外伝18 辺境伯領・その後 2
「レディ、このような夜更けにいかがなされましたか?」
辺境伯領で過ごす最後の夜。静かな夜だった。
目をつむっても落ち着けず、そっと部屋を抜け出した先でバルコニーにいるアーサー様とグエンダイク様を見つけた。
「眠れなくて……お2人は、こちらで何を?」
テーブルの上には栓の開いたワインと飲みかけのグラス。
「酒盛りだ」
「月を眺めておりました。今宵はとても見事ですので」
重なった回答は全く反対の内容で、思わず笑ってしまう。
「そうですね。お酒を飲むのにぴったりの、とても、美しい月の夜空です」
深い青。
海の底みたいに、悲しみも苦しみもすべてを深く沈めてくれそうな。
夜警の足音もなく、辺りには時間からも切り離されたような深沈とした静けさだけが漂っている。
「ワインはいかがですか? フォーロマン産のように高級なものではありませんが……」
「ありがとうございます。ですが、家から絶対にお酒は口にしてはならないときつく言い渡されておりますので……」
貞操云々以前の問題なのだ、と父と兄から繰り返し言われている。
意味は分からなかったが、あの時のとても真剣な2人の顔はいまだに忘れられない。
「醸造家の娘の言葉とは思えねーな」
くくっと低く、グエンダイク様は笑う。その一瞬の音ですら、しみるように深く響く。
「では、こちらをどうぞ。果実酒と名はついておりますが、酒は入っておりませんので」
うっすらと桃色に濁った飲み物は、口にすれば柔らかな酸味と甘みが舌の上に広がっていく。果実というよりは乳酸飲料に味が近い。
しばし、それぞれがグラスの中身を堪能する。
本当に静かな夜だ。
何もかもが、嘘だったみたいに。
「お2人は仲がおよろしいのですね」
交わす言葉の中に気安さというものが感じられる。
今こうして飲んでいる間柄にも。
「腐れ縁だ」
「王立学園で同級生であったのです。彼はすぐに中央教会に、私は<狼の門>に参りましたが……」
そういえば、以前から疑問に思っていた。この柔らかな雰囲気なら尋ねてもよさそうだ。
「つかぬ事を伺いますが、なぜ、グエンダイク様は教会へ?」
「俺か? ……べつに司祭になりたかったわけじゃあない。魔法ってのは知っての通り、繊細なバランスが必要だ。俺みたいなのが力を有効に使うには総本山で学ぶのが手っ取り早かったってだけだ」
繊細なバランス、そのようなものが必要だとは知らなかった。
ただ魔力の扱い方と呪文さえ理解していれば、ローズですら魔法は使えていた。
ローズの魔力では、土を少し掘り起こすとか、土を少しかぶせるとかゲームでもその程度しかできなかったけれど。
「ブロッサムってのはどうもそういうのが苦手だからな。兄貴は光の加護だが、治癒を使わせてみろ。太くなっちまうぞ、調整がきかねーから。さすがに破裂するとかはないだろうが……」
「もし、万が一私があなたのご家族の前でケガをしても、治療は結構です」
すかさず告げたアーサー様に同意しかない。
今後絶対にブロッサム一家の近くで倒れることだけは止めよう。
そう心に誓った。
「お、お前ら……」
グエンダイク様が絶句したため私は急いで話題を変える。
「アーサー様はなぜ<狼の門>に?」
私の質問に少しためらった後、
「魔力があまりなかったのです。ですので、学院を卒業するよりは別の道を選んだ方がよいだろうと考えました。そしてそれ以外だと私は剣しか知りません。あまり褒められた理由ではありませんね」
これから将来を決めようとしている若者に告げるには恥じた理由だと彼は言う。
そうは言うが、一度は騎士の最高峰とも言える<黒い狼>を務めたのだ。そこに至るには才能だけでは決してあるまい。
「……アーサー様は騎士になったことを悔いてらっしゃるのですか?」
「いえ。自分の選択に、後悔はしておりません。それでも、ただ、もっと魔力があればどんな人生を歩んでいただろうかと考える瞬間があるのです。何の苦労もなかった私ですらこうなのですから、苦しい思いをした者なら、その憧憬はいかばかりでしょう」
以前、アーサー様は家名で呼ばれることをやんわりと、けれどはっきりと拒否した。
魔力も少なく、爵位の継承もできない子爵の三男。ここまで何の苦労もなかったわけがない。
それでも、彼は笑っていた。
「<狼の門>には様々な事情を抱えた者が入学いたします。しかし、共通して言えるのは、皆が騎士となることで己の人生を変えようとしているということです。その子たちに私は何をしてやれるのか、いつも考えております。そして、その唯一の希望である騎士にすらなれなかった者たちに何を残してやれるのか、と」
アーサー様はグラスに残っていた液体を一気に煽る。
沢山の者を迎え入れ、送り出してきた、その全てをきっと思い返しているのだろう。
魔力の有無、生まれながらの身分、それだけでこの世界では一生が決まってしまう。平民だけじゃない。貴族も。王族も。
「……レディ、どうかそのお心を痛めるのはおやめください。レディのおちからで、希望すら持てなかった子たちに、道しるべを示すことができたのですから」
アーサー様が私に微笑みかける。
「今年、何人の少女が目を輝かせ<狼の門>に入学したかご存じですか? ぜひとも、ご覧にいらしてください」
「まぁ、神でもない限り、自分の場所でやれることをやるだけだ」
お2人が私を気遣ってくれる。
明るく輝く月が頭上から私たちを照らし続ける。
やれることをやるだけ――では、この世界で私は一体何ができるのだろう。その答えはまだ見つけられていない。
でも、どういう人生を歩むにしろ、今のグエンダイク様の言葉を決して忘れないようにしよう。
そう思った。




