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七話

 ある朝、廊下を歩いていると後ろから腕を掴まれた。振り向くと谷口が立っていた。

「谷口くん? 何か用?」

「俺さ。上村に好きになってもらえるように、もっとサッカーも勉強も頑張るよ」

 驚いて目が丸くなった。まだ諦めていないのかと、少しどきりとした。

「いや……。でも」

「立派になったら、俺と付き合ってくれる?」

 まっすぐに見つめられて戸惑ったが、ぶんぶんと首を横に振った。

「谷口くんは私じゃなくて、マネージャーの子と付き合った方が幸せだよ。こんなに頑固な性格の私なんか可愛くないし、せっかくの青春なんだから」

「あのさ。それってすでに好きな奴がいるってことか?」

「好きな人?」

「うん。好きな奴がいるなら、誰にもバラさないから教えてくれないか?」

「いないよ。とにかく谷口くんにはマネージャーの子がお似合い。きっとあの子も悲しんでるだろうし、私もそっちの方が嬉しいな」

 ふっと無意識に笑みがこぼれた。衣緒の穏やかな表情に、谷口はがっくりと項垂れた。やっと諦めがついたのか、黙ったままくるりと振り返り走っていった。ほんの少し罪悪感が生まれたが、これでいいのだと衣緒も歩き出す。お互いに明るい気持ちで過ごすためには、この選択が正しかったのだと自分に言い聞かせた。それに何より、別れを告げられたマネージャーが哀れで仕方なかった。恋に落ちて心も体もふわふわと飛んでいたのに、衣緒のせいで奈落の底に突き落とされてしまった。また天に昇る毎日に戻してあげたい。とりあえず問題は解決した。谷口が嫌いなわけではないが、二人で会話をしているところを見られたらどうしようと心配していたので、ほっと息を吐いた。

「……私に好きな人か……」

 先ほどの言葉が蘇る。衣緒に好きな男などできるのか。現在は新田亘紀に憧れているが、実際に会ったことがないため曖昧な状態だ。ただの妄想でしかないので、すでに中年男性かもしれないし女性だったなんてこともある。佳苗の言う通り、イケメンと付き合うなんて奇跡でも起きない限りありえない。

 教室に入ると、雅美が近づいてきた。

「はい。これ」

 プレゼントのようだ。驚いて首を傾げる。

「何?」

「バレッタだよ。衣緒って髪長いのに、いつもヘアゴムだけじゃん。もったいないよ」

「バレッタ?」

 確かにゴムでまとめてサイドテールにしている。おしゃれに興味がなく、バレッタなど頭の中に浮かばなかった。雅美が選んだのは、ピンク色のリボンの形をしていた。とても女の子らしく一目で気に入った。

「ありがとう……。とっても素敵だね」

「お店で見かけて、絶対に衣緒に似合うと思ってね。喜んでもらえてよかった」

 友人想いで心優しい雅美に胸が熱くなる。柔らかく微笑み、大事に鞄にしまった。

 ただ、使い方がわからないので練習に苦労しそうだ。家に帰って鏡とにらめっこをしながら頑張っていると、望海がやってきた。

「あれ? どうしたの?」

「雅美がプレゼントしてくれたの。うーん……。けっこう難しい……」

「お母さんが付けてあげるよ。ほら、貸して」

「ご、ごめん」

 どきどきしながら望海にお願いした。一分もかからず、衣緒の髪にリボンの花が咲いた。

「うわあ……。可愛い……」

「でしょ? ようやくわかったんだね」

 けれど衣緒はバレッタが可愛いという意味で言ったのだ。未だに自分の良さはどこにもないと思っている。

「雅美にお返ししなきゃ。今度、ケーキ奢ってあげようかな」

「いいね。お母さんも嬉しいよ」

 頭を撫でられ、えへへと頬が赤くなった。

 とはいえ、外に出ようとすると緊張してしまう。結局、翌日もヘアゴムのみで学校に行った。少し残念そうに雅美が声をかけてきた。

「バレッタ、付けてこなかったの」

「遅刻しそうだったから。それに走ってる時に落としたら最悪だもん」

「じゃあ、鞄の中に入れて置いて学校で付ければ?」

「失くしちゃうかもしれないし……」

 みんなの前でおしゃれな格好をするのが恥ずかしいと答えられず、しどろもどろになる。そのまま雅美は黙り、申し訳ない気持ちで衣緒も俯いた。

 よくよく考えたら、衣緒はこれまでにメイクをしたことがない。雅美たちはそれなりに美容について知っているが、衣緒は彼氏が必要ないのでそういったことに疎い。年頃の女子なのだから少しは自分磨きをした方がいいかもしれないが、お金も使うし面倒だと思ってしまう。それに衣緒が着飾っても誰が見てくれるというのだろう。どうせ私は可愛げがない、融通が利かないと自信も持っていないので、どんな褒め言葉もお世辞としか聞こえない。




「ねえ、お母さん」

 夜になって、望海に話しかけた。

「ん? どうしたの?」

「お母さんって、男の子にモテたんだよね? メイクやおしゃれはしてたの?」

「そこそこはね。あんまり派手なメイクは逆に嫌われるから、ナチュラルメイクってやつ」

「ふうん。もしメイクしてなかったら、モテなかったのかな?」

「さあ。それはわからないけど。何? 衣緒もメイクしたいの?」

「ううん。そういうつもりで聞いたんじゃないよ。私はやっぱり彼氏ほしくないから」

「もしも新田亘紀が現れたら、衣緒はどうするの?」

 じっと望海が見つめてきた。どきりとして冷や汗が額に滲む。

「新田亘紀が?」

「万が一、新田亘紀が恋人になりたいって言ってきたら、その時は彼女になるの?」

 どう答えたらいいのか躊躇してしまう。そっと目を逸らして、曖昧に返した。

「うん。ただのイメージでしかないけど、あの人はチャラくもエロくもないよ」

「チャラくもエロくもなければ、そこら辺にいる男の子とも付き合えるんじゃないの?」

「私は、新田亘紀の世界観が好きなの。普通の男の子には、あんな世界は生み出せないよ」

「そう。衣緒にとって新田亘紀は特別な存在なんだね」

「もちろん。あんなに素晴らしい作品が書けるんだもん。私をいじめっていう地獄から救い出してくれた、大切な人だよ」

 ある意味、命の恩人と呼んでもいいくらいだ。暗い世界に突き落とされた衣緒に手を伸ばして助けてくれた神様。新田亘紀がいなかったら、衣緒は死んでいたかもしれない。

「救い出して……。まあ、そんな感じだね」

 ふう、と息を吐き望海は口を閉じた。これ以上続けても仕方ないと諦めたようだ。衣緒も自分の部屋へ行き、もうすぐで終わる小説を読み始めた。 

 一つの物語が終了した。バッドエンドで、涙がぽろぽろと流れた。彼の作品は、ハッピーエンドでもバッドエンドでも必ず感動する。しばらくは心に穴が開くが、いつまでも立ち直れないというわけではなく、むしろすっきりと明るくなれる。

「いいなあ。新田亘紀……。恋人同士になれたら……。叶わないけど」

 こぼれた涙を拭い、本を胸に抱いてベッドに横たわった。

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