはずだ。全力でここにかけるしかない。
もしくは同じく誑し込まれた4人を生贄にするかだ。
「......全て理解しておりますわ」
銀髪赤眼のキツめの美女は、唐突な婚約者の言葉に関わらず、完璧な返答を寄越した。才色兼備、間違いなく自分の好みはこちらだと改めて頷いた。
納得するかしないかでは無い。損得で考えたソフィアが条件付きではあるもののこちらの話に乗ってくれたことにほっと息をつく。全て理解、の言葉の重みについては後で考えることにしよう。
そして、既にヒーローが登場している物語で無いことを切に願おう。王太子がざまぁされる場合、婚約破棄されてから出会うタイプと、昔から側にいる男性がヒーローになるタイプがあるが、前者であることを願うばかりである。
この一部運任せな詰めの甘さは、営業成績そこそこ止まりな前世を彷彿とさせるが仕方がない。この土壇場ではよくやっている方だろう。博打を打たなければいけない瞬間は人生に何度かある。今世のそれは間違いなくここだ。ちなみに前世のそれは、卒業旅行で行ったマカオでのブラックジャックだ。
「皆も騒がせて悪かった。引き続き楽しんでくれ」
ポカンとする壇上の5人とざわめく子息令嬢を置いて、自分はサッサと会場を後にする。この騒動が陛下の耳に入れば怒られるだろうが、廃嫡にまではならないはずだ。しかし、それも時間の問題。リネット嬢にかまけていた事情とやらを、ソフィアの納得する形で示さなければ。
学園に与えられた王族用の執務室に入るなり、机に積まれた仕事を見て眩暈がした。3ヶ月、リネット嬢に熱を上げて仕事を疎かにした期間だ。
「シリル、いるか?」
「久しぶりに呼ばれましたね」
幼馴染で側近でもある宰相の息子シリルは、慣例で身分を隠して俺の側仕えとして学園に通っている。リネット嬢を口説く俺を何度も諌めた結果、煩わしくなって仕事を押し付けていた。
当然、シリルには言い訳は通用しない。
「悪かった。俺がどうかしていた。正気に戻ったんだ」
「王になる気が無くなったのかと思いましたよ」
冷ややかな口調に改めて置かれた状況の厳しさを実感する。
「勝手なのはわかっているが、どうか手伝ってくれないか?それとも、もう俺には愛想がつきたか?」
前世でも同僚のおじさん相手に頼み込む時に使った上目遣いを投入する。男同士でも年上なら意外と効くんだよな。使い所が大事だが。
「......殿下の勝手は今に始まったことではありませんから。殿下にお仕えすることが私の仕事です」
「ありがとう!シリル」
「急ぎの仕事は仕分けております。話は一先ずその後に伺いましょう。手伝ってほしいことは仕事のことでは無いのでしょう?」
さすがシリル。仕分けられた急ぎの仕事から手をつける。王太子とはいえまだ学生、それほど難しい案件は無い。外交上のやり取りや、国内貴族の、陛下に上げるほどではないが早急に何とかしてほしい案件が主になる。
マルチタスクは得意な方だ。サクサクと書類に目を通していく。
その中のいくつかに気になる共通点が見られた。
「シリル、地図を出してくれ」
複数の貴族から上げられた不満は怪しげな薬物の流出についてである。毒性は無いが依存性があり、摂取すれば幸せな気分になるが、効力が消えると異常な解脱感や不安感に襲われると。街の民たちに流行りつつあり対策を急いでいると。ある程度調査された複数の貴族からの情報を繋ぎ合わせると、俺には物凄く都合が良い事実が浮かび上がってきた。
「ゴートン子爵はリネット嬢の父親だったか?」
「ええ。市井にいたリネット嬢を母親が亡くなったため引き取ったと記録されております」
「俺の正気じゃ無かった、は比喩では無いかもしれないな。これを見てくれ」
報告に上がっている薬物が流行り始めている所領は全てゴートン子爵領に隣接している。にも関わらず、ゴートン子爵からは何の報告もない。
「薬物の蔓延にも気付かぬほどの愚鈍、という可能性もあるが、いずれにせよ調査隊を派遣した方が良いだろう。陛下と宰相に報告書を記す。第3部隊を動かす許可を取ってきてくれ」
「恐れながら、報告書は私の方で記しております」
シリルの有能さにつくづく許して貰えて良かったと思う。しかし、気がついていたのなら何故俺に報告しなかったのだろう。遠ざけていたのはたしかに俺だが、内容が内容だけに報告があっても良いはずだ。
シリルは涼しげな目元をそのままに、恐るべきことを口にした。
「本日、もしも殿下がソフィア様に婚約破棄を告げられたら、ソフィア様にお渡しする手筈になっておりました」
「......!?」
「ソフィア様が先にお気づきになられたのです」
「そ、そうか。......お前......」
ソフィアが好きなのか?と、合っていても間違っていても問題になる言葉を口走りそうになって止める。
二人で協力して、リネット嬢と俺を断罪する準備をしていたとなると、ヒーローはシリルなのだろうか。
そういう目で見ると、黒髪碧眼の涼しげな美貌、やけに筋肉質な体つきも、側仕えかと思いきや次期宰相というサプライズ設定もヒーローっぽく見えてくる。
何より、この『ちゃんと調べればリネット嬢の瑕疵に気がつける』位置にいて、気がつかなかった俺と対になるところまでストーリーが見える。
これ、俺が気がついたから恋は始まらなかったりするのかな。でも大概ヒーローは悪役令嬢が婚約破棄される前から好きだったりするよな。
チラリと見上げる俺に、感情の読めない顔で首を傾げる。
「いや、助かった。時間が惜しい、確認するから報告書を見せてくれ」
「かしこまりました」
「あとは、リネット嬢が俺や4人の子息たちにその薬を盛った可能性を探りたい」
「......恋心は薬物のせいだと?」
「いや、これでも王族だ。平民や半端な貴族のように、中毒になったり依存したりはしていないだろう。俺の不徳の致すところだ。ただ、言い訳させてもらえれば判断力は多少鈍った自覚がある」
さすがに退屈の1点だけで恋に溺れるほど安い地位ではない。何かしら後押しする要因があるとは思っていた。
「そうですか。......ソフィア様には、どのようにお伝えするのですか?」
探るような目線。これは恋敵を見る目なのか?それとも、未来の王として相応しいかを見極められているのか?
お前には関係ないと一蹴するのは簡単だが......。
「ソフィアが求めているのは真実では無い。もちろん愛の言葉でもなければ言い訳でもない」
「つまり?」
「ソフィアの、アンセン公爵家の面子が立つ形での事態の収束だ。ゴートン子爵領は大した特産物も無いが隣接するアンセン公爵家にとっては、他領との緩衝地となる便利な場所だろう。今回の件をソフィアが気がついたとしてソフィアが王妃になった際に王妃直轄地とする」
「王妃になった際に、ですか」
どちらかわからない反応だなぁ。一応、釘を刺しておくか。
「シリルが心配する通り、ソフィアが納得しなければ俺の廃嫡は免れない。逆に、陛下が俺の失態を正しく把握されていてもソフィアが納得すれば無かったことになる」
「ええ」
「だが、今ソフィアに、アンセン公爵家に下賜すれば誰がどう見ても取引だ。その辺りはグレーにしておかないと王家の威信が揺らぐ。今回の件はあくまで調査のためにリネット嬢に近付いた、ということにしたい」
だから事件が落ち着いた頃なら、愛する妻に名誉を与えたい、という形で小さな所領を与えることは然程問題にはならない。
「そこまでお考えでしたら、私から申し上げることはありません」
依然として、ソフィアに好意があるのか無いのか読み取れない表情で頭を下げる。俺では彼の真意を汲み取ることは難しそうだ。
「ああ、報告書も助かった、手配を頼む。それと」
シリルに頼んでいいのか?と迷ったのは一瞬で。真意はともかく、信頼できる男であることに間違いは無い、と言葉を続けた。
「ソフィアに、金の台座にサファイアのアクセサリーを一揃え用意してくれ」
「金にサファイアですか?」
「結果が出るのに今しばらくかかるからな。ソフィアにはこれで通じる」
幼馴染だ。彼女の聡明さは十全に理解している。差し出したメッセージカードを見て、同じく優秀なシリルもまた頷いた。
『名誉を貴女に』
「セド、どういうことなの?」
リネット嬢を呼び出せば4人の男たちも付いてきた。学園とはいえ王太子の呼び出しに、堂々と取り巻きを連れてくるのだから改めて考えると舐められたものだ。
「どう、とは?」
「あの日、ソフィア様と婚約破棄をして、私との婚約を発表するって言っていたじゃない!」
「ああ、今日呼び出したのはその件だ」
チラと後ろの男たちに視線をやる。下がるよう意図したつもりだったが、意識的か無意識にか、彼らに下がる気配は無い。
今や彼らにとってリネット嬢は王族の命を無視しても優先すべき存在のようだ。
「陛下に相談したら、まずは仕事を片付けてからだと言われてしまってな。何よりも君を優先したいんだが、今後の二人のことを考えたら、わかってくれるだろ?」
「陛下が私たちのことを認めてくださったの!?」
おや、認められないだろうことがわかるだけの判断力はあったのか。そうなると陛下に会ったタイミングで例の薬を使うつもりだったのだろうか。
リネット嬢の質問には、ニコリと王子スマイルで押しておく。笑顔でなんとかなるんだから、イケメンは得だよな。
「一日も早く君といるために、頑張る俺にご褒美はないのか?」
「ああ、いつものクッキーね!もちろんあるわ!」
ニッコリ天使の微笑みで、差し出されたクッキーを包んで懐にしまう。
「......いつもみたいにその場で食べないの?」
「実は時間が無くてね、少しでもリネットに会いたかったんだ。後で味わって食べるさ」
君のことを思い出しながら。
そっ、と耳元で囁くと、耳を真っ赤にしてリネット嬢がコクリと頷いた。怪しげな薬を使っていながら随分と初心なものだ。
さて、シリルは上手いことやっただろうか。
「殿下、どういうことですか?」
執務室に戻る途中、月光のように透ける銀髪を靡かせて、細い腰に手を当てたソフィアに声をかけられた。
眉間に皺が寄っている。
「どう、とは?」
先程と異なり、本気で何のことかわからず曖昧な微笑みで返す。
「......あの娘と、また逢ってらしたのね」
俯き気味にそう呟く彼女に、あの贈り物はまだ届いていなかったかと腑に落ちた。
「貴方に特別な贈り物をするための下準備中なんだ」
「特別な贈り物?」
年相応に不思議そうな顔をする彼女はまだまだあどけない。手を出そうと思えるのは数年後だろうな、などと不純なことを考えながら、ソフィアの髪を一房掬ってキスをした。
「まだ秘密、だが、ヒントは君にプレゼントした。楽しみに待っていてくれ」
一瞬顔を真っ赤にした後、すぐに平静を取り戻す。ソフィアらしからず取り乱した様子を見せたのは、まだ俺のことを好きでいてくれるからだと、自惚れても良いのだろうか。いや、ソフィアが前世を思い出したタイプなのか、巻き戻ったタイプなのかわからないが、最悪な俺を知ってしまっていることに違いは無いのだ。あまり期待しすぎないでおこう。
「......私の気が変わらないうちに、お願いしますわ」
無理して勝ち気に振る舞う様子は微笑ましくて、ニコリと笑って頷いた。
「セド、本当に陛下が認めてくださったの?」
あの日と同じ会場で、重大発表があると貴族の子息令嬢を集めた。リネットにもとうとう陛下がお許し下さったと呼び出している。許されたのは公の場でのリネットへの断罪だが。
後ろに控える4人の令息たちは、少し前に薬を抜いて正気に戻している。それぞれ最初に惹かれるには何らかのきっかけがあったのだろうが、薬を盛られたという事実は恋心を冷めさせるに十分な事実だったのだろう。
今日の準備に快く協力してくれた。
「行こう、皆が待っている」
リネットからの問いかけには答えずに、笑顔で壇上へと向かう。居並ぶ子息令嬢は何事かとこちらを見上げ、正面に立つソフィアは不安の残る表情だ。
あの時とは違い切り札が無い中でそこにいるのは気が重かっただろうに。信じてくれた健気さに胸が締め付けられる。
「皆に改めて聞いて欲しいことがある」
困惑の中、リネットだけが期待に胸を膨らませ喜びの表情を隠しきれずにいる。薬を盛られたとはいえ、衆人環視の中で未成年の少女を吊るし上げるのは胸が痛むが。
「ここ最近、怪しげな薬が出回っている。被害に悩んでいる領地の者もいるだろう」
ガバと勢いよくこちらを見上げる彼女の顔を見ずに続ける。
「ソフィア・フォン・アンセン公爵令嬢、彼女が最初に気がついたおかげで最悪の事態は防がれた。ここにいる高位貴族の子息、そして王太子である私はゴートン子爵令嬢によってその薬を盛られていた。救ってくれたアンセン公爵令嬢に心からの礼を」
目を丸くしたソフィアが、すぐに納得の表情で綺麗なカーテシーを披露した。
「臣下として当然のことをしたまでです」
臣下として当然のように俺をざまぁしようとしていた悪役令嬢は、優雅に微笑んだ。さすが、リネット嬢とは役者が違う。
「セド、何かの間違いよ!アンセン公爵令嬢の陰謀だわ!」
「ゴートン子爵令嬢、私はその呼び方を許した覚えはない。婚約者よりも気安く呼ぶのだ、君は王太子よりも上の立場になったつもりか?」
「そんな、どうして!!」
言いかけた言葉を呑み込んで、はっ、と短く息を吸い込んだ。
「セド、いえ......殿下、これまでの不敬はお詫び致します。しかしどうして私が薬などを用意できましょうか」
取り乱したのも一瞬、すぐさまより重い『王太子に毒物を盛った』という事実を否定しにかかる辺り、リネット嬢の頭は悪くないようだ。薬など使わなくても、王太子や中枢の大貴族を狙わなければ、高位貴族の子息など楽に籠絡できただろうに。
「シリル」
「は、こちらに」
「......それは何ですの?」
シリルが掲げた小瓶を見ても、動揺を隠してあくまでシラを切る。
「君の部屋にあったものだ。巷で出回っている薬と成分が一致した、そしてこれも」
クッキーを彼女に見せる。
「いつも目の前で食べるように言っていたな。こちらにも同成分が検出された」
「私の部屋に殿下が来たことなど無い筈です。王族の方がご自身の醜聞を隠すために、一子爵令嬢を貶めるなど許されることでは無いわ」
実際、リネットの反論は中々効果的だ。先日リネットを呼び出した際に、シリルを忍び込ませたが、まだ容疑者段階である貴族令嬢の部屋に無断侵入は、あまりに外聞が悪い。しかし、もちろんそれを潰す台詞は用意している。
「不敬もここまで行くと、賞賛を贈りたくなるな。この小瓶はゴートン子爵の逮捕に伴って、調査隊が君の部屋を捜索した際に押収された物だ」
逮捕、の言葉に会場がざわりと揺れた。
本当の時系列は逆だ。リネットの小瓶を見せてゴートン子爵の自白を引き出した。
「会場には私と君の仲を誤解している者も多いだろうから、事情の説明のために調査隊には外で待ってもらっている」
切羽詰まって逃げ出そうとした彼女を、4人の子息が確保する。その瞳に火が灯るのではないかと思うほど苛烈な色は一瞬で、瞬きの後に大粒の涙が頬を伝った。
「どうして、私たちは愛し合っていたはずでしょう」
跪いて涙を流す彼女は余りにも美しくて、これは不味いと判断した。美貌は、不遇な状況になるほど強く輝く。
「ソフィアが気がついた薬物の調査のために共にいただけだ。私が君を愛したことなど一度も無い」
会場の同情が彼女に集まる前にと、ソフィアに寄り添い肩を抱いた。
「今も昔も、私の愛は彼女のものだ」
言って、唐突にフラッシュバックしたのは幼き頃の記憶。それは余りにも鮮烈で、前世の自分が完全に融合する感覚。どこか他人事だった現世の自分が戻ってくる実感に、眩暈がする程だった。
初めてのお茶会で、背伸びをしたすまし顔の美少女。まるで天使のようだと、どうか婚約者にして欲しいと陛下に泣きついたのは俺だ。
彼女が薔薇を好む理由が、俺の紋章だからだと知って愛しさに胸が詰まった日のことを。共に国を良くするために努力しようと誓い合った日を、どうして忘れていられたのだろう。
何故か日に日に冷たくなるソフィアに、理由も尋ねず勝手に疎遠にしておいて。退屈だなんてよく言ったものだ。愛した女に嫌われることが怖かっただけだというのに。
「ゴートン子爵令嬢を捕らえろ」
外に控えていた調査隊に命じて、ソフィアを連れて会場を後にした。
「殿下、殿下?」
手を引いて歩く俺に、戸惑いながらかソフィアが声をかけた。無心で歩いていたら、中庭に着いていたようでハッとする。
「すまなかった」
「......それは何に対してです?」
勝手に連れ出したこと、では無いことぐらいソフィアもわかっている筈だった。
「......殿下を廃嫡しようとしたこと、謝罪するつもりはございませんから」
「ああ」
ソフィアの顔を見たら胸が詰まって言葉が出ない。こんな気持ちを忘れていられたなんて、物語補正だとしか思えない。
「言い逃れのためとはいえ、あんなこと、皆の前で言って良かったのですか?」
「あんなこと?」
「あ、愛してる、だなんて。あんなこと皆の前で言ってしまっては、私と婚約破棄できなくなりますよ」
「待ってくれ」
「心にも無いことを......言うものでは......あら、待って」
ポロポロと瞳から流れ出した涙を慌てて手で拭う。次から次へと流れる涙に堪らなくなって、思わずソフィアを抱きしめた。
振り返ってみれば、本当に彼女を好きだと思っていた時から、俺は一度もその愛を伝えたことがない。
贈り物とその地位で、十分に伝わっていると思っていたんだ。そんな訳がないのにな。
「愛してる。本当だ。初めて見た時からずっと」
「嘘。だって薬物の件がある前からゴートン子爵令嬢と一緒にいたわ」
「怒らないで聞いて欲しいんだけど、リネット嬢と一緒にいると君がこちらを見てくれるから」
初めは、そうだった。いつの間にかリネット嬢の側を離れることが出来なくなっていたけど。
「......贈り物も一度も直接いただいたことはありません」
「すまなかった。だけど毎回君に似合うと思って俺が選んでたんだ」
「そんなこと、言われなくてはわかりませんわ」
「そうだな。本当に、その通りだ」
ヒック、としゃくり上げるソフィアの背をそっと叩く。
「デートだって誘われたことはありませんし」
「公務で十分デートになっていると思ってたんだ」
「不粋すぎますわ」
「返す言葉もない」
腕の中で拒むように入っていた力が少しずつ抜けていく。
「どんな事情があっても、今回のことは許しません」
「ああ」
「私が嫉妬からゴートン子爵令嬢に嫌味を言ったのは事実なのに、愛してると言えるのですか」
「君が嫉妬してくれて嬉しいよ」
「......まるで人が変わったみたいだわ」
「俺も、生まれ変わった気分だ」
腕の中から見上げるルビーの瞳に、吸い込まれそうになる。
「愛してる。二度と間違わない。もう一度だけ俺と共に歩んでくれないか?」
真摯な言葉は必ず相手に届く。どんな営業マンも必ず胸に持っているこの言葉を、今ほど祈る気持ちで唱えたことはない。
「もう一度だけですわ」
泣いたことが恥ずかしいのか口を尖らせて。その表情があまりにも愛おしくて、頬にキスをした。
「ありがとう、ソフィア。大好きだ」
不意打ちに言葉も出ずに顔を赤らめて、俺の胸に顔を埋める姿が愛おしくて。
いつの間にか増えていた人に、恥ずかしくなったソフィアが押し退けるまで抱きしめていた。
そして後日談。
ゴートン子爵は領地を没収され、お家を取り潰し。その罪の重さから親子共々絞首刑となった。
子爵の領地は、当初の予定通り結婚後にソフィアの王妃直轄地となる予定だ。
「それは、デートの時にする話ですの?」
初めて私的なお茶会を開いたものの、何を話して良いかわからず、例の件についてことの顛末を伝えたところ、呆れた目を向けられた。
仕方ないだろう。改めて意識したら何も会話が思い浮かばないのだから。
など、恥ずかしいことはとても言えない。
「ソフィアは、デートでどんな話をされると嬉しいんだ?」
「考えたこともませんわ、私も人生初の......デートですもの。殿下の方がお詳しいでしょう」
頬を赤らめつつ、嫌味を織り交ぜて優雅に紅茶に口をつけた。
「愛する人とのデートは俺も初めてだから、緊張しているんだ」
照れるソフィアも愛おしくて、その手を握る。前世には彼女がいたこともあるが、なんとなく、流れでそんな付き合いばかりで続いたことはなく、独身のまま死んでしまった。
元カノとデートでどんな話をしていたかなんて最早思い出せない。
ぽん、と赤くなったソフィアは、何度か口を開いたり閉じたりした後、むむむ、と眉間に皺を寄せた。
「そうですわね、リファ地区の水害対策とかでしょうか」
捻り出した解答が、俺と大差が無くて思わず笑ってしまう。
「何です!そんなに笑わずともよろしいではありませんか」
先ほどとは違う意味で頬を赤く染め、憤慨する彼女に「すまない」とまだ笑いが収まらないまま手を上げた。
「いや、良い話題だ。この上なく私たちに相応しい。そうだな、ソフィア。二人で良い国にしよう」
「......当然です。わたくしたちの国ですもの」
柔らかく目を細め、いつかの二人を思い出す紅の瞳はどこまでも美しかった。
end
長編をお休みしていたので、リハビリに短編を制作しました。
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需要がありましたら、ソフィア視点と、シリル視点も書きたいと思います。