STEP:10 母
静香に『さん付けはやめてほしい』と言われたりで満たされた日々を過ごす中、声キモのwikiにも一周年乱立カオス祭りのテンプレなどができてきた。
避難所では連日この祭りに関するレスが飛び交っている。
今日は日曜日にも関わらず、母親は家にいる。
今日は月末という事で給料が入るし、パートが休みの日は昼頃には出かけると予測している。
それがいつものパターンだからだ。
何をしに出かけるのかは知らないが、毎週休みの日は昼にはいなくなる。
そして帰ってくるのは20時を過ぎた頃に帰ってくる。
こういう日などはお金があるからこそ、どこかで遊んでるんだと思っている。
こういう日は、静香とも母親がいなくなるまではチャットをしている。
会話に集中できないし、聞かれたりもしたくないからだ。
しかし、今日は俺が遅く起きたせいもあるのか静香はオンラインではなかった。
オフラインの静香に話しかけても、メッセージが送信できない事から本当にオフラインだと分かる。
避難所の企画会議室などを眺めていると、ドアの前で足音が止まったのが分かった。
キーボードの手を止めて息を殺す。
何故だか分からないが、そうしてしまう。
すると、ドアをノックしてきた。
「勇気君...あのね...起きてる?」
話しかけてきといて『起きてる?』とは意味不明だ。
俺が起きてる事が分かってる上で話しかけてきたくせに、一々腹が立つ。
「今日、お給料が入ったの。それで私も休みだし、たまには外でご飯とか食べたりできないかな? たまには外に出るのもいいと思うの」
返事をする義務など無い。
それに返事をする気も無い。
何が狙いだか分からないが用件だけ言ってさっさと消えてほしいものだ。と、思うのがいつもの事なのだが、静香と話して優しい気持ちになっているのか、思わず返事をしてしまった。
「は? なんで?」
返事をした瞬間に、『しまった』と思うと共に急激な焦りに襲われた。
「1年ぶりに勇気君の声聞いた... 知ってる? もう1年経ったんだよ?」
1年経った?
一瞬分からなかった。
しかし、パソコンの日付を見て思い出した。
「実は勇気君には言わなかったけど、5日にお墓には行ったの。けど、やっぱり勇気君も誠さんに会いに行ってあげた方がいいと思うの。 私のいない時に行ったならいいんだけど...」
「行ってないよ。父さんの墓の場所知らないし」
「そうだよね。だから、行かない? ずっと勇気君に言おうと思ってたんだけど、勇気が出なくて言えなかったの。でも、今日で4月が終わっちゃうから...」
父さんの墓...
確かに行くべきだと思った。
しかし、今更、母親にどんな顔をして会えばいいのか分からない。
「私と一緒じゃなくてもいいんだよ? 行くなら一人でもいいと思うの。 ただ、誠さんに会いに行ってあげてほしい。 誠さんも勇気君に会いたいと思うから...地図書いてくるね」
「いいよ」
「いいって? 行ってあげて」
「だから行くよ。一緒に行くなら地図なんか要らないじゃん」
「え...! うん。じゃあ、お洋服持って来るね」
嬉しそうな母親の声を聞いた時、少し心が楽になった様な気がした。
ただ、墓に行くだけ。
ただ、それだけなのに...
それだけで嬉しいと思うとは思わなかった。
しかし、洋服って何だ?
洋服なら部屋にもあるのに...
「ここに置いておくね。着替え終わったら降りて来てね。私も準備しとくから」
階段を降りる音を聞いて、ドアを開けると、そこにはスーツが置いてあった。
しかも3着も置いてあった。
いつの間に買ったのだろう... そんな事を思いながら黒地のスーツを着て居間に向かう。
母親は化粧台の前で化粧をしていた。
久しぶりに見る母親の化粧をしている姿。
「ああ。ごめんね。すぐ終わるから」
「別に...」
化粧を終えて、鞄を持って鏡の前で回る様に自分の様子をチェックし終わると母親は笑って言った。
「さすが高校生。やっぱりスーツもよく似合うね。行こっか」
「ああ」
玄関に行くと新品の革靴まで置いてあった。
俺が靴を履く様子をまじまじと見てる母親の視線に少し焦る。
靴を履いた瞬間に
「ああ。良かった。古い靴のサイズで買ったから合わなかったどうしようって思ってたの」
「ああ。そう...」
とにかく嬉しそうだ...
その様子に、少し悔しいが嬉しい様な楽しい様な不思議な気持ちになった。
本当は俺も笑っても問題無い事なのに、何故か素っ気ない態度をとってしまう。
プライドというか、恥ずかしさみたいな気持ちなんだと思う。
久しぶりに外に出た...
父が死んだのと同じ季節なのに、少し外の風景が変わっている事に驚いた。
それだけ自分が家から出ていないという事だ。
静香は食事の買い出しなどで外出したり、洗濯物を干す時にも外の風景を見る事があると思う。
しかし、俺は全く外を見なかった。
バス停まで歩く中で、母親は何かを決意した様に話しかけてきた。
「誠さんのお墓まではバスで一本だから、私と一緒じゃなくても行ってあげてくれると嬉しい。 結構ね、勇気君に話しかけるのって緊張しちゃうから...」
「ああ。そう... 別に普通でいいよ」
「う、うん。 でも、スーツも着れて良かった。 勇気君が私に会いたくないのは分かってるつもり。だからね、お休みの日にも家にいない方がいいと思って図書館に行ったりしてたの。 でも、お店とかも八時には終わっちゃうでしょ? だから、それまでに御夕飯も済ませてくれたかいつも不安だったの。 でも、いつもゴミ箱とか台所にお昼と夜の分くらいの食べた跡を見て安心してたんだ。 それで、いっつも図書館じゃつまらないからお洋服屋さんとか行く事にしたの。 こういう時の為にスーツとかも必要かと思って作っておいたんだ。 太ったりしてなくて、本当に良かった」
そんな事を笑顔で言われるこっちの身にもなってもらいたい。
正直、泣きそうなくらい...
正直、自分を殺したくなるくらいに悔しくて...嬉しかった
そして、申し訳なくて今にも泣き出しそうだった。
「前に、冷蔵庫の中に入れて置いたリンゴが腐っちゃった時は『失敗したな...』って思った。 私はリンゴは好きじゃないけど、『勇気君が食べたかったらどうしよう...』って勝手に考えて買ったの。 パソコンしながら食べるなら丁度良いかと思って... 勇気君がリンゴ嫌いって知らなかったから...」
「別に嫌いじゃない...よ。 ただ、静輝さんが食べると思って食べなかった」
「あ、そうなんだ... ははは... じゃあ、今度から『勇気君の』って書いておかなきゃね」
しばらく、互いに目をそらしたまま時間が過ぎた。
「私ね。色々なお店に行く度に思った。『よく考えたら、私は勇気君の好きな物も、好きな色も、好きな服も何も知らないんだな』って。前はいつも誠さんとお出かけしてもんね。何も聞いておかなくて、ゴメンね」
そんな話をしてる間にバスが来た。
バスに乗ると動く景色を見ながら、父の運転してくれる車からの風景を思い出す。
父が運転席にいて、色々な事を話しながら俺はいつもサイドガラスからの景色を見てた。
静香と話す時も同じ、父の話す内容なんてどうでも良かった。
ただ、学校の事を忘れていられる時間と、父が自分を大切に思ってくれてる事が嬉しかった。
窓の外に同級生の姿が見えても、『車の中だから大丈夫』『きっと父が守ってくれる』と思っていられた。
車の中、そして父がいるその空間こそが一番の安らぎの場所だったのだ。
「あ。高校生。部活かな...? 勇気君のところと同じ制服だね」
返事ができるわけがない。
『そうだね。嫌味かよ』とでも言えばいいのか?
そんな事を思っていると、母親は俺の顔の前に手を伸ばして、停車ボタンを押した。
その顔の前に乗り出された母親は、少しいい匂いがした。
母親の匂い...とでも言うのだろうか...
バスから降りて少し歩いたところに墓地があった。
そこを迷う事無く歩いて行く母親を見て、何度も来てるんだと思った。
墓石には『森 誠』そして『森 美輝画』と並んで刻まれていた。
母親は鞄から煙草を取り出すと加え始めた。
ライターを両手で持っている様子からして慣れてるわけではなさそうだ。
煙草に火を点けると、咽せながら線香立てに刺した。
「煙草って、美味しくないよね」と微笑む。
花はまだ活き活きとしていて、最近も来ていた事が分かる。
鞄から新聞を出して火を点けて、線香を赤くする。
何本か受け取ると、俺も線香立てに刺した。
母親が手を当てて目を閉じてる様子を見て、俺もそうした。
俺は静輝さんとどうしたらいい?
静輝さんに迷惑ばかり掛けてて、本当に自分が嫌だよ。
父さんの所に僕も行きたい...
そんな事を思っていた。
目を開くと、母親はこちらを見ていた。
「誠さんとお話しできた?」
「そんな事、できるわけねぇじゃん」
「ふふふ。じゃあ、帰ろっか...」
「ああ」
「きっと、誠さんも美輝画さんも喜んでるよ。」
「どうだか...」
墓地を出てバス停に着くと、しばらく待つ事が分かった。
なんとも気まずい。
「私が死んだら... 私が死んだらさ、誠さんの所に行ったら怒る?」
「は?」
「同じお墓に入ったら怒る...よね... そしたら、勇気君入りたくないもんね...」
「べ、別に...」
「え?」
「勝手にしろよ。 ...今は俺の母親だろ ...父さんと一緒の墓でもいんじゃね? ...静輝さんが入っても入らなくても... 俺が死んだらあそこの墓に入ると思う」
「入っていいの?」
「入っていいか?とか、いい加減にしてくれよ! 俺の為にゆっくり休みもしないで出掛けたりとか、自分が要らない物買ったりとか、そんな話しもやめろよ。迷惑なんだよ。聞いてるこっちの事も考えろよ...」
もう...限界だった。
こんな優しくて、俺に気を使ってばかりの静輝さんを見てるのは辛かった...
「え? ...ごめんなさい」
「謝ったりするなよ... ずっと、静輝さんの事が嫌いだった。 色々と悪い様にばっかり考えてた。 けど、そんな事無くて... そんな静輝さんに対する自分がどんどん惨めになるんだよ。 静輝さんは母さんよりも長く一緒に俺といるんだから、もっと母親面してればいいだろ... 俺は母さんの事は殆ど覚えてない。 けど、静輝さんの事ならなんとなく分かるよ。 それって、静輝さんが親って事だろ ...大事にしてくれてたのは嬉しいよ。 ...本当にごめん」
俺は泣いてた...
もう我慢できなかった。
「ありがとう...」
そう言う静輝さんも泣いてた。
俺にハンカチを渡してくれて、向こうを向いた。
バスが来ても乗れなかった。
ただ、嬉しくて悲しくて悔しくて
涙が止まらなかったから...