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十話

 ある夜、珍しく夢を見た。行ったことのない知らない場所に、一人で立っている。ここはどこなのか。どうしてこんなところへ来たのか。全くわからない。

「誰か……いないの?」

 掠れた口調で呟く。しかし返事はなく人の気配も感じられない。

「お父さん、お母さん……」

 そして一歩踏み出した瞬間、周りが暗闇になった。

「うわあっ」

 後ずさると、遠くからとどろきのような恐ろしい音が鳴り響いた。どしん、どしんと巨大なものが転がっているようだ。

「な……何?」

 ぼそっと独り言を漏らす。すると音はぴたりと止み、また始まった。それだけではなく、こちらに迫ってくる。ずっと衣緒を探していたが、ようやく居場所がわかったというイメージだ。

「こ、来ないでっ」

 慌てて叫び逃げようとしたが、指一本動かない。見えない縄に縛り付けられているのだ。

「だ……誰か……。助け」

「衣緒、起きなさいっ」

 望海の声が聞こえて、はっと我に返った。心配そうな表情で望海が見下ろしている。

「お、お母さん……。わ、私……」

「ものすごく汗かいてるよ。どうしたの?」

「汗?」

 額に手を当てると、全力疾走した直後のように汗がにじんでいて、パジャマもぐっしょりと濡れていた。

「悪夢でも見たの? すごく苦しんでたよ」

「さあ……。覚えてない……」

「具合がよくなかったら学校休んでもいいよ」

「悪夢なんかで休んだりしないよ。高校生なのに笑われちゃう」

「本当? 無理してるんじゃないの?」

「とにかく平気だから。心配しないで。それより、さっさと支度しなきゃ」

 望海はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、黙って朝食を作り始めた。

 いつも通り学校へ走っていくと、雅美たちが集まってきた。

「おはよう。衣緒、前よりも足速くなってない?」

「え? そ、そう?」

「あたしも実は気づいてたよ。やっぱり鍛えてると速くなるんだね。あたしも毎日走ってたら、速くなるかな?」

「知理子は頑張ってもだめでしょ。運動神経ゼロだし」

「もう、佳苗ちゃん。また馬鹿にしてえ」

「こらこら。朝から喧嘩しないの」

 三人のやり取りを眺めながら、意外な自分の成長に驚いた。さらに、これはただのお世辞ではないというのも、体育の時間に知った。突然、教師から声をかけられたのだ。

「上村。ちょっと。50m走のタイム計らせてくれ」

「別にいいですけど」

 答えて勢いよく走った。教師はにっこりと笑って、衣緒の肩を掴んだ。

「すごいな。女子で一番の速さだよ。もし興味があったら陸上部に入らないか?」

「すみませんが、家が遠いので部活には入れないんです」

「ええ。もったいないなあ。今までいろんな生徒のタイムを計ってきたけど、上村ほど速い女子はどこにもいなかった。ぜひとも入ってもらいたいのに」

 たぶん教師は、部室の雰囲気を華やかにしたくて勧誘しているのだろう。陸上部は男だけで女はいない。衣緒が入ると、パッと空気が柔らかくなる。

「気持ちは嬉しいですが、帰りが遅くなったら母が心配します。どうかわかってください」

 素早く言い、これ以上は付き合っていられないと後ろを振り返って逃げた。

 教室に戻り椅子に座ると、雅美たちが聞いてきた。

「何してたの?」

「50m走のタイム計ってたんだよ。で、陸上部に入れって」

「え? それじゃ帰りが」

「断ったよ。すごく悔しそうだったけどね」

「しょうがないよね。ママが送り迎えしてくれれば、入部できたかも」

「やめてよ、知理子。私が男嫌いだって忘れちゃったの?」

 苦笑いして話すと、そういえばという表情に変わった。

「そっか。衣緒ちゃんにとって最低最悪の場所だ」

「うん。地獄に落ちるのと一緒。家が近くても絶対に嫌だよ」

 雅美と佳苗も頷いた。特に雅美はよく理解しているので、何度も頷いていた。




 体育の教師はすんなりと諦めてくれたが、謎の悪夢は翌日も翌々日も続いた。恐ろしい轟音はだんだんと激しさを増し、がたがたと体が震え始める。目が覚めると全身が汗で濡れていて、望海にも迷惑をかけてしまう。

「ちゃんと早寝早起きしてる? 疲れがしっかりと取れてないんじゃないの?」

「そんなはずないと思うけどな」

「遠慮しないで、辛かったら言いなさいよ。学校も休んだっていいからね」

「大丈夫だよ」

 毎日同じ内容の会話ばかりしていて気分が悪くなってくる。もっと明るくて楽しいおしゃべりをしたい。

「ねえ。みんなは悪夢って見たことある?」

 『ミント・ルーム』でお茶を飲んでいる時に聞いてみた。三人は不思議そうな顔つきで答える。

「悪夢? あたしはないなあ」

「というか、夢なんていつまでも記憶に残ってないでしょ」

「衣緒ちゃんは見たことあるの?」

 うん、と頷き衣緒は悪夢について細かく説明した。

「どうして悪夢なんか見るようになったの?」

「知らないよ。私が教えてもらいたい」

「最後の轟音って何だろう? 例えると、どういう音に似てる?」

「うーん。巨大なものが転がってる……みたいな」

「で、衣緒を追いかけてくるんだよね?」

「そう。私は逃げられずにその場に立ってて、もう少しでぶつかりそうな時に起きるの」

「うわあ……。確かに悪夢だな。それは」

「衣緒ちゃん、可哀想。ママも心配してるよねえ。いつまで続くのかな?」

「さっさと終わってほしいよ。ぐっすり眠りたいのに」

「……もしかして、意味があるのかも」

 ふと雅美が呟いた。雅美は占いや神様などを信じていて、そういった本も好んでよく読んでいる。

「夢に意味なんてある?」

「だけど、何回も同じものが繰り返し出てくるってことは、衣緒に伝えたいメッセージかもしれないよ。その轟音も、油断してると危ないよって警告してるんじゃ」

「まさか。雅美ってそういうの大好きだよね。けど意味なんてないでしょ」

 逆に佳苗は占いを一切信じないので、呆れた口調で言い切った。衣緒は黙ったまま俯き、知理子は首を傾げていた。

 結局、解決できずに家に帰った。ドアを開けると望海の姿はなかった。湯を沸かし風呂に入って、疲れと汚れを洗い流す。あがると望海はソファーに座っていた。一応、意見を聞いておこうと質問してみた。

「夢に意味があるかって?」

「雅美が、そうじゃないかって。お母さんはどう思う?」

「そうだねえ。はっきりとは答えられないけど。ただ、夢って本人の頭の中で強く感じているものって、どこかで知ったなあ。例えば、悩んでたり不安だったりする気持ちが、悪夢に変わるらしいよ」

「私、悩みも不安も一つもないよ?」

「そうだよね。だから困っちゃう」

 子供の問題は親の問題でもある。やはり解決はせず、お互いにため息を吐いてがっくりと項垂れた。

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