9 フォーロマン領にて 2
肥沃な大地と温暖な気候のおかげで農業が発達した我が領地は、平坦で比較的なだらかな土地が多いため、特に領都は王都への行路としてもとても栄えている。今は亡き祖父の頃には領地の境界線について隣と幾たびも揉めたらしいが、それも昔の話。
多数の鉱山を有するナイトスター家や、海沿いに領地をもち海外の貿易を一手に担うティアット家、王国の水源ともいえる大河にそそぐ湖を持つブロッサム家には遠く及ばないが、それでも金銭的には恵まれているといっても過言ではない。
祭りの本番まではあと2日ある。
それから数日にわたって神事が行われ、その最終日のパレードが私の出番。山車の上から通りの観客に向けて、花を降らせるのだ。衣装もすべて準備が整っている。
そういえば、領地について早々に父には性格を訝しがられたものの、外の世界で自分の小ささを知ったのだと説明して無理やり納得させた。
今後もこの返答で押し通していくつもりだ。
暇を持て余し、街を歩き回っていると様々な噂を耳にする。
「ターフ領はどうだ?」
「いや、最近あそこはよくない。領主が入り婿だろ、先代がなくなってから急に税が上がったりと好き勝手し放題らしい。今じゃ、奥方そっちのけで愛人たんまり作って、どろどろだってよ」
どの世界でもゴシップは健在らしい。「ドロドロ」とか「愛人」とか乙女ゲーの世界では聞きたくなかった単語だけれど。
ちなみに誘った兄からは、「私はいいから、行っておいで」と相変わらずの笑顔で爽やかに拒絶されてしまったので、若い侍女と護衛の騎士と共に回っている。
散策していて気づいたことがある。
この街、獣人をほとんど見かけない。王都への利便を考えると、かなりの人がここを通ると思うのだが、それにしても見ない。侍女や街の人に聞いてみても、そういえばという感じで解決しなかった。
もしや、見るのも嫌だから獣人は制限してちょうだいなどとローズが父に言ったのだろうか。有り得ないことではない。念のため後で確認して、その通りだったら解除してもらわねば。
ローズは殿下とドレスと装飾品以外のことには一切興味も関心もなかったので、記憶に残っている有益なものがほとんどない。きっかけさえあれば一応思い出せることもあるものの、きっと今後も、こういった忘れているしでかしたことが発掘されるのだろう。ひっかかった黒歴史を自ら掘り起こしていく作業は、鬱としか言いようがない。
そんなことを考えてため息をつきながら、あちこちの店を見て回った。
農産業が盛んなだけあり、食品を扱っている店が非常に多い。
見たことのないものもあるが、ほとんどの野菜や果物は元の世界とそう変わらない。また父がワインを好むからだろう、お酒を取り扱っているところも多い。そういえば、私の名を冠したブドウ園があると言っていた。いずれ、そこから醸造されたものも店頭に加わるのかもしれない。
唯一、家畜以外に魔獣の肉も取り扱っているのが前世とは大きく異なる。
ただ、常に新鮮なものが食べられるおかげで基本地産地消なのか、加工品は圧倒的に少ない。食料保存の技術は普及していないのだろうか。不作の年にはどう備えているのだろう。どうやって他の地方に輸出しているのだろう。
家に帰ってそのことを父に尋ねたら、急ににこにこし始めた。
「ローズは領地経営に興味があるのかな?」
「はい?」
ない。そんなこと考えたこともない。単純に前世と比較してふと疑問に思っただけである。この世界の常識すらあいまいなのに経営になんて携わったら、あっという間に傾いて目も当てられない状態になるに決まっている。前だって雇われる側だったのだ。
「それならちょうどいい」
妙に父が目を輝かせて身を乗り出してくる。
「実は今、女性領主を一代に限り認める草案があがっていてね。反対も多いし、私としてはどちらでもよかったんだが、ターフ家の例もあるしローズが望むのなら後押ししてくるよ。うちにずっといてくれる方が私も嬉しいしね。そうそう、経営ならシシー嬢がその分野には大変詳しくてね、今度話をするといい。いやぁ、フォーロマン家もこれで安泰だなぁ」
殿下なんてそんなにいい男じゃないよ、などと不敬なことを言いながら勝手に話が進んでいる。女性領主? 兄がいるのになぜそんな話になるのか。
「なにをおっしゃってますの。優秀なお兄様がいらっしゃるのです。この家は揺るぎませんわ」
なにせ兄は毎回全科目学年3位以内に入る秀才だ。下から数えたほうが早い私とは天と地ほどの差がある。
「フリードにはまた別の家があるよ」
「……何の話ですの?」
怪訝な私に気づかず、父は話を続ける。
「どこかの家に婿入りも考えたんだが、いいお相手がいなくてね」
「待ってください。どういうことですの?」
「あてはあるんだよ。また別のところと養子縁組をすればいい。大丈夫、フリード、うちより家格は落ちるが、そう悪くはない家だ」
父の言葉に呆然とする。まるで兄をこの家から追い出そうとしてるような口ぶり。そして、驚いているのは私だけ。兄はこのことを知らされていたのだろうか。振り返れば、
「なにか?」
兄は、笑っていた。こんな時ですら普段と変わらないあの笑顔。
「……なぜですの?」
「ローズ?」
「お兄様はあんなに秀でてらっしゃるのに、なぜ移らなければいけませんの? たった4年ですわ。しかもお兄様は学校に通ってらっしゃって、わたくしほとんど一緒に過ごせてませんわ! これから仲良くできると思っておりましたのに!」
私の剣幕に二人がぎょっとする。
兄は子供のころからあちこちをたらいまわしにされたと聞いている。今までさんざん大人の都合で振り回しておいて、またよそにだなんていくらなんでも子どもに酷すぎるのではないだろうか。
抗議する私の頭をなだめるように父がなでた。
「お前はずっとフリードに跡を継がせるよう私に言っていたね」
ええ、図太い神経に流石というほかないけれど、かつては本気で王子と結婚するつもりだったもの。今はそんな気、欠片もないけれど。
「安心なさい。お前の悪いようにはしないから」