十四話
ようやく手帳ができあがった日、知理子がある人物について騒ぎ始めた。
「みんな知ってる? 皇誠高校から、モデルが生まれたらしいよ」
「皇誠?」
衣緒が目を丸くすると、佳苗が付け足した。
「お金持ちしか入れないっていう学校。聞いたことない? めちゃくちゃ勉強難しいってことで有名だよね。特に理数系。あたし数学が得意だからお母さんに皇誠行けって言われたけど、絶対に受かるわけないって諦めたんだ」
「佳苗でも無理なの?」
「しかもとなりの駅の学校だし、通うのも大変だもんね」
雅美も詳しく説明してくれる。友人想いでありがたい。
「となりの駅じゃ、さすがにわからないや。で、その学校からモデルが誕生したんだ」
「そう。スカウトだって。どうやったら声かけてもらうんだろうね。あたしもモデルになりたいっ」
「モデルになった人の名前は?」
「ええと……。早乙女くん。下の名前は不明」
「ふうん……。ずいぶんと可愛い名前だね」
少し馬鹿にする口調で佳苗が言う。むっとする知理子を抑えるために雅美がフォローした。
「まあまあ。早乙女っていう男の子はいっぱいいるでしょ。早乙女くんの写真はないの?」
「まだ見つかってない。けど、絶対に写メ撮るつもり。あ、その前に雑誌で見れるかも」
モデルならファッション誌に載る可能性も充分あり得る。衣緒はそういう本は一切読まないし買わないので、いつまで経っても早乙女の姿はわからないだろう。
「これから早乙女くんのこといろいろ調べてみる。楽しみに待ってて」
知理子は胸を張って言い切った。
「モデルにスカウトされるとか本当にあるんだね」
雅美が耳元で囁く。衣緒も同じ気持ちだったので頷いた。
「どういう姿形をしてると、スカウトされるんだろう?」
「まず、かなりのイケメンじゃないとだめだね。さらに背が高くてスラリとした体つき。筋肉もそこそこついてるといいかも」
「そっかあ」
男嫌いな衣緒には、全く興味の沸かない話だった。
トラックにひかれそうになった夜から、しばらく経ちだんだんと記憶が薄れてきている。謎の男子も二度と再会しないんだしさっさと忘れてしまえばいいが、衣緒を護ってくれた命の恩人ではあるので、お礼はしたい。名前も顔も知らないので出会うすべはどこにもないが。
「そういえば」
ふとあることに気が付いた。衣緒はこれまで男子と手を繋いだり触れ合った経験が一度もなかった。しかし彼には腕を掴まれ、おまけに抱きつくような体勢になった。衝撃でいちいち気にしていられなかったが、今思い出すとあそこまで距離を縮めたのは初めてだ。
「背が高くてスラリとして、筋肉もついている……」
少し触ったくらいではわからないが、あの謎の男子もそんな体型だった。ということは、もしかしたら彼もイケメンと呼ばれる人間かもしれない。
もやもやとしていたある日、また知理子が騒ぎ始めた。早乙女の下の名前がわかったらしい。
「創汰くんだって。早乙女創汰。男っぽくてかっこいいね」
「ふうん。そうなんだ」
「イケメンは名前までイケメンなのね。次は写真だけど、なかなか現れないから難しいよ」
「どこに住んでるかは知らないの?」
佳苗に聞かれ、知理子はこくりと頷いた。
「うん。ただ、超お金持ちらしいけど。めっちゃ広いお屋敷みたい」
「そんなお屋敷なんか見たことないけどね?」
雅美が目を丸くする。衣緒も同じ気持ちだった。
「もし建ってたら記憶に残るもんね。よし、今度は早乙女家を探してみる」
かっこいい男と距離を縮めるためなら努力を惜しまない知理子を、すごいと心の中で尊敬した。衣緒は興味がないため時間の無駄だと感じている。もしこれが新田亘紀だったら、衣緒も頑張るだろう。
数日後、また知理子が早乙女創汰について話した。
「噂だけど、文武両道で眉目秀麗。他校の子からも告白されてるみたい。すごいよね」
「へえ……。確かにすごいけど……」
「あたし、皇誠に転校したくなっちゃった。もちろん彼女になれるわけないけど、目の保養になるじゃん。ああ……。どうしたら会えるのかなあ」
目の保養だけで満足なのか。恋人同士になれなくてもいいのか。憧れの人と同じ学校に通うなら、何が何でも彼女になろうと努力するべきだ。衣緒は早乙女などどうでもいいため三年間ずっと未波で過ごすつもりだ。黙りこくっているのに気付いた雅美が、そっと声をかけてきた。
「少しは知理子のおしゃべりに付き合ってあげようよ。ぶすっとしてると可愛くないぞ」
「最初から可愛くないもん」
「衣緒は可愛いよ。もっと自信持ちなよ」
「じゃあ、どうして男にモテないの? 可愛かったらモテるでしょ」
「その頑固な性格が災いしてるの。ほんのちょっとでもいいから、心の中を柔らかく暖かくって意識してみる。難しいかもしれないけど、それだけでコロッと惹かれる男もいるかもよ?」
「いつも言ってるじゃん。私は彼氏がいらないって。いやらしいことされたくない。裏切られて捨てられたくない。雅美だって嫌でしょ?」
「それは嫌だけどさ。みんながみんな、そういう人じゃないよ?」
「私の人生は私が決める。私はこのまま生きていくよ」
融通が利かなすぎて、雅美は俯いた。聞く耳持たずな友人にうんざりしたようだ。女の子らしくない。可愛げがない。けれど衣緒は別に構わないのだ。
「早乙女創汰ねえ……」
一体どういう漢字かわからない。ひらがなで「さおとめそうた」と生徒手帳に書いてみた。あまり聞かない名前だ。そういえば新田亘紀も変わっていると感じた。「こうき」はよくあるが、漢字が珍しい。また、こうきは高貴とも読めるので、とてもお金持ちなイメージがした。そして早乙女創汰もお金持ち。本当に羨ましい。叶わない夢だが、新田亘紀と結婚すれば衣緒もお金持ちに仲間入りできるのに。
しばらくして、雅美がマネージャーに彼氏ができたと教えてくれた。先輩で谷口よりずっと頼りがいのありそうな男らしい。
「そっか。今度は裏切られたりしないかな?」
「大丈夫じゃない? 優しそうな人だったよ」
「なら安心だね。あんな奴と別れて幸せになれてよかったよ」
「あたしも早く幸せになりたいな。知理子と同じで、イケメンと恋人同士になれたらな」
「難しいよ。もし会えたとしても、すでに彼女いるのがほとんどだから」
うーん……と雅美は俯いた。悩んでも答えは見つからないが、衣緒は黙って見つめていた。